満月の夜の狂乱(ヤキ入れ)ヒーラー
満月の夜の狂乱(ヤキ入れ)ヒーラー
その夜、ポポロ村の夜空には、雲一つない完璧な『満月』が浮かんでいた。
僕――キッド・ジーニアスは、自室の窓辺からその煌々と輝く月を見上げながら、ふと、ルナキンでのキャルルさんの言葉を思い出していた。
『私の種族、月兎族は、月の満ち欠けによって力が変動して、特に治癒能力や身体能力が異常に高くなるんです』
新村長に就任してから数日、キャルルさんは義母さん(リベラ)から押し付けられた膨大な村の行政書類と格闘し、かなり疲労が溜まっているようだった。
今日は満月。彼女の体力が少しでも回復してくれていればいいのだけれど。
――僕がそんな、のんきな心配をしていた頃。
当のキャルル・ムーンハートは、ポポロ村役場の村長室で、完全に『理性のタガ』を吹き飛ばしていた。
「ああっ……お月様が、とっても綺麗……!」
開け放たれた窓から差し込む満月の光を全身に浴びて、キャルルは恍惚とした表情を浮かべていた。
ドクン、ドクンと。
月兎族の最高峰たる彼女の血が、満月の引力に引っ張られるように沸騰していく。
通常時の何十倍、何百倍という無尽蔵の『闘気』と『治癒の魔力』が、小柄な身体の底から無限に湧き上がってくる。
「力が……癒やしの力が溢れてくる……! ああっ、この有り余る力を、誰かのために使わなきゃ! みんな、最近お仕事で疲れてるはず! 私が、私が治してあげなきゃぁぁぁっ!!」
彼女の脳内から『外面(星の王子様)』の理性が蒸発し、他者への過剰な奉仕精神と、月兎族特有の『ハイテンションな暴力性』が最悪の形で融合した。
キャルルは腰に二本のトンファーを吊るし、タローマンで買った特注の安全靴(先端に鋼鉄超合金入り)の紐をギュッと結び直した。
「いっくよーっ!!」
ダァァァンッ!!
村長室の窓枠を蹴り砕き、キャルルの身体が夜空へと射出される。
ジャンプ力、実に二十メートル。そのまま空中で姿勢を制御し、地面に着地した瞬間にトップスピードへと移行する。
満月時の彼女の走力は、脅威の『マッハ1』。
ポポロ村の静寂を切り裂くソニックブーム(衝撃波)を撒き散らしながら、狂乱の月兎は、村の郊外にある『三国駐留所』へと一直線にカチコミをかけた。
***
ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、アバロン魔皇国。
ポポロ村という緩衝地帯を監視するため、三国の兵士たちが共同で使用している駐留所。
その夜、各国の兵士たちは焚き火を囲みながら、くだらない雑談や愚痴をこぼしていた。
「あーあ、肩が凝ってしょうがねえ」
「全くだ。毎日毎日、見張りばかりで腰も痛えよ……」
そんな平和な空気を、突如として空から降ってきた『隕石のような何か』が粉砕した。
ズドガァァァァァンッ!!
「な、なんだァッ!?」
「て、敵襲か!?」
もうもうと舞い上がる土煙。
その中から、可愛らしいウサギ耳をピンと立てた少女が、爛々と輝く満月を背にして姿を現した。
「こんばんはーっ! ポポロ村の新村長、キャルルでーす! 皆さん、お仕事お疲れ様です! すごく疲れてるみたいだから、私が『回復』させてあげますねぇぇぇっ♡」
ニッコニコの極上の笑顔。
しかし、その目には一切のハイライトが存在しなかった。
「は? 村長? なんだこの女、ふざけ――」
「はーい、そこのお兄さん! 姿勢が悪いですよぉ!」
ルナミス帝国の兵士が魔導ライフルを構えようとした瞬間。
キャルルの姿がブレた。
「『月影流・顎砕き』ッ!!」
トンファーで兵士の銃を弾き飛ばすと同時に、闘気を限界まで圧縮した膝蹴りが、兵士の顎を情け容赦なくカチ上げた。
「ゴベァッ!?」
顎の骨が砕ける生々しい音と共に、兵士の巨体が宙を舞う。
脳震盪と激痛で意識が飛ぶ――はずだった。
「はいっ、『パーフェクト・ヒール』♡」
落下する兵士の身体に、キャルルの手から放たれた極大の『完全回復魔法』が降り注ぐ。
砕けた顎の骨が一瞬にして元の位置に戻り、細胞が超活性化し、痛みすらも一瞬で消し飛んだ。
「……え? あ、あれ? 痛く、ない……っていうか、なんか身体がめちゃくちゃ軽い!? 肩こりも消えてる!?」
着地した兵士が、自分の顔を触りながら驚愕の声を上げる。
「よかったぁ! じゃあ次、いきますねぇっ!」
「えっ、次!?」
キャルルはそのまま大地を蹴り、隣にいたレオンハート獣人王国の人狼兵へと襲いかかった。
「お、おい待て! 俺は獣人だぞ、格闘戦なら――」
「『月影流・鐘打ち』!!」
ドゴォォォォォンッ!!
