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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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16/23

スキル習得:魔法陣

朝――昼?

時計も窓もないから、正確な時間はわからない。


瞼が持ち上がると、バーツのとろけそうな顔のアップが目に映った。


「……ん、起きたか。……くく、こりゃもう、反則だな」


ベッドで寝ていたはずなのに、なぜか、居間……しかもバーツの膝の上にいた。


「ん……。寝起きの顔、見ないで……」

「無理だな」


とろけすぎていて、大丈夫かこの人、と思うくらいに幸せそうだ。


「おまえ見てっと、脳みそまで蜂蜜漬けにされそうだ」


今は蜜月という期間らしく、この間はオスとメスはずっと一緒にいて離れないんだって、バーツが教えてくれた。一日中どこに行くにも抱っこをしたがるし、座るときは絶対に膝の上で、食事すら腕の中で食べさせたがる。


――でもね。

もう十日くらい経ってる。説明では確か……七日くらいって言ってなかった?


「ねぇ、そろそろ……外界に出たいんだけど」


そう言ったら、蕩けていた目を少しだけ伏せて――それから、私の頭を抱きしめてきた。


「……あとちょっとだけ。な?」

「虫倒しに行かないの?」

「あぁ……休み取ってる」

「……」


今日もダメか……と思った、けど。バーツは私の頬を軽く舐めて、溜息をついた。


「……ったく仕方ねぇ。おまえが出たいって言うなら、こっちは腹くくるしかねぇ……だが、準備がいる」


 


私をベッドに戻すと、バーツは外出用の服に着替え始めた。


黒い革のズボンに、同じ色のシャツ。ここでは、オスの服は二枚の革を合わせたものが多い。革の素材で色や柔らかさが少しずつ違っていて、用途別に使い分けていると前に教えてくれた。確かに外出用は、少し硬めに見える。


――でも、いつも、黒い服ばっかり。

最初に会ったときは、黒以外の服だったような……?


「ねぇ、違う色の服、持ってなかった?」


脱いだ室内着を手に取りながら聞いてみる。


「あぁ、全部変えた」

「そうなの?」


そういえば、いつ買い物しているのか聞いたとき、私が寝ている間に、買い物と縫い物は済ませていると言っていたっけ。


「ツガイ色だ」

にやけ顔で説明された。


顔が真っ赤になるのがわかる。好きって言い合ったし、抱きしめ合ったし、蜜月だって乗り越えた……けど、バーツの率直な言葉には、いつまでも慣れない。恥ずかしい。


手に取っていたバーツの服を放り投げて、視線をうろうろさせていると、バーツが私の頭をぐしゃっとかき混ぜて、笑いながら扉から出ていった。


「行ってくるな」


今日も私を閉じ込めてから出かけるバーツ。そこはブレないんだね。ちょっと笑ってしまった。


 


バーツは、魔法の本を買ってきてくれた。


「おかえりなさい」

「あぁ、いい子にしてたか?」


買ってきたものをベッドに投げ捨てて、私を抱きしめる。首元で深呼吸されるのも慣れた。


「これ……何?」

「ん? スー……外界はな……ハァ……敵ばっかりだ。全員……スー……が敵と言ってもいい……ハァ」


首元から上げた顔は、外界の恐ろしさで歪んでいた。ちょっと覗くだけくらいのつもりで外界に出る気でいた私は、少し反省した。


――ここは異世界。

危険なのを忘れてた。気を引き締めよう。


離れないバーツに何度も頼んで、やっと居間へ向かう。テーブルの上に本を置いて、私も一人で座った。蜜月でずっと抱っこだったから、なんか不思議な感じがする。


――あ……。


自然と正座になっていた自分に気がついた。「日本人」という、誇りか、懐かしさか、そんな想いが湧き出てきて、心がほっこりした。


ゆるんだ顔を引き締めて、気持ちを落ち着かせてから、目の前の本に集中する。


本は昔の巻物みたいな形をしていた。段ボールとわら半紙の中間みたいな質感の紙を束ねて巻き、紐でぐるぐると結わえてある。ストレートに言えば、紙束の簀巻きだ。慎重に紐をほどくと、中は全部手書き。きっと高い……気がする。


――ん??


