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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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17/24

武装

魔法陣が使いこなせるようになった。

となれば次は――武装。



朝。


やる気を満ち溢れさせて、肉ご飯……じゃなく、朝ご飯を食べる。


肉をもぐもぐと噛み、何なら肉汁を啜りながら、目の前の「山盛りの肉のみ皿」を前に決意を固める。外界に出たら、まず野菜を探す。もう、しばらくは肉は見なくていい。


ご飯と掃除を終えて、私はバーツが買ってきてくれた"全身をすっぽり隠す、重たくてかわいくないコート"を引っ張り出し、テーブルの上に置いた。コートで一番大事なのは「頑丈で全身が隠れる」ことってバーツは言っていたけど、これは本当にそれ特化のコートだ。


あと用意するのは、針と、魔紋樹脂に浸して干すを何度か繰り返した糸。黒糸を用意してもらって、染まったのがわかるようにした。今は乳白色で少し煌めいている。


「もう外界に行くのか?」

「ううん、準備したい」


ここ最近の攻防戦で連敗中の私は、諦めて大人しくバーツの膝の上に座る。


コートの素材は厚手の布で、裏地はフェルトに近い柔らかさ。私はその裏地に、魔紋樹脂糸を使って、ちくちくと刺繍を始めた。魔力を途切れさせないため、糸はわざと絡ませるように捻ってから縫う。慣れない裁縫で、指先を刺してしまい、赤く滲んだ血が布に落ちそうになる。バーツは口を固く結んで一言も言わず、私を見つめていた。血が落ちそうになるたびに、そっと布で拭いてくれる。


一時間経った。二時間経った。


針を動かす手が疲れ始めても、止めるわけにはいかない。この魔法陣がなければ、外界は危険だ。


「……まだか?」


バーツの声は心配そうだった。


「もう少し。あと……ちょっと」

「……無理すんなよ」


私の声は、疲れて掠れていた。でも焦りはない。確実に、丁寧に。その一針が、自分の身体を守る。三時間目に入ったとき、最後の一針を刺した。


裏地の外から見えない場所に、一つ目の魔法陣を完成させる。


三時間

当外套

全体

魔力外套内循環

常時発動


いったん、針を置く。


「終わりでいいのか? 果物食べるか?」


もう半泣き状態のバーツ。顔は歪んでいるし声もか細くて、私の髪にキスする回数が尋常じゃない。


「ごめんね。あと一つ」

「……そうか。頼むから傷をつけないようにしてくれ」

「…がんばる」


根性で裁縫の腕が今ここで開花するなら、私は全根性をひねり出したい。だってバーツがもう涙目だから……。虐めているようで心が痛い。


「グスッ。こ…これは、何ができる魔法陣なんだ?」


もう、鼻まですすり始めたバーツ。


――ほ……本当に、ごめんね。


「これはね、魔力を外に出さない魔法陣。前バーツが魔力が匂うって言ってたでしょ? 近づかないと判らないとはいえ、流石に落ち人とかメスとか判るのはまずいかなって思って。一番怖いのは人なんだよね?」

「あぁ、そうだ!!」


顔をきりっとさせ、目に力が戻る。


――え? いきなり元気になった?


「ルル。いいか。外で声かけてくるヤツは、だいたいろくでもねぇ。俺がいねぇときは近づくな。困ったら呼べ。………いや、近づいてきたら全部、燃やせ。いいな」


――なんか子供のころに聞いたような……。てか、燃やす魔法陣は縫ってない。


危険なの? バーツの過保護? どっちかわからず眉間に皺が寄る。色々聞きたいけど、言葉には出さない……というか出せない。だってバーツは今、たれ目が変わるくらいに目を吊り上がらせ、外界にはどれほど恐ろしい人間がいるかを語っているから。


――うーん

どっちにしろ私は……


「でもね、バーツ。凄く怖いんだよね? 私、絶対にバーツから離れないよ?」

「!!!」


突然話を止め、わなわなと震えだしたと思ったら、スクッと立ち上がり、私を抱き上げてベッドへ向かうバーツ。「え? え? まだお昼だよ?」と言ったけど聞いてくれなかった。色々と限界だったのかもしれない。ごめんね、バーツ。



ベッドから抜け出られたのは夕方。時間的に、今日の家庭科は終了、ということにしておく。もう腹ぺこだ。バーツは「すまん」と言いつつ、にやにやが止まらない。晩ご飯を作る(肉を焼く)手も軽やかで、尻尾もふっさふっさ揺れている。


かわいいかもしれない。

と、私もにやついてしまった。




翌日の朝、やる気に満ち溢れ、肉ご飯、もとい、朝ご飯を食べる。


外界に出たら、野菜を見つける! もう肉は見たくない!