タローマン特注の鋼鉄安全靴が、遠心力と闘気を乗せた恐るべき回し蹴りとなって、人狼兵の脇腹に深々とめり込んだ。
肋骨が数本まとめてへし折れる感覚。
「ギャァァァァァッ!?」
「からの、『パーフェクト・ヒール』♡」
シャラァァァンッ!
折れた肋骨が、零コンマ数秒で完治する。
「あ、あれ……? 息ができる……それに、昔の古傷まで治ってる……!?」
「アハハハハハ! どんどんいきますよーっ! 皆さん、遠慮しないでぇっ!!」
そこからは、まさに地獄絵図だった。
いや、地獄と天国が秒単位で入れ替わる、理不尽の極致である。
「そこの魔族のお兄さん、腰痛持ちですね! 治します! 『月影流・破衝撃』!!」
「グァァァァッ! 内臓が破れ――」
「『パーフェクト・ヒール』♡ はい治った!」
「おおおお!? 嘘だろ、腰の痛みが完全に消え――」
「まだ歪んでますよ! もう一発! 『鐘打ち』!!」
「ギャァァァァァッ!!」
「『パーフェクト・ヒール』♡」
ドゴォッ! シャラァン! バキィッ! シャラァン!
砕いては治し。
折っては治し。
蹴り飛ばしては、空中で完全回復させる。
満月の狂乱状態にあるキャルルには、「相手を怪我させている」という認識はない。彼女の脳内では「マッサージ(ちょっと強め)をして、魔法で癒やしてあげている」という、純度百パーセントの善意しかなかった。
しかし、される側の兵士たちにとっては、死ぬよりも恐ろしい時間だった。
どんなに激痛を味わっても、次の瞬間には怪我が完治し、体力も全快してしまうため、気を失うことすら許されないのだ。
「ひぃぃぃっ! 悪魔だ! 回復する悪魔だぁぁぁっ!!」
「誰か! 誰かアイツを止めてくれぇぇぇっ!!」
兵士たちの悲鳴と、治癒の光と、打撃音。
ポポロ村の駐留所は、朝まで終わることのない『過剰医療(ヤキ入れ)』の嵐に包まれたのだった。
***
――そして、翌朝。
チュン、チュン、と小鳥のさえずりが響くポポロ村役場の村長室。
デスクの下で、キャルル・ムーンハートは、お気に入りの人参抱き枕をギュッと抱きしめながら目を覚ました。
「んぅ……よく寝たぁ……」
朝日を浴びて、月兎族の血の昂ぶりは完全に静まっていた。
彼女はむくりと起き上がり、大きく伸びをする。
「あれ? 私、なんでデスクの下で寝てるんだろう? 昨日の夜、たしか書類の決裁が終わらなくて、お月様を見てたら急に元気が湧いてきて……」
キャルルは首を傾げ、ふと自分の足元を見た。
タローマンで買った特注の安全靴。汚れ一つない綺麗な状態だが、なぜか、そこから微かに『凄まじい戦闘の匂い(鉄と汗の匂い)』が漂っている。
その瞬間。
彼女の脳裏に、昨夜の惨劇――いや、満面の笑みで三国駐留所の兵士たちを蹴り飛ばし、顎を砕き、回復魔法をかけまくっていた記憶の断片が、フラッシュバックした。
「……………………はっ!?」
キャルルは顔面を真っ青にし、安全靴を抱えたまま、ブルブルと激しく震え始めた。
「や、やっちゃった……! 私、またやっちゃったよぉぉぉっ!!」
村長に就任して数日。
彼女はさっそく、近隣の軍事施設に対して『単独で武力行使(※ただし被害者は全員超健康になる)』という、国際問題ギリギリの暴挙をやらかしてしまったのだ。
「ど、どうしよう! リベラさんに怒られる! 兵士の人たちに訴えられちゃうぅぅっ!」
ウサギ耳をシナシナと垂らし、デスクの下でガタガタと震える新村長。
だが、彼女はまだ知らなかった。
昨夜の彼女の『熱い指導(ヤキ入れ)』によって、兵士たちの心境に、とんでもない変化が起きてしまっていることを――。
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