武装
魔法陣が使いこなせるようになった。
となれば次は――武装。
朝。
やる気を満ち溢れさせて、肉ご飯……じゃなく、朝ご飯を食べる。
肉をもぐもぐと噛み、何なら肉汁を啜りながら、目の前の「山盛りの肉のみ皿」を前に決意を固める。外界に出たら、まず野菜を探す。もう、しばらくは肉は見なくていい。
ご飯と掃除を終えて、私はバーツが買ってきてくれた"全身をすっぽり隠す、重たくてかわいくないコート"を引っ張り出し、テーブルの上に置いた。コートで一番大事なのは「頑丈で全身が隠れる」ことってバーツは言っていたけど、これは本当にそれ特化のコートだ。
あと用意するのは、針と、魔紋樹脂に浸して干すを何度か繰り返した糸。黒糸を用意してもらって、染まったのがわかるようにした。今は乳白色で少し煌めいている。
「もう外界に行くのか?」
「ううん、準備したい」
ここ最近の攻防戦で連敗中の私は、諦めて大人しくバーツの膝の上に座る。
コートの素材は厚手の布で、裏地はフェルトに近い柔らかさ。私はその裏地に、魔紋樹脂糸を使って、ちくちくと刺繍を始めた。魔力を途切れさせないため、糸はわざと絡ませるように捻ってから縫う。慣れない裁縫で、指先を刺してしまい、赤く滲んだ血が布に落ちそうになる。バーツは口を固く結んで一言も言わず、私を見つめていた。血が落ちそうになるたびに、そっと布で拭いてくれる。
一時間経った。二時間経った。
針を動かす手が疲れ始めても、止めるわけにはいかない。この魔法陣がなければ、外界は危険だ。
「……まだか?」
バーツの声は心配そうだった。
「もう少し。あと……ちょっと」
「……無理すんなよ」
私の声は、疲れて掠れていた。でも焦りはない。確実に、丁寧に。その一針が、自分の身体を守る。三時間目に入ったとき、最後の一針を刺した。
裏地の外から見えない場所に、一つ目の魔法陣を完成させる。
三時間
当外套
全体
魔力外套内循環
常時発動
いったん、針を置く。
「終わりでいいのか? 果物食べるか?」
もう半泣き状態のバーツ。顔は歪んでいるし声もか細くて、私の髪にキスする回数が尋常じゃない。
「ごめんね。あと一つ」
「……そうか。頼むから傷をつけないようにしてくれ」
「…がんばる」
根性で裁縫の腕が今ここで開花するなら、私は全根性をひねり出したい。だってバーツがもう涙目だから……。虐めているようで心が痛い。
「グスッ。こ…これは、何ができる魔法陣なんだ?」
もう、鼻まですすり始めたバーツ。
――ほ……本当に、ごめんね。
「これはね、魔力を外に出さない魔法陣。前バーツが魔力が匂うって言ってたでしょ? 近づかないと判らないとはいえ、流石に落ち人とかメスとか判るのはまずいかなって思って。一番怖いのは人なんだよね?」
「あぁ、そうだ!!」
顔をきりっとさせ、目に力が戻る。
――え? いきなり元気になった?
「ルル。いいか。外で声かけてくるヤツは、だいたいろくでもねぇ。俺がいねぇときは近づくな。困ったら呼べ。………いや、近づいてきたら全部、燃やせ。いいな」
――なんか子供のころに聞いたような……。てか、燃やす魔法陣は縫ってない。
危険なの? バーツの過保護? どっちかわからず眉間に皺が寄る。色々聞きたいけど、言葉には出さない……というか出せない。だってバーツは今、たれ目が変わるくらいに目を吊り上がらせ、外界にはどれほど恐ろしい人間がいるかを語っているから。
――うーん
どっちにしろ私は……
「でもね、バーツ。凄く怖いんだよね? 私、絶対にバーツから離れないよ?」
「!!!」
突然話を止め、わなわなと震えだしたと思ったら、スクッと立ち上がり、私を抱き上げてベッドへ向かうバーツ。「え? え? まだお昼だよ?」と言ったけど聞いてくれなかった。色々と限界だったのかもしれない。ごめんね、バーツ。
ベッドから抜け出られたのは夕方。時間的に、今日の家庭科は終了、ということにしておく。もう腹ぺこだ。バーツは「すまん」と言いつつ、にやにやが止まらない。晩ご飯を作る(肉を焼く)手も軽やかで、尻尾もふっさふっさ揺れている。
かわいいかもしれない。
と、私もにやついてしまった。
翌日の朝、やる気に満ち溢れ、肉ご飯、もとい、朝ご飯を食べる。
外界に出たら、野菜を見つける! もう肉は見たくない!