ん? なんかデジャヴ。けど気にしない。



今日も刺繍だ。コートと糸と針を用意する。


「あと何個だ?」

「一個」


バーツの膝の上に座り、針と糸を持つ。私の戦いは糸通しから始まる。魔紋樹脂を纏わせた糸は、小さい針孔には太すぎて、本当に入りにくい。私の座椅子になっているバーツからも戦闘オーラが出ている。手にはハンカチも用意されていた。


「……で? 今度は何を入れるつもりだ」

「コートを固くしようかなって。不意に何かされても、最初が耐えられたら、そのあとはバーツがいるから」

「!! ルル!」


いきなり身体が浮く。かすかに糸の先が針孔に入ったのに……抜けた。えー! ちょっとショック、と思っていたら、ベッドのほうに移動している自分の身体に気がつく。


「今日は流されないから! 縫うの!」


精一杯強めに訴え、身体を揺らす。


「グゥ」


バーツは潰れたような声を出して、しぶしぶテーブルに戻っていった。私の身体と一緒に……。バーツが諦めたのを感じて、私は小さく息を吐いた。久しぶりの勝利かもしれない。やっと刺繍を開始できる。



今日も、血まみれになりながら三時間。指先は痛いし、視界も少し滲む。それでも――もう一つ、魔法陣が裏地に入った。これ以上は縫う場所がないので、この二つで終わりだ。


三時間

当外套

全体

力場凝縮

常時発動


――エネルギーは、ただ流れるだけじゃない。集めれば形を持つ。


昔どこかで、「エネルギーには質量がある」という話を聞いた。難しくて、全然意味がわからなかったことだけ覚えている。でも——理屈があるなら「できる」と思って漢字にしてみた。魔力を流し込んでみると、コート全体がじんわりと温かくなった。何かに守られている感覚。ぬくもりの中に、確かな境界があった。


「……これで、少しは大丈夫かも」

「ったく……」


バーツが、すぐそばでぼやいた。口の端が少しだけ緩んでいる。そもそも魔法陣は書くものであって刺繍するものではないらしい。しかも魔法陣の小ささに驚いていた。縫っているからだいぶ大きいとは思うけど、漢字はすごい。


私は小さくうなずいた。


これでようやく、自分の足で歩き出せる。






バーツのための緊急用として、紙の魔法陣も作った。……これを書くための準備が、本当に大変だった。


「……魔法陣が書けない……筆が太すぎる」


筆を弄って何とか細い線を書こうとしたけど、うまくいかない。


「……よくわからんが、売ってる筆はそれだけだ。どうしたらいい?」


バーツは首を傾げながら聞いてくる。優しい……。ちょっとどきどきして温かくなる。


――と、思いついた。


「……ナイフ、貸してもらえる?」

「ダメだ」


バーツは即座に拒否。拘束する腕もぎゅっと強くなる。


「えっ、でも……髪の毛を少し切りたいだけなんだけど」

「!! 絶対にダメだ!」


バーツの拒否は激しかった。まるで私が犯罪者になったような反応だ。


「毛がほしいの。この部分を毛に変えれば細く書けるはずだから」


筆の毛先を指して、これ、と小さく示す。それでも、バーツの顔は怒ったまま。


――どうしよう。


「俺のを使え」


いきなり、抱きしめていた腕をほどいて、自分の黒い巻き毛を少し切ろうとする。


「あ!」


その動きを見て、私は思わず声を上げた。人のを切るのは罪悪感が凄いし、何より巻き毛……。バーツは私の表情を見て、何かに気づいたのかもしれない。


「わかった。ちょっと待ってろ」


そう言うと、バーツは私を寝室に閉じ込めて、外出してしまった。



少し経って、バーツは戻ってきた。手にしていたのは細い繊維糸だ。水分を含ませれば、筆として使えそうだ。


「ありがとう、バーツ」


すごく喜んでいたのがわかったのか、出かける前の怒った顔が嘘のように笑顔になる。


早速テーブルに行き、木の芯に巻かれた糸を切ってもらって束状にする。毛先が細くなる必要があるから量を調整したり、筆の柄の部分に巻きつけてみたりと試行錯誤して、細い線が途切れなく引ける筆先ができた。何度も失敗して、三日はかかったと思う。大変だった。


