表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/51

第44話 包囲網完成と真実の自白

 常務は薄暗い倉庫の床を這いずり回り、涎と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「ひぃぃっ! 許して、許してくれ……!」


 己の罪を完全に読み透かされた恐怖から、彼は自らの頭を両手で抱え込み、ガタガタと痙攣するように震えている。仕立ての良かった高級スーツはすでに泥と埃にまみれ、見る影もない。

 晃次(李理香)は、その醜悪な姿を氷のように冷たい視線で見下ろしていた。全身の骨が軋み、筋肉が断裂しそうなほどの激痛が晃次の肉体を苛んでいるが、李理香の強靭な精神力がそれを無理やり押さえ込んでいる。


「……私の命を奪っておいて。自分の番が来たら、そんな無様に這いつくばるのね」


 晃次(李理香)の口から紡がれる声は、静かだが、絶対零度の殺気を孕んでいた。


「だ、誰か……助けて……! こいつは狂ってる……!」


 常務が虚空に向かって手を伸ばし、意味不明なうわ言を口走った、その時だった。


『ギィィィィィィンッ……!!』


 錆びついた倉庫の巨大な鉄扉が、外側から重々しい金属音を立てて引き開けられた。

 暗闇に包まれていた倉庫の内部に、強烈な車のヘッドライトの光が数本、暴力的に差し込んでくる。


「なっ……!?」


 逆光の中に浮かび上がったのは、制服を着た数名の警察官たちのシルエットだった。

 そして、その後方から、息を切らした4人の女性たちが、カツカツとヒールの音を響かせて中へと駆け込んできた。


「上田くん……!!」


 先頭を切って飛び込んできたのは、原ユキだった。普段の完璧なセットアップは少し乱れ、肩で激しく息をしている。その後ろには、メリッサ・チャン、イザベラ・ロッシ、横山千春の姿が続く。

 彼女たちの視線は、血まみれで立つ晃次と、その足元で錯乱して這いつくばっている常務、そして転がっている暴漢たちを瞬時に捉えた。


「け、けいさつ……!」


 常務は警察官の姿を見るなり、這うようにして光の方へと向かっていった。


「た、助けてくれ! お巡りさん! こいつが、この男が急に私を襲ってきて……! 私を殺そうとしてるんだ! 早くこいつを逮捕してくれぇっ!」


 涙と鼻水にまみれた顔で警察官のズボンの裾にすがりつき、必死に命乞いをする。かつて会社の中枢でふんぞり返っていた役員の面影など微塵もなかった。


「……見苦しいわね。本当に、反吐が出るわ」


 晃次(李理香)はゆっくりと振り返り、軽蔑の視線を常務に突き刺した。


「……上田、くん?」


 ユキがハッとして晃次を見た。血まみれでありながらも、一切の恐怖を感じさせない気高い立ち姿。そして何より、その瞳から放たれる冷酷で圧倒的なオーラは、彼女が知っている部下のものではなかった。


「……あなた。今更そんな嘘が、通用すると思っているの?」


 メリッサが一歩前に出た。彼女もまた息を切らしていたが、その涼しげな瞳には静かな怒りが燃え盛っていた。


「あなたがシンガポールへ向かうはずだったこの時間……。私たち、監査委員会のトップを叩き起こして、法務部と一緒にあなたの決裁記録のサーバーをこじ開けたわ。……架空の広告宣伝費、ダミー会社への不自然な送金履歴。すべて、真っ黒だったわよ」

「なっ……!」


 常務がビクッと体を震わせる。


「私の本国チームにも、すでにデータは共有したわ。……明日には、社外取締役の全員がこの事実を知ることになる。あなたの作った汚い裏金のルート、もう誰にも隠し通せないわよ」

「そ、そんな……監査委員会が……!」

「ええ。それに、あなたのそのふざけた嘘、これ以上聞くに耐えないわ!」


 イザベラがサファイアの瞳を怒りに燃やし、強い口調で言い放った。


「人の命を奪っておいて、被害者ぶるなんて最低よ! 私の名前と、ロッシ社が何世代にもわたって築き上げてきたブランドを、あなたたちみたいな血に塗れた裏金で汚そうとした罪……絶対に許さない! 提携は即時破棄よ! 本国にもすぐに連絡して、国際的なニュースにしてやるわ!」


