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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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伝承

虎族長老がゆっくりと語り始めた。


「女神は羽根を持ち

聖なる山より下り

知恵の実を我らに授け

獣を人へと進化させた」


その声は、重く、ゆったりとしていた。


「草より布を織る術を

食を増やす術を

住まう家の築き方を

生きる知恵のすべてを我らに教えた」


静かさの中で物語は進んでいく。


「文字を、通貨を、そして酒を授けられた

女神は我らに文明をもたらされた」


どこを見るわけでもない目で紡がれる物語は、何度も何度も語られてきたのだと思う。声を高めるわけでもないのに、情景を伝えてきた。


「女神の御名はコハル

その御髪は、月なき夜すら呑み込む闇の色

その御瞳は、光届かぬ深淵の水面のごとく、覗けば魂すら映すという

我らが母にして、黒目黒髪の女神は細く小柄であらせられた」


そこで言葉を切り、虎族長老が私の顔を見つめる。


「獣より人となった選ばれし種族は六つ

最初の僕は狼であった

女神の言葉のままに戦い、

前衛に狼、後衛に女神が立つ」


「我らが牙は女神を守る」


狼族長老が誇らしげに言葉を挟んだけど、虎族長老は全く気にせず話を続けた。


「次に虎が僕となった。

その勇姿が女神の目に適い、実を授かった

戦の化身として女神に危険を近づけず、常に守り続けた」


虎族長老がいきなり笑顔になる。


「その毛並みの美しさたるや——」


狼族長老が鋭く反応した。


「よせ。伝承に余計な脚色を加えるな」

「ん。そうか。では、続きはカミール。お前が語れ」


虎族長老は素直にうなずいた。


狼族長老はにやっと笑い、伝承を語り始める。


「次に兎が知恵の実を授かる」


——愛玩用として。


「嘘ぬかすなや! ワイが語ったるわ」


兎族長老が勢いよく立ち上がり、牙をむいた。


「虎も狼め。適当なこと言いよって。毛皮は兎が一番や」


ぶつぶつ言いながら、話し始める。


「次に兎が知恵の実を授かる。

誰よりも遠い音を拾い敵を察知し、女神を守った」


兎族長老は、少し照れながら付け加えた。


——女神の守護者として、女神の膝の上を授か……


「女神の御膝を、まるで己が座のごとくお使いになるとは……実に堂々としたご振る舞いですねぇ」


いきなり狐族長老が話を遮った。びっくりして顔を見ると、明らかに嘲笑が混じっている。


「女神は兎が好きなんじゃ!」


兎族長老は顔を歪ませ、狐族長老に食ってかかっている。


「ほほ……希望など混じるようでは、もはや伝承とは申せますまい。では——この先は、私が語らせていただきましょう」


——なんか……。


狐族長老は、滑らかに語り継いだ。


「続いて熊が僕となる

狼と虎が前衛、熊が女神の傍ら、兎が耳元で警戒を告げる

女神を傷つけるものは姿を見ることも叶わず 近寄れず 最後は引き裂かれた」


熊族長老は、語られた自族の伝承が嬉しかったのか、にっこりと笑っている。


「次に狐が僕となる。

果実を献じ、その真心が女神の目に留まった。

……そして最後に猿が僕となる」


「我らが貰う実を、だまし取ったくせによく言った」


猿族長老が顔を歪め、憎々しげに狐族長老に言った。


「随分と物騒なお言葉ですねぇ。我が一族が、卑しくも騙し取ったかのように聞こえてしまいます」


狐族長老は冷たい目で猿族長老を眺め、静かに応じる。


「違うのか。果実が生っているほうへ走ったと見せかけ、本来の場所へ向かったというではないか」

「ただ、道半ばで場所の誤りに気づいただけのこと。むしろ、我らの後を追い、横から掠め取ろうとしたのは——」

「やめよ。進まぬ」


狼族長老が、威厳の滲む声で遮った。


——仲が悪いの?


居心地が悪い。でも、そんな雰囲気には飲まれず、頭がクリアなのを感じる。


「女神は、メスや子が戦に赴くことを認めなかった。だから、今なお、前衛はオスのみである」


狼族長老はそう言って伝承を語り終え、静寂が部屋に落ちた。


「女神は、今はお山へ帰られている。その後、僕らは女神の理を守り、国を築いた」


狼族長老はテーブルに肘をつき、顎を両手で支えた姿で、私に質問をしてきた。


「悲しい毎日と、お前は言ったが、命より大事なものが我らにはある」


いきなり纏う雰囲気が張り詰め、部屋いっぱいが緊張感に覆われた。


「落ちてきたメスよ。何が悲しいのだ? お前は、誇りなき死に様を我らに望むのか?」


——きた。話を聞くだけでは終わらないと思っていた。


何が悲しい? 誇りなき死を望む?