試し書きしてみると、かなり小さい文字まで書ける。完璧だ。




そんなこんなで作った魔法陣が書かれた紙。


「……まさか、これ……俺に……?」


紙片を手にしたまま、バーツは言葉を失った。ベッドの上に広がる尻尾もぴたっと止まって動かない。


「これは……起動、できんのか? 俺が?」

「うん、多分。私たちツガイだから。もともと魔力の性質も似てるし……それに……」


ちょっと言いにくくて、どもってしまう。


「……あれ……してるから……魔力が混ざってる」


バーツがまだ魔法陣から目を離せないでいる。よかった。


「私の魔力を入れておいて、"最後の一滴"だけバーツが注いでくれれば起動できるはず。使える時間は三十秒。短いけど……防具強化だから、その間に逃げるなり、なんとかできる。使うときは強化したい防具に紙をくっつけてね」


これはコートの魔法陣をいじってるときに気が付いた。バーツが触ると明らかに持続時間が伸びててびっくりした。試さないとわからないけど、きっとできる。


漢字の意味や、その裏にある知識を伝える。それから、大体だけど、一、二、三……と三十まで数えて、時間の長さも説明した。


「わかった。……十分だ」


そう呟いたバーツの声は、いつになく静かで真剣だった。


胸当てを持ってきて、発動する。その間ずっと、バーツは一言も話さなかった。終わった後も、ただぼんやりと胸当てを見つめている。


「……はは、まさか俺が魔法を使う日が来るとはな。世の中、わかんねぇもんだぜ……」


低く、押し殺すような声だった。宝物を拾い上げるように、バーツはその紙を胸当ての二重になっている革の間にしまった。


大事な場面でしか使えない非常用。それでも——バーツの命を繋いでくれるはず。そう祈らずにはいられなかった。







全く未知の世界。だからこそ、できる限りの防御策は作った――と思う。


あとは、行くだけだ。



バーツと決めた日の朝、扉を開けて一歩外界に出た。すぐに「異世界だ」と確信した。


まず、家が変だ。色々な向きに好きなように立っている。しかも外観もロッジみたいに見えるけど違う。丸太を楔みたいに地面に打ち込んで、その間に横向きに丸太を積んで壁を作っている。


え? それ、ズレてない? それは隙間というより穴だよね?……と思ったけど、誰も気にしていないみたいだ。うちは隙間は少しあるけど、穴なんて一つもない。不思議に思って穴を指さしバーツを見ると、彼は真顔で頷いた。


「当たり前だろ。穴なんてあったらツガイが危険だ」


教えてもらったんだけど、信じきれない自分がいた。バーツの言う「危険」が何を指しているのか、ここ最近、少し疑い始めている自分がいる。




道もおかしい。というか、道という概念がほぼない。家と家の間の「隙間」をすり抜けていく。どうやらこれが道らしい。聞けば、昔ここに砦を作るとき、中央に商業区をどんと決めて、その周囲を囲うように居住区を配置しただけで「町づくり終了」だったらしい。あとは住民が好きなところに「俺ここー」と家を建てていった結果、こういう道ができた、と。でも誰も気にしないらしい。


おおらかなのか、雑なのか。


そんな隙間道を歩く私を隠すように、バーツはその大きな背中を巧みに使いながら歩いていく。通行人とすれ違うたびに、何気ない顔で少し身をずらしてくる。私の姿が他人の視界に入らないように、さりげなく、でも確実に。




隙間道を抜けて、私は商業区に足を踏み入れた。ごちゃごちゃとした居住区とは別に、道路を挟んで綺麗に店が立ち並んでいる。看板が道路側に突き出ていて、何の店かわかるようになっていた。異国感はあるけど、なじみがあるような整理された空間に、ちょっとほっとした……のも、少しの間だけだったけど。