「え? ひらがな?」

「読めるのか。……さすが、伝承どおりってわけだな」


褒めながら顔を近づけてきたバーツを、私は紙を丸め直して小突いてやった。空気が甘すぎて、勉強にならない。バーツは懲りずに私の腰を掴み、腕の力だけで抱き上げてくる。


「勉強にならないから、一人で座る」


ここは譲れない。膝の上に持っていかれないようにテーブルの端をしっかり掴む。お尻はもう浮いているけど……。


「ダメだ。膝の上で読んだほうが、身体が温かい分、記憶に残る」


すごい迫力で持論を展開している。でもそんな記憶法、聞いたことがない。絶対に嘘、と突っ込みたいけど、必死で抱きしめたがるバーツに折れて、膝の上で読むことになった。


 


本は合計五枚でできていた。一枚目は魔法の説明。二枚目が魔法陣について。三枚目以降は魔法陣の例が一枚につき一つ書かれている。


――あ……火おこしの魔法陣。これは……ランプの魔法陣だ。


一枚目から、じっくり読んでいく。


「『まほう は、まほうじん に まりょく を そそいで きどう します』」


うん、前にバーツが言っていた。


「『まりょく は、こきゅう で とりこみ、つかう ことが できます』……んー、これってバーツがしてる火おこしとか、ランプとかのこと?」


後ろに振り向きながらバーツに聞く。


「ああ。息してる奴なら皆できる。……ま、俺くらいになりゃ、肉体強化ぐらい朝メシ前だがな」


にやりと笑いながら教えてくれる。


「え? そうなの?」


肉体強化なんて魔法陣、この本にはないのに、すごい。


「くくくっ」


笑いながら立ったバーツは、膝に抱えていた私を軽々と片腕で持ち上げてみせた。


――ん? 

これって、魔法じゃなくて筋肉だよね? 魔法陣使ってないし……。


もぉ……と言いながら、バーツの肩をぱしぱし叩く。喉の奥で笑いながら、バーツはそのまま寝室へ向かった。


「え? ダメダメ! バーツ、ダメ」


チッと言いながら、戻って座りなおすバーツ。まだ一行目なのに。この調子で今日中に読み終わるだろうか……少し不安になってきた。


 


「『まりょく は らんそう で うみだす ことが できます。また らんそう に ためて おくことも できます』」


これもバーツから教えてもらった。


次に書いてあったのは、呼吸法と魔力の出し方。図解もついていた。図を見ると、呼吸法は……あれ? 深呼吸だ。『おおきく すって、ぐっ と おなか の おく に まりょく を おしこめます』と書いてあった。


――深呼吸、か。


思わず自分のお腹に手を当てて、息を吸ってみる。ぐぅっとお腹に力を入れてみたけど、魔力を押し込む感覚は、よくわからなかった。


続きに『からだ の なか の まりょく は、どこからでも だせます』とある。


「ねぇ、ランプを照らせるようになってたら、これはできてるってこと?」

「そうだな、ルルは可愛いから、全く問題ねぇ」


会話になっていないと思うことがある。ちょっと恥ずかしいけど、これも慣れてきた……つもり。


ランプを使いこなしているから、これはできていることにする。最後は、魔法の使い方が一文で書かれていた。


『まほうじん を かく、まりょく を そそぐ、はつどうじょうけん を みたす、まほう が はつどう します』


これだけで問題ない。理解できた。問題はたぶん、二枚目の魔法陣にあるはずだ。


 


二枚目は魔法陣の作り方と使い方。


「『まほうじん には、"じかん"、"ばしょ"、"きぼ"、"ないよう"、"はつどうじょうけん" を かきます』」

「魔法陣を書く液体がこれだ」


小さい革袋に入った液体をお皿に出して見せてくれる。


「乳白色の……絵具?」


油絵具のような重さのある、白く煌めく液体だった。


「ん? これは魔紋樹脂だ。魔石を砕いて粉にして、樹液を混ぜたもんだ」

「まもんじゅし……」

「こっちは筆だ」

「……ふで……」


予想通り、問題がたくさん出てきて「頭を抱える」という言葉を実行してしまった。魔紋樹脂は油絵具くらいの固さでもったりしていて、筆につけたら線が太くなったり細くなったりしそうだ。筆のペン先は木を潰した繊維でできていた。


