10
♪
『八番。吾紅夜悠佳さん。日本!』
日本語のコールの後に、英語でも同じ内容が繰り返される。
本日の表彰台大本命の登場に、会場からは一際大きな歓声が送られている。
吾紅夜は両手を広げて、観客に挨拶、そしてスタート位置に着く。
曲目は、カルメン。
運動会などでよく聞く有名な曲だが、その内容はかなり悲惨なものだ。
ヒロインのカルメンは悪女で、真面目な男ドン・ホセを誘惑する。
ドン・ホセは彼女のせいで人生を台無しにして、最終的にドン・ホセがカルメンを刺し殺す。そういう感じのストーリーだ。
この曲を演じる場合、一般的にはヒロインのカルメン、強く美しい女性を演じるのだが、彼女はそうでは無いという。
彼女が演じるのは、復讐を果たすドン・ホセ。
これが何を意味しているのか。そして、彼女にとってのカルメンは誰──否、何なのか。
ソレを思うと、胸が痛い。
軽やかな動きから、軽いステップ。そして、少し長めの助走。
予定では三回転ルッツ+三回転トウループの最難度の技だが──。
左足の助走、僅かに身体を沈め、右足のトウを氷に突き刺す。
三回転ルッツ。
さらに──三回転トウループ!
会場から今日一番の声援が送られる。
決めた! 決めて見せた。
三回転三回転、かつ高難度のルッツ‐トウ。女子選手ではそうそう見ることの出来ないコンビネーションだ。
次の三回転フリップも難なく決め、そのまま立て続けにスピン、スパイラル、スピン、イナバウアーからの二回転アクセル。
そしてストレートラインステップで会場を盛り上げ、レイバックスピンでフィニッシュ──。
♪
得点が出たとき、思わず私はガッツポーズを取ってしまった。
優勝に近づいた。
正直、ファイナルなんてどうでもよかった。
いや地元開催の世界選手権出場の内定がかかっているから、どうでもいいことなんてない。
母の墓石の前で、金メダルを取って、それを捧げられるのであれば、それはせめてもの償いになろう。
けど、今この瞬間は。そんなことよりも、もっと大事なことがある。
真琴くんが、なんでもしてくれると言った。
もし、優勝できたらその時は──。
考えるだけでドキドキする。
「吾紅夜選手! SP一位ということですが、ご自身でどう演技を振り返りますか」
記者がマイクをこちらに向けてくる。
「三回転三回転も決まりましたし、自身の最高の演技が出来たのでよかったです」
当たり障り無い返答。
「ドン・ホセを演じる、と前回おしゃっていましたが、ご自身ではどうでしたか?」
この質問の主の顔には覚えがある。
前回、いや、五輪以降なんどもインタビューされている。そして、ついこないだ
私と往人の写真でスキャンダル記事を乗せた週刊誌の記者だ。
本来なら、口をきいてなんてやりたくないし、むしろ殺してやりたいくらいだ。
けれど、私はぐっと抑えて笑顔を向ける。
「私の中では演じられたと思っています」
ちなみに、心中では、お前デブだし臭いんだよ! とその記者を罵っている。
私は、次のNHKの記者のインタビューに満面の笑みで答える。
こちらは出来るだけ良い笑みを浮べる。
別に、これは作り物ではない。私は別にすべてのマスコミや記者が嫌いなわけではない。ただ、あいつみたいな、事実無根の記事を書く週刊誌が嫌いなだけだ。
「では、二位の愛湖原選手にお伺いしますが、今日の出来はそうでしたか?」
「はい。今日は全体的には良かったのですが、ルッツでは減点されてしまったので、そこは反省したいです」
「難しい技は回避して、確実に来た印象がありましたが?」
「はい。朝から、ルッツとフリップの調子がよくなかったので、今日はそれを回避しました。けれど、明日はその分、大技に挑みたいと思っています」
「その大技は、三回転半、と受け取っても?」
「一応そのつもりです」
そう答えると、会場から一斉にシャッター音。
そして、すかさず私にマイクが向けられる。
「では、もう一度吾紅夜選手に聞きたいのですが、明日は四回転をする予定は?」
無い。
今シーズンは、四回転は封印。
それはコーチと話し合いの上で決めたことだ。
けれど、あのデブ記者に言われて、私のプライドがうづいてしまった。
「一応、今シーズン四回転は封印する予定です」
と再び勢いの良いシャッター音。
「それは、五輪の失敗を受けてですか?」
「そう受け取ってもらって構いません」
そう答えたけど。
心の中では、ある決意が固まっていた。
決めてやろうじゃないか。
私を蔑んだ人間に見せ付けてやるんだ。
明日は、四回転を決めてやる。
そして、最後には……。