ん? なんかデジャヴ。けど気にしない。
今日も刺繍だ。コートと糸と針を用意する。
「あと何個だ?」
「一個」
バーツの膝の上に座り、針と糸を持つ。私の戦いは糸通しから始まる。魔紋樹脂を纏わせた糸は、小さい針孔には太すぎて、本当に入りにくい。私の座椅子になっているバーツからも戦闘オーラが出ている。手にはハンカチも用意されていた。
「……で? 今度は何を入れるつもりだ」
「コートを固くしようかなって。不意に何かされても、最初が耐えられたら、そのあとはバーツがいるから」
「!! ルル!」
いきなり身体が浮く。かすかに糸の先が針孔に入ったのに……抜けた。えー! ちょっとショック、と思っていたら、ベッドのほうに移動している自分の身体に気がつく。
「今日は流されないから! 縫うの!」
精一杯強めに訴え、身体を揺らす。
「グゥ」
バーツは潰れたような声を出して、しぶしぶテーブルに戻っていった。私の身体と一緒に……。バーツが諦めたのを感じて、私は小さく息を吐いた。久しぶりの勝利かもしれない。やっと刺繍を開始できる。
今日も、血まみれになりながら三時間。指先は痛いし、視界も少し滲む。それでも――もう一つ、魔法陣が裏地に入った。これ以上は縫う場所がないので、この二つで終わりだ。
三時間
当外套
全体
力場凝縮
常時発動
――エネルギーは、ただ流れるだけじゃない。集めれば形を持つ。
昔どこかで、「エネルギーには質量がある」という話を聞いた。難しくて、全然意味がわからなかったことだけ覚えている。でも——理屈があるなら「できる」と思って漢字にしてみた。魔力を流し込んでみると、コート全体がじんわりと温かくなった。何かに守られている感覚。ぬくもりの中に、確かな境界があった。
「……これで、少しは大丈夫かも」
「ったく……」
バーツが、すぐそばでぼやいた。口の端が少しだけ緩んでいる。そもそも魔法陣は書くものであって刺繍するものではないらしい。しかも魔法陣の小ささに驚いていた。縫っているからだいぶ大きいとは思うけど、漢字はすごい。
私は小さくうなずいた。
これでようやく、自分の足で歩き出せる。
バーツのための緊急用として、紙の魔法陣も作った。……これを書くための準備が、本当に大変だった。
「……魔法陣が書けない……筆が太すぎる」
筆を弄って何とか細い線を書こうとしたけど、うまくいかない。
「……よくわからんが、売ってる筆はそれだけだ。どうしたらいい?」
バーツは首を傾げながら聞いてくる。優しい……。ちょっとどきどきして温かくなる。
――と、思いついた。
「……ナイフ、貸してもらえる?」
「ダメだ」
バーツは即座に拒否。拘束する腕もぎゅっと強くなる。
「えっ、でも……髪の毛を少し切りたいだけなんだけど」
「!! 絶対にダメだ!」
バーツの拒否は激しかった。まるで私が犯罪者になったような反応だ。
「毛がほしいの。この部分を毛に変えれば細く書けるはずだから」
筆の毛先を指して、これ、と小さく示す。それでも、バーツの顔は怒ったまま。
――どうしよう。
「俺のを使え」
いきなり、抱きしめていた腕をほどいて、自分の黒い巻き毛を少し切ろうとする。
「あ!」
その動きを見て、私は思わず声を上げた。人のを切るのは罪悪感が凄いし、何より巻き毛……。バーツは私の表情を見て、何かに気づいたのかもしれない。
「わかった。ちょっと待ってろ」
そう言うと、バーツは私を寝室に閉じ込めて、外出してしまった。
少し経って、バーツは戻ってきた。手にしていたのは細い繊維糸だ。水分を含ませれば、筆として使えそうだ。
「ありがとう、バーツ」
すごく喜んでいたのがわかったのか、出かける前の怒った顔が嘘のように笑顔になる。
早速テーブルに行き、木の芯に巻かれた糸を切ってもらって束状にする。毛先が細くなる必要があるから量を調整したり、筆の柄の部分に巻きつけてみたりと試行錯誤して、細い線が途切れなく引ける筆先ができた。何度も失敗して、三日はかかったと思う。大変だった。
試し書きしてみると、かなり小さい文字まで書ける。完璧だ。
