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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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20/24

スキル発動:思索

あの日のフライングを除けば、私は順調にこの世界に踏み出していると思う。


最初はほんの少しだけ。食材を買う日。魔石を買う日。それくらいの理由で、ちょっと外に出る。すぐに帰る。そしてバーツと愛し合う。少しずつこの世界を知って、想像上の恐怖がどんどん無くなっていくのがわかる。知るって大事だ。


私もそんなふうに気持ちが落ち着いてきたけど、バーツも目に見えて変わっていった。ぴんと張っていた警戒の糸が、少しずつ緩んでいくのがわかる。きっと、私からの愛を、彼は心と身体で実感していったんだと思う。


外出だけじゃなく、毎日魔法陣も作っていた。バーツが戦場に行く日までに絶対に完成させたいから。五枚作れた。色々と細かすぎて、これが限界だった。


二十センチ四方の紙に、指の腹に力を込めて魔法陣を描く。ほんの少しでも線が乱れたら、それで終わりだ。完成したら魔力を流し込む――全部じゃない。最後のほんの一滴を残して。残しすぎれば、戦場での負担が増える。多すぎれば、言葉ひとつで暴発する。どちらも、許されない。紙と向き合っている間、私は息をするのも忘れていた。


「……これで、少しは守れるかな……」


そんな祈りを込めて、私は魔法陣をバーツに手渡した。


だけど――




 


帰ってきた彼を見て、私は絶句した。爪が折れている。腹部には大きな裂け目。削られたような傷。白く光る肋骨が覗いていた。言葉にならなかった。


「……あぁ大丈夫だ。内臓には届いてねぇ」


と彼はあっさり言ったけど、私には何が"大丈夫"なのかわからなかった。わかるはずもない。


癒しの魔法陣なんて作れなかった。ケガの状態に合わせた治療という判断を魔法陣に入れることができなかった。医療の知識があればできたかもしれない。でも私はそこまで知らない。ただ魔法陣を描けるだけの、普通の……いや、異世界では不十分な人間だ。


なのにバーツは、血の気の引いた私を逆に抱きしめて、痛みに震えもせずに言う。


「泣くな。……こんなん、たいしたことねぇ」


涙が止まるわけがない。魔法陣を作っただけでバーツを守れると思っていた自分に、怒りを感じる。


「二度とケガしねぇよ。だからもう泣くな。な? もうおまえを不安にはさせねぇよ」


――嘘だ。


それが嘘だってことくらい、私にだってわかる。虫がいる限り彼はまた戦う。死と隣り合わせの現場に、明日も明後日も立ち続ける。それが、この世界で"強くある"ってことだ。


だから、私は、考えた。


考えることなら、無力な私にもできる。それに、日本人として生きてきた記憶がある。諦めたら終わりだ。失ってからじゃ後悔なんて遅すぎる。なら――私は何ができる?


 


あのバーツのケガを見た日からずっと考えた。魔法陣の改造? 防具の強化? そして私なりの"答え"と"決意"を用意した。


夜、ベッドの上で、バーツの腕と胸に挟まれながら、ぬくもりを感じる。温かい。バーツはまだ生きている。


「ねぇバーツ、…………爪、また生えるの?」

「ん? ああ。ちょいとすれば元通りよ」


にっと笑うその顔に、私はうなずいた。


――大丈夫、まだ間に合う。


攻撃は最大の防御だ。なら、守りじゃなくて攻撃も強くすればいい。爪は武器としては弱すぎる。


日本刀は……無理。

鉄を叩いて剣にする……? 

槍は……? 

投げる武器も……。


でも、これだけでバーツがケガしないとは思えない。まだ私にはできることがある。


この世界に来て、知ることが増えるたびに、私にできることも増えていった。なら、今の私がやるべきことは決まっている――敵を知ること。


そして最後に――私も、戦う。


私には魔力があって、考える頭がある。足りなかった「覚悟」は、もう、ある。


 


バーツ。


私は強くなる。ただ守られるだけのツガイじゃない。あなたの隣に立てる私になる。


 






























 


蟻が二体、地を這うように迫ってくる。


「魔法陣……仲間をかばうのに使っちまったが、まぁ……思ったより蟻が多いな。……あと二体、か。ったく、やれやれだ」


バーツは爪に力を込めた。……が、鈍い痛みが走る。見ると、右の爪が二本、根元から折れていた。


「……ったく。昼間っから骨見せるハメになるとはな。働きすぎだ」


腹の傷は深かった。横っ腹を抉られ、皮膚は裂け、白く光る肋骨が覗いている。出血は止まらない。が、立っては、いる。


「内臓は、運よく無事……たぶん、な」


それでも、逃げる選択肢はなかった。この蟻を砦に向かわせれば、被害は計り知れない。ルルに何かがあったら――そんな未来はこさせねぇ。


一体目が飛びかかる。バーツは転がるように回避。折れていない左爪で足を払う。関節にめり込む感触。甲殻の隙間を的確に穿つ。


「当てりゃいいんだよ、当てりゃ……それだけの話さ」


二体目が続けて突進する。その巨体を真正面から受け止めるように見せかけて、地面に滑り込んだ。跳ね上がる土。見えない位置から喉元を深くえぐる。体を起こすと、吐血が喉にせり上がった。視界が揺れる。だが倒れない。


「……処理完了ってな。こっちは半壊だけどよ」


地に伏した蟻たちは動かない。勝ったのは俺の方だった。バーツは腰の布を裂いて腹に巻く。出血を抑える応急手当。よろめきながらも「解体屋、呼ぶか」と、腰に付けた笛を吹いた。


「……ルルには見せらんねぇな。この腹じゃ抱くどころじゃねぇ」


ぽつりと呟いて、バーツは土の上に腰を下ろす。顔を上げる。樹の間から見える空は、晴れていた。


「ま、今日も一応、生きて帰れる」


それで、十分だった。

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