何件か通り過ぎたけど、店はなぜか肉屋しかない。看板の形や色が若干違うだけで、全部「にく あります」と書かれている。どこから質問すればいいんだろう。


「ねぇ。………店名ってないの?」

「ん? 店名ってなんだ?」

「お店の名前」

「なんでだ? 肉が売ってるのはわかるぞ」

「……」


ご飯のときに出る肉の量も、肉しか出ない理由も、なんとなくわかった気がした。


今日行くのは一店だけ、とバーツと約束した。八百屋にしたかったけど、季節が変わる前に服を作る必要があるから革屋になった。でも——何件歩いても肉屋だ。


――消費量を考えても多すぎじゃ……。


心が疲れてきたころ、肉屋に囲まれた小さな革屋を発見した。黄色い看板がかかってる。

「めす の ぬの あります」


――うーん。

売り物すら限定的な書き方になった。異世界式の店構えに、色々とびっくりだ。


中に入ると、壁に布や革が置かれた天井までの棚。中央に糸が飾ってある腰までの棚。上に布を出して見ることもできるようになっていた。


店の奥に、オスがいた。大きな体格で、バーツと同じくらいの背丈。顔立ちは比較的柔らかいが、がっちりとした身体をしている。そのオス――おじさんだろうか――は、バーツを見るとにこっと笑った。


「よう、バーツ。久しぶりだな」

「おう。今日は……ツガイを連れてきた」


バーツの言い方は、宣言に近かった。そのオスの目が、バーツの影にいた私を見つける。驚きの表情。そして、確かな喜び。


「……メス……ツガイが見つかったのか」


嬉しそうに何度も頷きながら「いらっしゃい」と言っていた。バーツは何も言わず、後ろにいた私の肩に手を回して引き寄せる。オスに会釈しながらバーツの横に並んだ。


「で。今日は何を?」

「布と糸。それから革」

「ああ、ツガイの衣類を作るんだな。……そっか、外に出るんだ」


男性は何か複雑な表情で私とバーツを交互に見ていたけど、何も言わず営業スマイルで布の棚を指さした。


「布はそっちの棚だ」


気にかかる表情だったけど、目の前の布に圧倒されてすぐに忘れてしまった。


「色がいっぱいある」

「あぁ、メスは可愛いものが好きだからな……」


お店なのにわざわざ耳元に口を近づけて囁いてくる。


「けどな、ルルのほうが可愛い」


フェロモンがやばすぎて、布よりバーツのほうが気になってしまう。


「もお! 邪魔しないで、バーツ」

「くくくっ」


ご機嫌なバーツは、そのまま板にきっちりと巻かれた布を一本手に取り、色々と教えてくれる。糸は、女神が教えてくれたという草から作られていて、草によって太さが違い、糸にするもの、布にするものと使い分けるみたいだ。染粉も草から作られる。


並んで布を選んでいるんだけど、彼はひっきりなしに宝石みたいな緑色を勧めてきた。


「……これもだな。おまえに似合う色なんざ、最初から決まってた」


肩越しにちらりと私を覗き込んでくる。フェロモンたっぷりの視線。店なのに止めてほしい。


「……恥ずかしいから、あんまり見ないで」


顔を背けてそう言うと、彼はにやりと笑った。


「難しいな。ルルは可愛いからなぁ」


どこまでも、まっすぐ。

考え込む暇もないほど、まっすぐに好きをくれる――私も好き。




布が決まったら、次は黒い革を探す。布は高級だけど耐久性が弱いからメス用で、オスの服は革なんだけど——元は虫の皮なんだって。……知った瞬間、鳥肌が立って、手にしていた革から手を離してしまった。黒革にもいろいろあるらしく、バーツは私のほうを見ては、色味を比べていた。


「こっちの黒だと、おまえの目より少し薄いか…こっちか?」


あれこれ真剣に悩む姿が、ちょっとかわいかった。まるで大事な宝石に似合う箱を選んでいるみたいで。なんだかくっつきたくなって、横にいたバーツにそっと身を寄せる。気づいたら、顔が緩んでいた。バーツも、笑っていた。


「選ぶの、楽しいね」

「……そうだな。革一つ選ぶのに、こんなに心が動く日が来るとはな」


バーツの声は、低くて、どこか沁みる音だった。




バーツは黒い革を決めて、何種類かの布と糸、それから革を布屋の主人に手渡した。大きな布なので、適度に切ったものを後で家に届けてくれる仕組みなんだって。


「ありがとうな。また来る」

「ああ。いつでもどうぞ」


そのやり取りから、バーツが何度もここを訪れていることがわかった。



たくさんある私の服。すぐになんて作れるわけがない。


――私がこの世界に来る前もずっと、ここに来てたんだ。

その思いが、私の胸をぎゅっと掴んだ。


彼がこの世界でどんな気持ちを抱えて生きてきたか――そんなことが、少しだけ垣間見えた気がした。

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