そんなこんなで作った魔法陣が書かれた紙。
「……まさか、これ……俺に……?」
紙片を手にしたまま、バーツは言葉を失った。ベッドの上に広がる尻尾もぴたっと止まって動かない。
「これは……起動、できんのか? 俺が?」
「うん、多分。私たちツガイだから。もともと魔力の性質も似てるし……それに……」
ちょっと言いにくくて、どもってしまう。
「……あれ……してるから……魔力が混ざってる」
バーツがまだ魔法陣から目を離せないでいる。よかった。
「私の魔力を入れておいて、"最後の一滴"だけバーツが注いでくれれば起動できるはず。使える時間は三十秒。短いけど……防具強化だから、その間に逃げるなり、なんとかできる。使うときは強化したい防具に紙をくっつけてね」
これはコートの魔法陣をいじってるときに気が付いた。バーツが触ると明らかに持続時間が伸びててびっくりした。試さないとわからないけど、きっとできる。
漢字の意味や、その裏にある知識を伝える。それから、大体だけど、一、二、三……と三十まで数えて、時間の長さも説明した。
「わかった。……十分だ」
そう呟いたバーツの声は、いつになく静かで真剣だった。
胸当てを持ってきて、発動する。その間ずっと、バーツは一言も話さなかった。終わった後も、ただぼんやりと胸当てを見つめている。
「……はは、まさか俺が魔法を使う日が来るとはな。世の中、わかんねぇもんだぜ……」
低く、押し殺すような声だった。宝物を拾い上げるように、バーツはその紙を胸当ての二重になっている革の間にしまった。
大事な場面でしか使えない非常用。それでも——バーツの命を繋いでくれるはず。そう祈らずにはいられなかった。
全く未知の世界。だからこそ、できる限りの防御策は作った――と思う。
あとは、行くだけだ。
バーツと決めた日の朝、扉を開けて一歩外界に出た。すぐに「異世界だ」と確信した。
まず、家が変だ。色々な向きに好きなように立っている。しかも外観もロッジみたいに見えるけど違う。丸太を楔みたいに地面に打ち込んで、その間に横向きに丸太を積んで壁を作っている。
え? それ、ズレてない? それは隙間というより穴だよね?……と思ったけど、誰も気にしていないみたいだ。うちは隙間は少しあるけど、穴なんて一つもない。不思議に思って穴を指さしバーツを見ると、彼は真顔で頷いた。
「当たり前だろ。穴なんてあったらツガイが危険だ」
教えてもらったんだけど、信じきれない自分がいた。バーツの言う「危険」が何を指しているのか、ここ最近、少し疑い始めている自分がいる。
道もおかしい。というか、道という概念がほぼない。家と家の間の「隙間」をすり抜けていく。どうやらこれが道らしい。聞けば、昔ここに砦を作るとき、中央に商業区をどんと決めて、その周囲を囲うように居住区を配置しただけで「町づくり終了」だったらしい。あとは住民が好きなところに「俺ここー」と家を建てていった結果、こういう道ができた、と。でも誰も気にしないらしい。
おおらかなのか、雑なのか。
そんな隙間道を歩く私を隠すように、バーツはその大きな背中を巧みに使いながら歩いていく。通行人とすれ違うたびに、何気ない顔で少し身をずらしてくる。私の姿が他人の視界に入らないように、さりげなく、でも確実に。
隙間道を抜けて、私は商業区に足を踏み入れた。ごちゃごちゃとした居住区とは別に、道路を挟んで綺麗に店が立ち並んでいる。看板が道路側に突き出ていて、何の店かわかるようになっていた。異国感はあるけど、なじみがあるような整理された空間に、ちょっとほっとした……のも、少しの間だけだったけど。
何件か通り過ぎたけど、店はなぜか肉屋しかない。看板の形や色が若干違うだけで、全部「にく あります」と書かれている。どこから質問すればいいんだろう。
「ねぇ。………店名ってないの?」
「ん? 店名ってなんだ?」
「お店の名前」
「なんでだ? 肉が売ってるのはわかるぞ」
「……」
ご飯のときに出る肉の量も、肉しか出ない理由も、なんとなくわかった気がした。