――だからか。


この本も一文字が大きい。紙はA3くらいの大きさがあるのに、内容そのものはすごく少なかった。思い返してみると、ランプの台座は四十センチ四方はあった。あれは書いてあるわけじゃなく彫刻しているから、より大きいのかもしれない。


とりあえず全部に目を通してから――そう自分に言い聞かせて、抱えていた頭を離す。バーツの胸に寄りかかって深呼吸をして、意識を落ち着かせようとした、その時だった。


「ん? 終わりか? 疲れただろ? ベッドに行くか?」


バーツが私を抱きしめたまま立ち上がる。声が喜んでいて、頬にキスまでしてきた。めちゃくちゃ笑顔だ。


「ちょっと深呼吸しただけだって。まだ勉強する」


なぜ勉強することでこんなに後ろめたくなるのかわからないけど、目を逸らしながら伝えた。


まだか……とため息混じりに言いながら、座りなおすバーツ。”あれ”をお尻の下で感じながら、色んな意味の感情を鎮めるため、深呼吸を続けた。


 


「『すべて の しじ が れんけい するように じん を かきます』」


三枚目以降の魔法陣を参考に眺めていたら、どこかで見た模様に似ていて、記憶の奥をくすぐられるような感覚を味わった。


「………わかった。陣も合わせてるから、こんなに大きい魔法陣になるんだ……」


呟きながら、いつもバーツがご飯を作るときに使っている本物の魔法陣を手に取って、細部までよく見る。三十センチ角の紙。火おこしだけの単純な魔法陣でさえ、この大きさだ。


「あぶねぇから、触んなよ。触ると条件が整ったら発動しちまう」


低い声が頭の上から落ちてきて、取り上げられた紙はテーブルの上に置きなおされた。反射で伸ばしかけていた指を、慌てて引っ込める。


「"いま"、"みているばしょ"、"ちいさい"、"ひがでる"、"ひおこし"」


手に持たず、魔法陣の中に書かれた文字を目だけで追う。文字はこれだけで、あとはこれらを繋ぐ線がぐるぐると陣みたいに書かれている。指を置く場所だけが少し大きめの楕円で用意されていて、飾りじゃないと思わせられた。


「魔法陣の出来はな、字の綺麗さと緻密さだ。汚ねぇと動かねぇ。デカすぎると持ち歩きに邪魔だ。折れりゃ威力が狂う、下手すりゃ不発……そういうもんだ」

「折れたら……ダメなの?」

「あぁ。陣が歪むからな」

「ん…。陣が書かれてないところは折れても大丈夫?」

「それは問題ねぇ」


無意識に紙を指でこすっていた。ごわついた紙。すぐに折り目がつきそうだ。うーん。


線は指示を繋いでいるだけ……なんだけど、不要な線が多い気がする。文字を繋ぐ陣の形そのものに意味があるのかな。うーん。


問題点が、頭の中に少しずつ溜まっていく。


この本の説明の中で一番気になるのが――"じかん"だ。そもそもこの世界には時間の概念がなく、時計すらない。「今」と指定した場合、それは詠唱が終わった"今"なのか、魔法陣を認識した瞬間の"今"なのか。時間のスタートはどこになる? 「十分後」と書いたら? 時計もないのに本当に十分後に発動する? そもそも「十分」なんて、誰の基準の長さになるんだろう。考えれば考えるほど不思議だった。


というか、魔法陣の必要性そのものがわからない。「指示」と本に書いてあるけど、なぜ魔法を発動させるために、わざわざひらがなで「指示」を書く必要があるのか。魔力は命令に従う存在じゃない。ただのエネルギーだ。……じゃあ、誰に命令しているの?


