第二章 宴の罠と逆転の一手
翌晩、王城の大夜会平は、眩いばかりの光と熱気に包まれていた。
天井に吊るされた数十基のクリスタル・シャンデリアが、魔力によって途切れることのない純白の光を放ち、その下で最高級のシルクやベルベットをまとった貴族たちが、贅を尽くした料理とワインを手に談笑している。
私は、自身の髪と同じ、燃えるような真紅のイブニングドレスに身を包んでいた。胸元にはグラックフォール家の家紋である不生鳥のブローチ。鏡で見た時よりもさらに冷徹で、そして圧倒的な存在感を放つ自分の姿に、内心で小さく息を吐く。
「──いよいよ、ここからが本番ね」
周囲を見渡すと、ゲームの攻略対象である貴族の嫡男たちが、それぞれの派閥で固まっているのが見えた。そして中央の雛壇には、私の婚約者である王太子ジェームズ・アーサー・グラントリー。金糸の髪に澄んだ青い瞳を持つ彼は、若き英雄としての品格を漂わせているが、その視線はどこか退屈そうに宙を泳いでいる。
「ヴァルミナ様、どうなさったのですか? 先ほどから王太子様が、あなたをお呼びですよ」
背後から、私の専属侍女であるエルナが慌てた様子で声をかけてきた。ゲームの記憶が正しければ、彼女はのちに私の悪行を手伝わされ、最終的には一緒に破滅する運命にある忠実なメイドだ。
「あら、そう? じつは少し、人酔いしてしまったのか頭痛がするの。ジェームズ様には、宴が本格的に始まるまで別室で少し休ませていただくとお伝えして」
「えっ? ですが、間もなくヴィヴィアン様が──」
「構いません。すぐ戻るわ」
私はエルナの言葉を遮り、優雅に、しかし迅速な足取りで会場の喧騒から離れた。
ゲームのシナリオにおける「最初のイベント」の時間が近づいている。本来のヴァルミナは、この宴の直前、平民出身の特待生ヴィヴィアンの控室に忍び込み、彼女のドレスに「水に触れると真っ赤に変色する魔法染料」を仕掛けるはずだった。そして、給仕にわざとワインをこぼさせ、ヴィヴィアンのドレスを汚し、「平民の泥泥娘が、高貴な場を汚した」と嘲笑する筋書きだ。
当然、私はそんな悪趣味な嫌がらせはしない。しかし、心の中に冷たい予感があった。
(ゲームのヴァルミナが動いていないのに、もし『シナリオの強制力』や、あるいは別の『誰か』の意志で、同じ事件が起きようとしていたら?)
グラックフォール公爵家をよく思わない政敵は多い。ヴァルミナが動かなくとも、誰かがヴィヴィアンを罠にかけ、その罪を「嫉妬に狂った公爵令嬢ヴァルミナ」に着せる可能性は十分に思案できた。前世の社畜時代、手柄を横取りされ、ミスを押し付けられそうになった経験が、私の危機管理センサーを最大に震わせている。
私は気配を消し、王城のゲスト用控室へと向かった。
ヴィヴィアンに割り当てられた部屋の前には、不自然なことに見張りの衛兵がいない。そっとドアを開け、主のいない部屋に滑り込む。トルソーに掛けられた、ヴィヴィアンが着る予定の純白のドレス。
「……やっぱりね。私の読み通りだわ」
ドレスの裾と袖口の裏側を注意深く観察すると、ごく微量だが、鈍い輝きを放つ「不可視の魔力粉」が固着していた。
これは私が仕掛けたものではない。だが、グラックフォール家が秘匿する術式によく似た、衣服をドロドロに変色させる悪質な呪詛染料だ。私が何もしなくても、ヴィヴィアンがこれを着て会場に出れば、ドレスは汚れ、その術式の共通性から私が犯人だと断定される手はずだったのだ。私を悪者にしてヴィヴィアンを可哀想なヒロインに仕立て上げ、同時にグラックフォール家の威信を失墜させる──誰が仕組んだかは知らないが、実に陰湿な罠だ。
「私を嵌めるつもり? 面白いわね……。その泥仕合、前世の修羅場を生き抜いた私の企画力で、極上のエンターテインメントに変えてあげるわ」
