第三章 学園と同盟
王立貴族学園──そこは、単に若き貴族たちが教養を修める場ではない。未来の国政を担う者たちが派閥を形成し、権力を競い合う、言わば「小さな戦場」だった。
大夜会での鮮烈な一件以来、学園内での私への風向きは劇的に変わっていた。「高慢な悪役令嬢」から「平民を温かく迎え入れた、聡明で慈悲深い公爵令嬢」へ。ゲームのシナリオが少しずつ歪み始めているのを肌で感じながら、私は次の布石を打つべく動いていた。
私は、特待生であるヴィヴィアンと同じクラスになった。本来のゲームなら、クラスメイトを扇動して彼女の教科書を隠すなどの嫌がらせに走る場面だが、今の私は違う。
「ヴィヴィアン、この魔術式の展開、少し複雑で難しいわね。もしよければ、放課後に図書室で一緒に解かないかしら?」
昼休み、私は自ら彼女の席へと歩み寄り、優雅に小首を傾げた。
「え……? い、いいのですか? ヴァルミナ様のような高貴な方が、私なんかと……」
ヴィヴィアンは驚いたように大きな瞳を丸くし、周囲の貴族生徒たちもざわついた。だが、私はあえて声を大きく、凛とした声で告げる。
「あら、平民だからという理由であなたの才能を差別するつもりはないわ。大夜会でのドレスの着こなしも見事だったけれど、あなたの魔力制御のセンスは素晴らしいもの。優秀な者と切磋琢磨するのは、グラックフォール家の者として当然の姿勢よ」
前世の社畜時代、私は学んだ。優秀な部下や同僚を孤立させるのは無能の極みであり、真っ先に自分の陣営に引き入れることこそが、プロジェクトを成功させる鉄則だと。
「ヴァルミナ様……。はい! ぜひ、ご一緒させてください!」
純粋な喜びを瞳に浮かべるヴィヴィアンを見て、私の胸が少しだけ痛んだ。ゲームでのヴァルミナは、この真っ直ぐな光に嫉妬し、自ら破滅の道を突き進んだのだ。だが、今の私は彼女を敵に回さない。むしろ、彼女という「光」を私の正当性を証明する盾とする。
しかし、光が強ければ強いほど、その裏には濃い影ができる。
この学園には、私の成り上がり計画において、どうしても味方に引き入れなければならない「影」の重要人物がいた。
──ルカス・ド・フェルナンデス。
魔法戦士科の首席であり、白銀の髪に凍てつくような氷の瞳を持つ美青年。彼はかつて王室に仕えた名門騎士家の生き残りだが、数年前、彼の父親は「謀反の疑い」をかけられ、時の最高魔導師であった私の父、グラックフォール公爵によって処刑されていた。
ゲームの隠しルートにおいて、ルカスは反王政派の地下組織と繋がり、ジェームズへの復讐を誓う「狂犬」として描かれる。そして最悪なことに、ゲーム後半でヴァルミナが破滅する際、彼女に「反乱の罪」を着せてすべての泥を引っかぶせた張本人こそが、このルカスだったのだ。
(彼を放置すれば、私はいつか彼の復讐の巻き添えを食らって死ぬ。ならば、先手を打って彼の牙を私以外に向けさせるしかない)
放課後。夕日が赤く染める時計塔の裏、人通りの途絶えた中庭で、私は一人で彼を待ち伏せした。
カツン、と硬いブーツの音が響き、銀髪をなびかせたルカスが姿を現す。その容姿はどんなクリスタル・シャンデリアよりも冷徹にきらめいており、一瞬、前世の記憶を忘れて見惚れてしまいそうになるほどだった。だが、彼の瞳にあるのは剥き出しの警戒心だ。
「……何か用か、グラックフォール令嬢。俺のような『罪人の息子』に、公爵家の輝かしいお姫様が何の用だ」
刺すような声音。しかし、私は一歩も引かずに微笑んだ。
「ルカス様、単刀直入に申し上げますわ。我がグラックフォール家の地下書庫には、禁書『古代の封印術・第一階梯』が保管されています。……あなたが血眼になって探している、あの失われた魔導書よ」
ルカスの瞳が、わずかに、しかし確実に激しく揺れた。彼は一瞬で間合いを詰め、私の喉元に鋭い視線を突きつける。
「……なぜ、それを知っている。貴様、誰から聞いた?」
「誰も。ただ、知っているのよ。そして──あなたがこの歪んだ国と、父親を殺した王太子ジェームズに復讐しようと裏で動いていることもね」
ルカスの全身から、肌を刺すような冷たい魔力が膨れ上がった。ここで私が叫べば、彼は一発で国家反逆罪だ。しかし、彼は私の目をじっと見つめ、私が本気で彼を売るつもりがないことを察したのか、低く唸るように問いかけた。
「……俺を密告しない理由はなんだ。お前は王太子の婚約者だろう」
「私の父は、王命に従ってあなたの父親を処刑した。それは事実よ。けれど、私はその過去の因縁のせいで、あなたに後ろから刺されて破滅する未来なんて真っ平ごめんなの。私は父の罪を背負うつもりはないし、あなたに恨まれる筋合いもないわ。だから──取引を提案しに来たのよ。手を組まない?」
「取引だと? 公爵令嬢が、反逆者と?」
「ええ。あなたが望むのは、父親の無念を晴らし、腐敗した貴族たちを粛清することでしょう? ならば、私を利用しなさい。私はグラックフォール家の次期当主として、表舞台での権力、影響力、そしてこの国を合法的に変える力を手に入れる。あなたが望む『正義』の舞台を私が表で整えるわ。その代わり、あなたは私の『影』として、私の邪魔をする不穏分子を裏で排除して。これは対等な同盟よ」
ルカスは長い間、私の紫の瞳を値踏みするように見つめていた。私の目に恐怖はなく、ただ「生き残る」という冷徹な計算と強い意志だけがあるのを見て、彼はふっと自嘲気味に 唇の端を上げた。
「……面白いな。噂に聞く傲慢なお姫様とは、中身がまるで別人のようだ」
「買い被らないで。私はただ、自分の人生の主導権を誰にも渡したくないだけよ」
「いいだろう、その提案、乗ってやる。だが、もしお前が俺を裏切り、王室の犬として動いたその時は……その美しい首を容赦なく撥ねる」
「当然よ。私も同じことを言うわ。私の泥を塗るような真似をすれば、公爵家の魔術で消し去ってあげる」
夕闇の中、私達は冷たい笑みを交わし、秘密裏に握手を交わした。
こうして私は、ヒロインであるヴィヴィアンという「表の光」と、復讐者であるルカスという「裏の影」。その二つの最強の駒を、同時に自らの陣営へと繋ぎ止めることに成功したのだった。