溜息が漏れていたみたいだった。


「おまえならきっと使える。大丈夫だ」


バーツが頭に頬ずりをしながら、力づけてくれる。


「あとは、気合と祈りだな」

「ふふっ。魔法って、けっこう原始的だね」


言い方が面白くて、笑いが漏れた。後ろから回された腕にぎゅっと力が入り、分厚い手のひらが頬を撫でる。温かい。少し煮詰まっていた頭が、ゆっくりとほどけていく。


 


――そうか、自分だ。


胸の奥で、すとんと答えが落ちた。


魔法陣を発動させるために一番重要なのは、魔力そのものじゃない。自分自身に、正確な命令を出すこと。だから文字にする。想像だけでは、細部は必ず曖昧になるから。


「時間」「場所」「規模」「内容」「発動条件」。


魔法陣の枠組みは、命令の骨組みだ。


構造を理解してしまえば――あとは、実行あるのみ。


 


まずは、目の前の課題から。


 


下手をすれば命がかかっている。念を入れて、時間の概念について確認する。


バーツにお願いして砂をもらった。何度か「十秒後」として火おこしを試してみたけど、砂の残り方はまちまちだった。つまり、正確な発動は難しい。これで"じかん"が目安程度だとわかった。改善は後回し。まずは今ある材料で魔法陣を書けるようになりたい。試してみたいことが一つある。


「今から魔法陣を書きたいの。だから」


至近距離でバーツの目を覗き込む。すごく綺麗なエメラルドみたいな目。でも見惚れていられない。


「下ろして、お願い」


必死でお願いする。膝の上にいるとバーツがどこかしら撫でてくるから、落ち着かないし、文字が揺れそうだ。バーツはブッスーとした顔をすると、何も聞こえていない顔で目を背けた。


――そうはさせない。


顔を両手で挟んで、もう一度目を合わせる。


「お願い、バーツ」


全身でイヤ!と表現しながら、ゆっくりと私を隣に置いた。


――置くだけで溜息十回は、さすがに多いと思うけど。


 


私は紙に魔法陣を書いた。バーツが買ってきてくれた筆で、ゆっくりと丁寧に。


「時間」「場所」「規模」「内容」「発動条件」の部分には、


十五秒。

自分の周り。

全体。

光の屈折。

蜃気楼。


――を入れる。


指を書いたばかりの魔法陣にセットした。


さっきとは違う。反対側の手を卵巣の上に置いて、エネルギーを引き上げるようにイメージを持つ。


目を閉じて、息を吸って――ゆっくり吐く。また吸って。お腹を凹ませるように吐きながら、何かを探す。繰り返すうちに、光っているような道を見つけた。真っ暗な空間の中で、一つだけ流れるように光り走る川。


――見つけた。


その流れを丁寧に掴んで、指を通して魔法陣に注ぐ。


ふぅ。


もう一回吸って吐いて、最後の一滴の魔力を注ぎ込む。


「蜃気楼」


空気がすっと冷えた気がした。自分の存在がこの部屋から、少し"ズレ"たような感覚を味わう。立って部屋の端へ移動した。バーツが慌てている。


「ルル!……どこ行った!? 返事しろ、ルル……!」


辺りを見回し、手を伸ばして、ぐるぐるしているバーツ。


ぼんやりと輪郭が歪み、私の姿がにじみ出るように現れる。光と影の狭間から戻ってきたような感覚。私がそこに"在る"と認識されると同時に、バーツの目が鋭く細められた。一歩で距離を詰めてきたバーツが、腕を伸ばして私を抱きしめた。


「……ったく、心臓止まるかと思ったじゃねぇか」


低く吐き捨てるように言いながらも、その目には安堵と甘さが混ざっている。私もまったく疲労感がない。魔力も、ほとんど減っていないと思う。


――これ、いける。


漢字が使えたのも大きい。魔法陣を実用的な大きさに変えたいから、本当に嬉しかった。


 


同じ魔法を、時間を延ばしながら何度か試した。結果、最大でおよそ一日。それでも、もう一発分の魔力は残っていた。


この身体、思っていたよりポテンシャルが高い。


その間ずっと私を見ていたバーツ。私の姿が消えて不安だったはずなのに、我慢してくれて、信じてくれて――ありがとう。


 



























 


もう陽が昇り始めているというのに、眠れやしねぇ。


俺の匂いをまとって眠るツガイを腕に抱いて、首筋にそっと口をつける。


……三十年分の侘しさが、ようやく静かに息をひそめた夜だった。


愛おしい俺のツガイ。何処までも一緒だ。

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