独り
何度も繰り返した同じ朝。
今日も朝ごはんを食べてから、待ち合わせ場所になっている酒場に向かう。夜中までやっている酒場なので、ウーさんも眠そうだ。
「勝手にたまり場にしやがってや」
ぶつぶつ言いながらも、桃ジュースをくれる。ちなみにバーツには「オスにはなんもくれへんで!」と、あんまりない牙で威嚇していた。
「ウーさん、ありがとう」
バーツはなんか嫌そうだったけど、桃ジュースは正義! 飲ませるだけでもしたいのか、私に張り付いてコップを横取りしようとしてくるけど、知らん顔して飲むのを満喫する。
――美味しい。
私たちが一番乗りだったから、ジュースをゆっくり飲んで皆を待つ。一人ずつ集まるごとにうるさくなっていく店内。ちょうど最後の一口を飲み終わるころに全員が集まった。
「さあ行くぞ」と、また横一列に並んで外に出る。毎回笑ってしまう。オスの見栄って変だ。
でも、入り口を出た直後、バーツが「あ、まて、俺、シッコだ」と、皆のいい雰囲気を台無しにしていた。念入りに皆に私のことを頼んで、酒場裏のトイレまで走っていく。相当トイレを我慢していたのかな。
皆が大笑いして、「早く戻れよー」とか、「漏らすなよー」とか、声をかけている。
皆、すごい笑顔。
口を開けて、大きく
おおき…く
…わら…って…る。
そこで、目が覚めた。夢からゆっくりと戻ったような目の覚め方で、まぶたが完全に開く前には、現実を理解していた。
――そう……だった。私は攫われ……た。
あの後だった。タイミングを見計らったように、メルと揃いの鎧を着たオスたちが、建物の陰から現れて――囲まれた。ほとんど同時に、メルが隣で持たせていた魔法陣を発動させ……洪水なみの水で流された皆は成すすべもなく、私はオスに担がれ連れ去られた。
今、私は知らない部屋にいる。
この部屋にはベッドもトイレもあるけど窓はなくて、昼か夜かわからない。ごはんはちゃんともらえていて、しかも野菜や果物もついているから、待遇は決して悪くない……と思う。
あれから食事は五回出てきた。気を失っていた時もあるから正確な日付はわからないけど、たぶん攫われてから三日は経っていると思う。
ここで一人、初めて目を覚ましたときは、ひどいパニックに襲われた。
頭が割れるみたいに痛い。目を開けているのか閉じているのかもわからない。暗い。ぐらぐら揺れる。
ここにいる。床も見える。穴なんて、どこにもない。
なのに、身体だけが勝手に回って落ちていく――止まらない。息が、うまく吸えない。
頭が裂けるように痛い。叫びたい。
ふと、綺麗な緑が目にちらついた。緑を追うと、コートが見えて……緑の狼が……吠えていた。
――大丈夫、バーツが守ってくれる。
心の底からふわっと湧き出てきたその想いが、現実とずれていた感覚を少しだけ戻してくれ、呼吸ができるようになったのがわかった。
それでも、初めは何も食べられなかった。でも緑の狼を撫でていたら、胸の奥が少しだけ温かくなった。もう少し頑張らなきゃ、と思えた。今は、食べてバーツを待つ――そう決めている。
……でも、ふとした瞬間、まるで発作のように、バーツが恋しくなる。
喉が詰まる。バーツの声が聞きたい。バーツの温もりを感じたい。バーツの腕の強さを感じたい。
バーツ、バーツ! 抱きしめてよ! バーツ。
落ち着け。落ち着け。私、落ち着け。身体がカタカタと震え始める。コントロールできない。
――バーツは来る。絶対に。
これだけが、気の狂いそうな私を、繋ぎ止めている。
私は恵まれていた。知らない土地、知らない常識、知らない欲。何もかも知らない中でバーツに会えて、「私」としてここまで生きてこられた。これは幸運としか言えない。今になって嫌というほどわかる。
バーツ、バーツ、バーツ、バーツ、バーツ、
会いたい 会いたいよ
複数の足音。扉が開いた。ベッドから顔を上げると、バーツをナンパしたメルがいた。背後に何人かいる。メルの顔が、嘲笑で満たされていた。
「すごい顔だな。落ち人のメス。……自分が何をしたのか、わかってんの?」
メルが、ゆっくりと近づいてくる。
「バーツはさ……お前をメス登録してなかった……それってルール違反なんだよねぇ」
ニヤついた声が、私の心を刺す。
「メス登録をしてる最中だからな。終わったらお前は……」
――不細工なオスの子供を産みまくるだけの、共有メスにしてやるよ。
歪みきったメルの顔が、恐怖の権化のように見えて、身体も脳も、全部が受け入れを拒む。
「なんか言えよ!」
ベッドの傍まで来ていたメルは、大笑いしながら拳を振り下ろしてきた。と、青いフードを被った一人が、殴ろうとしたメルの腕を掴み、突き飛ばした。
「手を出すな。メスの扱いを決める権限は、お前にはない」
「っ! 僕がこいつのことを教えたんだ! なんで殴っちゃいけない?!」
――仲間……じゃないの? 目の前で起きていることがよく理解できない。
激昂するメルを放置して、青いフードの人物の目が、私を見た。
「なぜ狼と一緒にいた。なぜ群れに合流しなかった」
質問ではなく詰問だ。威圧的なオーラに、私は何を問われているのかも理解できなかった。その沈黙が、青いフードの人物の焦りを増幅させた。
「女神はなんと言っていた。答えよ、落ち人の娘」
――なんのこと……?
よくわからず首を横に振るしかできない私を見て、質問をやめる。
「……。明後日、聴聞会を行う。それまでに心を落ち着かせよ」
それだけ言うと、青いフードの人物はメルを連れて去っていった。最後に残っていた黄色のフードの人が、ゆっくりした低い声で話しかけてきた。
「落ち着け。悪いようにはしない。我が群れのツガイよ。ただ我々は知りたいのだ。女神の想いを。我々の未来を」
フードの下から目が合った気がした。微笑んでいる……?
「お前のオスは、もう……動いている。群れが助けに入ったから、そろそろ迎えに来るだろう」
私の心が、その言葉に掴まった。
――バーツが……来る。
「聴聞会が終われば会える。だから落ち着いて明後日を迎えよ。我が群れのメスよ」
そう言って、優しく扉を戻していった。
バーツ、バーツ、バーツ!
バーツ!
俺のメスが消えた。あの日、あの瞬間から……何も考えられねぇ。
気づけば、本能で動いていた。目につく奴を片っ端から倒し、ルルの匂いを追って、城の門の前まで来た。
そこから先の景色は……霞んでいる。身体はまだ動いていたはずだ。でも足が重く、視界が歪み、音が遠のいて――何かに引きずり込まれるみたいに、真っ暗になった。
気がつけば、仲間の群れに囲まれていた。
もう人の言葉は耳に入らねぇ。
……あとで、「発狂しやがって。眠らせるのも大変だったぞ」と長老から、かなり怒られた。
ルル、ルル、ルル……。
俺のツガイ。
早く 早く 早く 俺の腕に帰ってきてくれ。