今日行くのは一店だけ、とバーツと約束した。八百屋にしたかったけど、季節が変わる前に服を作る必要があるから革屋になった。でも——何件歩いても肉屋だ。
――消費量を考えても多すぎじゃ……。
心が疲れてきたころ、肉屋に囲まれた小さな革屋を発見した。黄色い看板がかかってる。
「めす の ぬの あります」
――うーん。
売り物すら限定的な書き方になった。異世界式の店構えに、色々とびっくりだ。
中に入ると、壁に布や革が置かれた天井までの棚。中央に糸が飾ってある腰までの棚。上に布を出して見ることもできるようになっていた。
店の奥に、オスがいた。大きな体格で、バーツと同じくらいの背丈。顔立ちは比較的柔らかいが、がっちりとした身体をしている。そのオス――おじさんだろうか――は、バーツを見るとにこっと笑った。
「よう、バーツ。久しぶりだな」
「おう。今日は……ツガイを連れてきた」
バーツの言い方は、宣言に近かった。そのオスの目が、バーツの影にいた私を見つける。驚きの表情。そして、確かな喜び。
「……メス……ツガイが見つかったのか」
嬉しそうに何度も頷きながら「いらっしゃい」と言っていた。バーツは何も言わず、後ろにいた私の肩に手を回して引き寄せる。オスに会釈しながらバーツの横に並んだ。
「で。今日は何を?」
「布と糸。それから革」
「ああ、ツガイの衣類を作るんだな。……そっか、外に出るんだ」
男性は何か複雑な表情で私とバーツを交互に見ていたけど、何も言わず営業スマイルで布の棚を指さした。
「布はそっちの棚だ」
気にかかる表情だったけど、目の前の布に圧倒されてすぐに忘れてしまった。
「色がいっぱいある」
「あぁ、メスは可愛いものが好きだからな……」
お店なのにわざわざ耳元に口を近づけて囁いてくる。
「けどな、ルルのほうが可愛い」
フェロモンがやばすぎて、布よりバーツのほうが気になってしまう。
「もお! 邪魔しないで、バーツ」
「くくくっ」
ご機嫌なバーツは、そのまま板にきっちりと巻かれた布を一本手に取り、色々と教えてくれる。糸は、女神が教えてくれたという草から作られていて、草によって太さが違い、糸にするもの、布にするものと使い分けるみたいだ。染粉も草から作られる。
並んで布を選んでいるんだけど、彼はひっきりなしに宝石みたいな緑色を勧めてきた。
「……これもだな。おまえに似合う色なんざ、最初から決まってた」
肩越しにちらりと私を覗き込んでくる。フェロモンたっぷりの視線。店なのに止めてほしい。
「……恥ずかしいから、あんまり見ないで」
顔を背けてそう言うと、彼はにやりと笑った。
「難しいな。ルルは可愛いからなぁ」
どこまでも、まっすぐ。
考え込む暇もないほど、まっすぐに好きをくれる――私も好き。
布が決まったら、次は黒い革を探す。布は高級だけど耐久性が弱いからメス用で、オスの服は革なんだけど——元は虫の皮なんだって。……知った瞬間、鳥肌が立って、手にしていた革から手を離してしまった。黒革にもいろいろあるらしく、バーツは私のほうを見ては、色味を比べていた。
「こっちの黒だと、おまえの目より少し薄いか…こっちか?」
あれこれ真剣に悩む姿が、ちょっとかわいかった。まるで大事な宝石に似合う箱を選んでいるみたいで。なんだかくっつきたくなって、横にいたバーツにそっと身を寄せる。気づいたら、顔が緩んでいた。バーツも、笑っていた。
「選ぶの、楽しいね」
「……そうだな。革一つ選ぶのに、こんなに心が動く日が来るとはな」
バーツの声は、低くて、どこか沁みる音だった。
バーツは黒い革を決めて、何種類かの布と糸、それから革を布屋の主人に手渡した。大きな布なので、適度に切ったものを後で家に届けてくれる仕組みなんだって。
「ありがとうな。また来る」
「ああ。いつでもどうぞ」
そのやり取りから、バーツが何度もここを訪れていることがわかった。
たくさんある私の服。すぐになんて作れるわけがない。
――私がこの世界に来る前もずっと、ここに来てたんだ。
その思いが、私の胸をぎゅっと掴んだ。
彼がこの世界でどんな気持ちを抱えて生きてきたか――そんなことが、少しだけ垣間見えた気がした。




