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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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私の変化

あれから何回か、バーツは戦いに行った。

そのたびに私も、自分の心と戦い続けた。





今日も、バーツは朝から虫を倒しに行った。


部屋の中には、魔石のランプがひとつ、淡く揺れている。壁も空気も冷たく感じて、いつも二人で眠っていたベッドが、ぽつんとあるだけだ。壁の隙間から細い光が差していて、それがなければ時間の流れすらわからなかった。


この箱の中で、私はじっと座っていた。


脳みそがじんじんする。毎回同じことを考え続けるのをやめたくて――でも、やめられない。


バーツが出ていくたびに、「帰ってこない。戦場に絶対なんてない」。そんな考えが浮かぶたび、胸の奥がきゅっと冷えた。





家が、わずかに揺れた気がした。


……気配。

誰かが来た、気がする。


「ルル、帰ったぞ」


その声は低く、乾いていて、でも確かだった。靴音がゆっくりと近づいてくる。焦らず、でも真っすぐな足取り。


私はランプに手をかざした。泣いてはいないけど、引きつった口元は直せなくて――見られたくなかった。


扉が、カチャリと音を立てて横に動く。


立っていたのはバーツ。肩がわずかに落ちている。でも……生きていた。


胸の奥で、緊張していた何かがほどけていくのを感じた。少しだけ身体が緩んだとたん、今度は必死に押さえ込んでいた恐怖が、遅れて押し寄せてくる。もし今バーツに触れたら、泣いてしまう気がした。


立ち上がれなかった。ただ顔を背けたまま、声を絞り出す。


「……遅い」

「ん? 寂しかったのか?」


いつもの軽い笑みを浮かべて、私の前にしゃがみ込んだ。飄々とした口調。でも、口調だけだ。膝を折るとき、一瞬、体重を預けるみたいに息を吐いた。


バーツの指先が、そっと髪に触れる。視線を逸らしたまま、ぽつりと呟く。


「ケガは?」

「……してねぇ。俺、しぶといんだよ。死ぬにはまだ早いらしい」


顔を覗き込もうとする気配がした。


本当は、聞きたくない。答えはわかっている――欲しくない答えだけど。それでも口からスルッと質問が出た。


「……また行く……んだよね」

「まぁそうなるな。俺がいねぇと困る奴がいるからな」


冗談めいた口ぶり。でも、多分、口だけだ。


喉が詰まる。言葉が出ないまま、指先に力が入った。


彼とこの部屋にいる間だけ、何事もなかったみたいに過ごせる。狭いこの箱の中で続く時間に、ずっと縋っていたかった。でも――バーツが戦場に行くたびに、胸の奥に黒いものが溜まっていく。この世界を知らないまま待つ時間の方が、耐えられなくなってきた。


「魔力のことも……教えてくれないよね」

「……ああ」


ゆっくりと立ち上がり、隣に座ったバーツは、私を持ち上げて膝の上に座らせると、後ろからぎゅっと抱きしめた。少し強めの腕から、温もりと安心がなだれ込んでくるようだった。


「魔力か……」


首元で、温かい息を感じる。


「作るのも溜めるのもメスだけだ。卵巣に溜め込む。オスはな、使うだけだ。取り込んだ分をその場で燃やす。溜めておけねぇんだ」


溜息のような声で始まった説明は、どこか、欲しかったものを諦めたような口調に聞こえた。


「……で、メスは卵巣が一個だ。溜めた魔力は、全部ガキに使う」


回された腕が、息が止まりそうなくらいの強さになっていた。


「結婚して、ペアに囲われて、子を産む。それが"普通"ってやつだ」


頭の中で、言葉がうまく繋がらなかった。


――卵巣が一つ。

魔力を溜める場所が一つ。なら、二つあったら……どうなるの?


理解するより先に、逃げたい気持ちだけが浮かんでくる。


「あとな……国に登録される。ペアが死ぬと、迎えが来る。"回収"だ。あいつらにとっちゃ、登録されたメスは――モノだ」


登録……? ペア……? 私は、このままだとバーツから離される?