私は不敵に微笑むと、袖口から自身の魔力を込めた扇を取り出した。
グラックフォール家の「解呪と魔力置換」の術式を頭の中で高速で組み立てる。前世のOL時代のプログラミング感覚に近い。呪いの染料を検出し、それを綺麗に回収して、手持ちのガラス瓶へと吸い込ませる。
そして代わりに、私が密かに持ち歩いていた別の術式──「光の乱反射による魔力付与」をドレス全体に丁寧に施した。
「これでよし。ちょっとしたサプライズの準備は完了ね」
私は何食わぬ顔で大夜会平へと戻り、ジェームズの斜め後ろ、本来の婚約者の位置に音もなく収まった。
それから数分後。会場の扉が大きく開かれ、ヴィヴィアン・ライトモアが入場した。
その瞬間、会場全体が水を打ったように静まり返った。
誰もが、彼女を侮るか、あるいは同情するような目で見ていた。しかし、彼女が一歩、シャンデリアの光の下へと踏み出した瞬間、その純白のドレスが奇跡のような変化を見せたのだ。
ただの白い布地だったはずのドレスが、光を浴びた瞬間、まるでオーロラや星屑を紡いだかのような、幻想的な虹色の輝きを放ち始めた。ヴィヴィアンが動くたびに、ドレスは生き物のように輝きを変え、彼女の可憐さを何倍にも引き立てる。
「……な、何だ、あの美しい光は?」
「平民の娘があれほどの高位魔法が施されたドレスを? いや、あれは聖女の祝福か……?」
貴族たちの間で驚嘆と称賛の声がさざ波のように広がっていく。罠を仕掛けた本人は今頃、泡を食っていることだろう。
王太子ジェームズもまた、その美しさに目を奪われ、吸い寄せられるようにヴィヴィアンへと歩み寄ろうとした。
──そのタイミングを、私は逃さなかった。
私はジェームズよりも一歩早く、凛とした足取りでヴィヴィアンの前へと進み出た。周囲の貴族たちが「悪役令嬢が嫉妬で怒り狂うぞ」と身構えるのが分かった。
「ヴィヴィアンさん。素晴らしい着こなしですわ。本当に美しい」
私は満面の、そして非の打ち所のない高貴な微笑みを浮かべて彼女の手を取った。ヴィヴィアンは突然の私のアプローチに、怯えたように肩を震わせる。
「ヴァ、ヴァルミナ様……? これは、その……」
「驚かせてしまってごめんなさいね。じつはそのドレス、我がグラックフォール家に伝わる、光を織り込む魔力染料のレシピを、私が事前に裏から施させていただいたの。平民でありながら特待生として努力する貴女への、私からのささやかな『歓迎のギフト』ですのよ。サプライズにしたくて、内緒にしていましたけれど」
嘘である。完璧な大嘘だ。
しかし、グラックフォール家は伝統ある魔術の名門。その令嬢がこれほどの高等魔術を披露し、寛大さを見せることは、周囲にとって「納得のいく説明」だった。
ジェームズが驚いたように私を見た。
「ヴァルミナ……君がこれを? ヴィヴィアンのために?」
「ええ、ジェームズ様。彼女はこれから私達と共に学園で学ぶ仲間ですもの。これくらいの歓迎は当然ですわ」
ヴィヴィアンは戸惑いながらも、罠から救われ、さらに公の場で名誉を与えられたことに気付き、その大きな瞳に涙を潤ませて私を見上げた。
「ヴァルミナ様……本当に、ありがとうございます……!」
「どういたしまして。これからも、よろしくね」
私は彼女の手を優しく握り返しながら、心の底から満足な笑みを浮かべた。
これで最初の破滅フラグは完全に叩き折った。それどころか、ヒロインを「庇護すべき対象」として私の手の内に収め、王太子には「聡明で慈悲深い婚約者」としての印象を植え付けることに成功したのだ。
完璧な逆転劇。しかし、これはまだ「成り上がり」の第一歩に過ぎないことを、私は知っていた。