「私は、バーツがいない未来が存在することが、耐えられないぐらいに悲しい——そして」


彼らの誇りとは、女神から与えられた「前衛で戦う」というオスの使命のこと。でも、その前提が、根本から「おかしい」と私は思っている。


だって、女神は——日本人だ。


落ちてすぐに、色々と変だと思っていた。言葉は通じるし、建物は、そこら中にある石じゃなくて、わざわざ取りに行く必要がある木材で建てられている。そして……あの魔法陣に刻まれた文字——ひらがなだった。コハルという名前、黒目黒髪。間違えない。


「私と同じぐらい悲しんでいるのは、きっと女神ではないでしょうか」

「なんだと」


長老たちの目つきが鋭くなり、一気に増した圧で呼吸が苦しくなった気がした。


『犬に手を嚙まれたら、引くのではなく押し込め』


誰かが言っていた言葉が頭をよぎる。


——引き下がったら負ける。


さらに目に力を込め、言い切る。


「色々なことを教え大事にした皆さんの命より、戦い方のほうが重要だという方には思えません」


瞬間、どの長老も唖然とした顔で目を丸くしていた。


女神が大好きな人たちだから、こんなことを言ったら怒るとわかっている。でも、日本人が指示した内容なら、あなた方が「誇り」と言った「オスの前衛」は、ただの戦略だったはずだ。


「女神にお会いしたのか!」


猿族長老が立ち上がり、また同じ質問をしてきた。


「いいえ、会っていません。でも、落ちてきて、生活に、皆さんの希望の先に、女神がいました。ここで聞いた話の中でもそうです。皆さんの拠り所になるぐらいの方です。逆に『皆さんの命より大事なものなんてない』って言いそうな気がしました」


——なんなら、泣きながら言うと思う。……付け加えないけど。


「……ふむ」

「……たしかに」

「あ……」

「なるほど……」

「ぉお……」

「……」


一様に驚いた反応をすると、話す言葉を忘れたようだった。部屋が静けさを取り戻し、遠くで風の音が聞こえる気がした。


狼族長老は目を彷徨わせ、頭を抱えると動かなくなっていたが、肩が上下したと思ったら顔を上げた。その顔は、何かを決意したように見えた。


私の"何か"を見定めようとする視線を向けて、話し始める。


「国を築いた後、少ししてからだが、女神が授けし樹に、魔石を浸した水を注げば、実が成るとわかった。そして、その実を食せば、異なる種のペアでも子が生まれた」


——異なる種……の子が……生まれた?


近い種族なら子供もできると聞いたけど、この六種族では無理なはずだ。


異世界だから? 

——違う。それがこの世界のルールなら、初めから生まれているはず。


魔法? 

——違う。魔力はエネルギー体だった。


なら……なんで?


思考が捕らわれている間にも話は進んでいく。いったん問いを棚上げにして、狼族長老の言葉に耳を傾ける。


「やがて、誰とでも子が作れるようになったが、卵巣は一つとなり、メスは子を成しにくくなった」


——卵巣が一つに。

進化ではなく、退化? いや、どちらにしても環境による理由があったはずだ。


「さらに、このころには今ほど虫が巨大化し、国は最後のひとつ、このジョーガンを残すだけとなった」


——え? このころには……? 初めから今の大きさじゃなかった……?


「戦力が足りない中、子も減り、困っていたところにメルが誕生した。そして今のような戦い方が主流となる」

「メルは元からいたのではなく、誕生したのですか?」

「ああ、そうだ。ある日、メスばかり女神の恩恵を受けると嫉妬したオスが、実を尻から入れたところ、卵巣になり、魔力が使えるようになった」


思考が一瞬止まる。


——え? なんで入れたの? 女神が好きすぎると言っても、どういうこと?