想像以上の現実に、吐き気が出るくらい頭が痛くなってくる。抱きしめられている腕の強さだけが、私の意識を繋ぎとめていた。


「……じゃあ、私は? 登録するの?」


震える声しか出ない。

首元で、かすかに鼻で笑う気配がした。それから静かに――吐き捨てる口調で言った。


「国になんか、くれてやるもんかよ。おまえは……俺のもんだ」


その言い方があまりにも静かで、熱くて、そして怖かった。


「私は……ここにいて、いいの?」


バーツは指で私の顎を自分の方に向けると、しばらく見つめ合い、それからすべてに答えるように、一つ一つ区切って言った。


「……そうだ。問題ねぇ。――そうだろ」


その言い方に、私は少しだけ顔を引いた。


「それ、答えになってないよ」


無意識に出た言葉は、きちんとした言葉を欲しがっていた。同時に、何かが私の中で怯んだのも感じた。これは、ダメ、おかしい――そんな考えが脳裏をよぎり、両親の顔が浮かぶ。


けど、それも一瞬だけ。


私の言葉が、止めていたバーツの何かを決壊させたように、少し掠れた重い口調で言い始めた。


「ルル、おまえがいなくなるの想像しただけで、足元がぐらつく。冗談じゃねぇ。……俺は、本気でおまえを愛してる」


そう言って合わせた目を落とし、私の首筋に顔を埋めた。


「虫? あんなもんより、おまえを誰かに取られる方が、よっぽど怖ぇんだ」


息が耳にかかる。反対側の髪には指が絡まる。この腕は、私を囲うためだけにあるみたいだった。


「……閉じ込めてるって思うか?」


その声には、ほんのかすかな脆さがあった。


――そうか。

バーツも不安で、でも私を離さないんだ。


目を閉じて、頷く。


「……うん。思う。けど」


なんでだろう。彼の「好き」は、疑う前に、もう胸の奥に浸み込んでいた。


「けど?」

「閉じ込められてるくらい、好かれてるって思うと……ちょっと、悪くない」


違和感を感じなくなった「好き」に、自分が救われているのがわかる。


「ふ……なるほどな」


バーツの声が震えた。感情を噛み殺したような声。


「そいつは、俺にとっちゃ最高の"囚人"だ」


それ以上、言葉はいらなかった。


不安は消えない。でも――彼の指先は、「逃げ道なんていらない」と、静かに教えてきた。




























暗い森の中、バーツは静かに息を潜めていた。


前方の茂みがわずかに揺れた。空気が変わる。


――来たな。


姿を現したのは、体長が自分の胸元ぐらいある巨大なカマキリ。光を反射する鎌、黒曜石のような複眼。威嚇もなしに、静かに構えている。こちらを見ていた。


「いい目してんな……だが、今日はこっちも機嫌がいいんでな」


バーツは爪を伸ばし、腰を落とした。カマキリが一気に飛びかかる。空気を裂く鎌の音。紙一重でかわしたバーツは即座に反撃の爪を振り、鋭い一撃がカマキリの肩を裂いて吹き飛ばした。


「おっと、まだやるか」


カマキリは百八十度、頭を回転させて着地する。執念深い眼光。再び飛びかかってきた攻撃は、さっきより速い。バーツは体をひねってかわしたが、革の鎧が裂けた。肩から腹まで薄く線を引く。血は出ていない。だが、薄皮一枚の差だった。


「いいセンスだ。だが、足りねぇな」


バーツは攻撃を受け流し、回転するように体をひねってカウンターの蹴りを叩き込む。カマキリの胴が軋んだ音を立てて後方へ吹き飛ぶ。


それでも立ち上がってくる。


「しつけぇな……嫌いじゃねぇけどよ」


呼吸が荒くなったカマキリ。だが、それはバーツも同じだった。タイミングを見計らい、正面から詰め寄って鎌を掻い潜り懐に入ると、爪を顔面に立てたまま横へ薙ぐ――甲殻が裂け、カマキリの動きが止まった。バーツの爪も折れていた。


「くそ…。生え揃うまでは、ルルに見せらんねぇな」


倒れたカマキリに近づき、体を返す。鎌と羽根――売れる部位だ。魔石もこの虫の中にある。腰から笛を取り出して、短く鳴らした。


「解体屋呼ぶのも慣れたな…」


触覚を切り落として袋に入れる。個体照合のための標本だ。これで今日のノルマは終わり。カマキリ一体。ソロなら、これで十分。いつもなら重たい足取りで帰路につく。けれど今日は違った。自然と歩くペースが上がる。


「…あいつが待ってるんだ。のんびりもしてらんねぇ」


誰に言うでもなく、バーツは笑った。


砦に戻ると、鎧を脱いで馴染みのコートを羽織る。薄汚れたそれをひと払いして、息を吐いた。昼過ぎの砦には干された鎧が風に揺れ、外の戦火を遠くに感じさせた。


バーツは肩をすくめて、ルルのもとへ歩き出した。

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