「私……会社のみんなが一生懸命作ってる商品のこと、すごく好きだったのに」


 千春が震える手でスケッチブックを強く抱きしめ、常務を睨みつけた。


「自分の利益のために人を傷つけたり、会社を道具にしたりする人なんて……絶対に、許しちゃいけないと思う!」


 四方八方から突きつけられる、逃げ場のない追及。

 だが、常務はまだ頭を抱え、うわ言のように繰り返していた。


「だ、だから証拠がない……! 資金の流れなんて、どうとでも言い訳がつく……! 殺人だなんて、私がやった証拠がどこにあるんだ……! こいつの妄想だ!」


「往生際が悪いわね」


 低く、冷え切った声が響いた。

 晃次(李理香)がゆっくりと歩み寄り、スラックスのポケットから1台のスマートフォンを取り出した。画面には、メッセージアプリのトーク画面が開かれている。


「あんたが一番信用してたはずの秘書……酒井すず。彼女、あんたのこと完全に見限ったみたいよ」


 晃次(李理香)は、スマートフォンの画面を常務の目の前に突きつけた。


「さっき、私の……いや、上田晃次のスマホと警察のサイバー犯罪対策課宛てに、あんたたちの非公式なスケジュールの記録と、秘密口座への送金指示をほのめかすメールの履歴……全部送ってきたわ」

「なっ……すず、くんが……!?」

「ええ。自分の身を守るために、あんたたちを売ったのよ。『完璧な沈黙の対価』としてね。……あんたの周りには、もう誰も味方なんて残ってないの」


 箱根の夜に結ばれた、危うい共犯関係。すずは自らの管理責任を逃れるため、役員たちを沈める決定的な裏付けデータを、最も効果的なタイミングで提供してきたのだ。

 さらに、晃次(李理香)は足元に転がっていたボストンバッグから、黒い革張りの手帳を掴み出した。


「そして……これが、あんたが私の命を奪った、何よりの証拠よ」


 手帳を警察官の1人に向かって放り投げる。


「その中の、数ヶ月前のページを見てちょうだい。……内田李理香の事故について、こいつがどうやって業者を手配し、どうやって『処理』したか、自分の字でご丁寧に日記みたいに書き残してるから」


 警察官が素早く手帳を開き、懐中電灯の光を当てる。数秒後、その表情が険しく引き締まり、他の警察官たちに短く頷いて合図を送った。


「……同行を願おうか」


 警察官の低く重い声が、常務の頭上から降ってきた。

 すべての退路が、完全に断たれた瞬間だった。


「あ……あぁ……」


 常務は両手を床につき、肩で荒い息を繰り返した。

 もはや言い逃れをする気力も、論理的な思考も残っていなかった。完璧だと思い込んでいた隠蔽工作が、一介の平社員と、自分が踏みにじった女性たちの連携によって、完膚なきまでに破壊されたのだ。


「ち、違うんだ……っ!」


 不意に、常務が顔を上げ、涙と鼻水にまみれた顔で叫び始めた。


「社長が……社長が、やれと言ったんだ……!!」

「……」

「あの女が、代理店との金の流れに勘付いたかもしれないって……! だから、私たちの地位を守るために、早く消せと……! 私は、社長の指示に従っただけなんだ! 私は悪くない、悪いのは全部社長だぁぁっ!」


 自分の身を守るため、長年仕えてきたトップを躊躇なく売り飛ばす。それが、彼らのような人間が最後に剥き出しにする、最も醜悪で生々しい本性だった。


「……もういいわ」


 晃次(李理香)は、わめき散らす男から冷たく視線を切り離した。


「あんたの安い言い訳なんて、1秒たりとも聞きたくない。地獄の底で、自分が奪った命の重さを一生悔やみ続けなさい」


 警察官に両脇を抱えられ、常務は「違う、私じゃないんだ……!」と譫言のように繰り返しながら、引きずられるようにして倉庫の出口へと連行されていった。

 赤色灯の毒々しい赤い光が、冷たい秋雨に濡れたアスファルトを不気味に照らし出している。


(……終わった)


 晃次の肉体の奥底で、李理香の魂が静かに息を吐き出した。

 ずっと抱え続けてきた、理不尽に命を奪われた無念。それを晴らすための復讐のステージが、今、完全に幕を下ろしたのだ。


(ありがとう、晃次。……あんたのおかげよ)


 限界まで張り詰めていた怒りの糸がふっと緩み、彼女の意識が急速に薄れていく。


「……李理香、ちゃん。俺たちの、完全勝利だな」


 晃次の意識が、奥底から浮上してくる。

 その瞬間だった。

 ドクン、と、心臓が肋骨を突き破るような暴力的な音を立てて跳ねた。


「……っ!?」


 視界が急激に暗転し、全身の筋肉が千切れるような凄まじい激痛が一気に押し寄せてくる。

 極限までダメージを負っていた肉体に、強引に魂を同調させていた『完全憑依』。そのリミッターが解除された反動が、津波のように晃次の肉体へと牙を剥いたのだ。


「上田くん!?」

「コージ!!」


 ユキやソフィアたちの焦燥に満ちた叫び声が、遠く、水の中にいるようにくぐもって聞こえる。

 肺から空気が押し出され、息が吸えない。

 晃次の体はゆっくりと傾き、冷たいコンクリートの床へと、意識の糸がぷつりと切れるように倒れ込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