いや、待って、違う、それじゃない。大事なのは……メルは……元……オスだ。


「我らの国は今、種族存続のため日々虫と戦っている。オスの戦い方を否定すれば、待っているのは虫の蹂躙だ。その点はどう考える」


——引っ張られるな、私。


どっちか、じゃない。どっちも、だ。


「敵がいたとしても、戦いがあったとしても、命が失われる前提での戦い方は、悲しすぎます。メルが魔法を放つタイミングを変えるとか、大きく変えなくても、命を削らない方法はありませんか?」

「ふむ……そうだな。メルたちと一度話をしてみるか」

「虎は賛成だ」

「兎もや」

「狐もです」

「熊もぃぃのぉ」

「手配をしておく」


猿族長老が手配を請け負い、全員同意となったみたいだ。


——よかった。張り詰めていた糸が緩んだ気がした。


 


そうなると、気になり始めたのが、途中でしていた言い合いの原因だ。


「……あの、すみません。変な質問かもしれませんが——」


空気が一瞬だけ止まる。


「"毛並み"って、話題が出るたびに……虎が一番、兎が一番って……結局、誰が一番なんですか?」


その瞬間、空気がぴりっと変わった。


「伝承には、"狼の毛並みが一番お好き"と記されている」

「待て、それはどの伝承だ? 虎の毛並みこそが至高とあるぞ」

「女神は〜熊の蜂蜜がぁ、一番ぉ好きと〜記されておる〜」


そこから、種族の誇りを懸けた、子どもの喧嘩みたいな論争が始まった。


皆、女神に愛されたくて、自分の"誇り"を証明したいだけなんだ。なんとなく笑っている自分がいた。一番笑えたのが、誇り=毛並みというところだけど。ただ……


——毛並みってなんだろう?


この世界の人たちの姿は、ほとんど私と変わらない。顔も肌も、毛皮なんて見えない。疑問に思った瞬間——目の前の光景に、息をのんだ。


長老たちが、ためらいもなく獣身に変わった。分厚いコートを脱ぎ捨て、四つ足で歩き出す。揺れる尾、艶めく毛並み。お互いの体を寄せ合い、毛を立て、あるいは優しく撫でるように、毛づくろいをして見せ合う。


——言葉を失った。確かに毛皮だ。でもこれって……"誇り"というより"癒し"だよね。


そこまで動物に思い入れのない私でも、あの楽園の真ん中に座りたいと思ってしまう。すごい光景をぼうっと眺めていると、目の端に人影が映り、無意識に視線を動かした。


そこには、涙を流す猿族の長老が、いた。


「……長老?」


声をかけると、彼は小さく首を振り、震える声で語り出した。


「我が一族のメスよ。我らに……毛皮は、ない。……すまない」


——なぜ、謝られるの?


理解できなかった。


長老は何度もすまないと言いながら、途切れ途切れに説明をしてくれた。


「我が一族は、……知恵の実を……口にしておらん」


皆は"力と毛皮"を残したまま進化できたが、我らは己の知恵で進化を遂げた。その代償に獣の姿を失ってしまった。すまない。


「女神の愛する……"毛皮"も……戦う爪も……そのすべてを、我らは手放してしまったのだ……」


震える声。その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。


「それでも、女神が築かれた村を守り、育て、国を築いた。女神は去られたが、我らは待ち続けた。いつか……また降臨されるその日まで」


——どれだけ待ったんだろう。この人は。


私も、涙が溢れて落ちそうになる。


「だが……それも……許されなかった。………虫どもが……国を脅かし始めた」


長老の拳に力が入り、肩が強張っているのがわかる。


「皆を守るために……我が一族は……"メル"を作り出した」


さっき感じた衝撃を、身体と心が思い出した。


——この人が……。


「他族の……犠牲を減らすため……自らのオスたちを……優先にメルした。それが、爪のない我らの"誇り"だった。けれど、その代償は重かった」


子が生まれにくくなった。オスの戦死も増えた。メルを差し出すほど、未来が削られていった。


「……女神は、怒られるだろうか」


長老の目から、ぼとり、ぼとり、と涙が地面に落ちる。


長老は、窓から見える山へ向かって跪く。


「女神よ……我が一族にも、どうかお姿を……」


——なんでこの人が、ここまで必死に女神を探しているのかわかった。猿族だけが女神に……会えなかったんだ……。


彼のその姿に、私も涙が止まらない。


「……長老」


彼が顔を上げ、濡れた目で、まっすぐに私を見た。


「女神には来れない理由があるんだと思います。あと——国を守った、仲間を守った。それはすごいことで、きっと女神も、そう言うと思います。だから——」


その言葉に、長老の眉がかすかに揺れた。私は息を吸い込み、続ける。


「女神が来た時に——報告する内容を、今から用意するのはどうですか?」


——ただ待つのは辛い。けど、この方法なら、女神との夢を見ながら待てる気がした。


沈黙の後、長老は深く、深く頭を下げた。


その背中は、さっきよりも少しだけ軽く見えた。他の長老たちも——誰ひとり言葉を挟まず、ただ静かに見守っていた。


そこにあったのは、違いを超えた"仲間への敬意"だった。

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