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7/9

領主様、私たちは本当に住んでいていいんですか?

「……領主様。私たちは、いつまでここに住んでいていいんでしょうか」


 その言葉を聞いた瞬間、私は手にしていたカップを止めた。


 ルクシエル辺境領に来て、三日目の朝。


 十年ぶりに水が戻ったルクシアの広場には、今日も村人たちが集まっていた。


 井戸の修復が終わったとはいえ、すぐに以前の暮らしへ戻れるわけではない。


 水路の状態を定期的に確かめる必要があるし、井戸の水も飲み水として安全か、しばらく確認しなければならない。


 それでも、村の皆様の表情は、初めて会った日より少し明るくなったように思う。


 だからこそ。


 目の前の女性が、こんなにも不安そうな顔をしていることに、私は驚いていた。


「……いつまで、ですか?」


 聞き返すと、女性は肩をびくりと震わせた。


 三十歳前後だろうか。


 色あせた服を着て、両手には固い胼胝(たこ)ができている。


 その背後には、小さな男の子が隠れていた。


「す、すみません! 変なことを聞いてしまって……!」


「いいえ。そんなことはありません」


 私は慌てて首を横に振った。


「どうして、そう思われたのですか?」


 女性は、唇を噛んだ。


 それから、周囲を気にするように視線を動かした。


「……新しい領主様が来ると、村の人間は追い出されるって……昔から、そう聞いていたので……」


「……追い出される?」


「はい……」


 女性の声が、どんどん小さくなっていく。


「この土地は、もう価値がないから……人が住んでいても仕方ないって……」


 私は、言葉を失った。


 価値がない。


 人が住んでいても仕方ない。


 そんなことを。


 一体、誰が言ったのだろう。


「……あの、奥様」


 私は、できるだけ優しく声をかけた。


「お名前を伺ってもよろしいですか?」


「……ハンナ、と申します」


「ハンナさんですね」


「は、はい」


「では、ハンナさん。少し、詳しくお話を聞かせていただけませんか?」


 すると。


 ハンナさんは、困ったように私を見つめた。


「……でも」


「はい?」


「そんなことをお話しして……怒られませんか?」


「…………」


 私は、胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。


 ……そうか。


 この人は。


 自分の暮らしについて質問することさえ、怖いのだ。


「怒ったりしません」


 私は、はっきりと答えた。


「むしろ、教えていただきたいのです」


「……本当に?」


「はい」


 私は微笑んだ。


「私は、まだこの土地のことをほとんど知りませんから」


 すると、ハンナさんの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


 ◇ ◇ ◇


「……十七年前のことです」


 ハンナさんは、ぽつりと話し始めた。


「王都から、お役人様が来たんです」


 私は、静かに耳を傾けた。


「この土地は復興が難しいから、住んでいる人間を別の場所へ移す計画があるって……」


「……移住計画、ですか?」


「はい。でも……」


 ハンナさんは、男の子の手を握り直した。


「移住するには、お金が必要だったんです」


 ……お金?


「移住の費用を、住民が負担するということですか?」


「そう聞きました。新しい土地で暮らすための家も、畑も、自分たちで用意しろって……」


「…………」


「それができないなら、ここに残るしかない。でも、残るなら税金は払えって……」


 私は、思わず眉をひそめた。


 移住することもできない。


 残って暮らすことも難しい。


 ……そんな。


 あまりにも、ひどい。


「……それからも、何度かお役人様が来ました」


 ハンナさんは続けた。


「新しい領主が決まれば、この土地の使い方も変わるかもしれないって……」


「……そうなのですね」


「だから、みんな怖いんです」


 ハンナさんは、私を見つめた。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「領主様が、この土地を売ってしまうんじゃないかって」


「…………」


「私たちの家を壊して、別のものを造るんじゃないかって」


 男の子が、母親の服をぎゅっと握った。


「……おかあさん」


 小さな声。


「ぼくたち、おうちなくなるの?」


 その言葉に。


 私は、息を呑んだ。


 ハンナさんは、慌てて息子を抱きしめる。


「だ、大丈夫よ。きっと……」


 けれど。


 その声には、自信がなかった。


 私は、ゆっくりと膝を折った。


 男の子と、目の高さを合わせる。


「……こんにちは」


 男の子は、母親の陰からそっと私を見た。


「……こんにちは」


「お名前は?」


「……ノア」


「ノア君ですね」


 私は微笑んだ。


「私はエリシアです」


「……りょうしゅさま?」


「ええ。そうですよ」


 ノア君は、しばらく私を見つめていた。


 そして。


「……ぼく、おうちにいたい」


 小さな声で、そう言った。


「……そうなのですね」


「うん……」


「どうして?」


 すると、ノア君は少しだけ考えた。


「……おとうさんが、なおしてくれたおうちだから」


「…………」


「やねがこわれたとき、おとうさんが、がんばってなおしたんだよ」


 私は、胸が締めつけられるような気持ちになった。


 家。


 それは、ただの建物ではない。


 誰かが暮らし。


 誰かが笑い。


 大切な思い出を積み重ねてきた場所なのだ。


「……そう」


 私は、静かに頷いた。


「大切なお家なのですね」


「……うん」


 私は、少しだけ微笑んだ。


「では、そのお家を守るために、私にもできることを考えさせてください」


 ノア君が、目を丸くした。


「……ほんと?」


「はい」


 私は頷いた。


「ただし、何でもすぐに直せるわけではありません。だから、まずは皆様とお話しするところから始めたいのです」


 ◇ ◇ ◇


 その日の昼。


 私は、ガルド様のもとを訪れた。


「……村の集会を開きたい?」


 ガルド様は、険しい顔で聞き返した。


「はい」


「何のためだ?」


「皆様が何を不安に思っているのか、きちんと聞きたいのです」


「……不安?」


「はい」


 私は、朝の出来事を説明した。


 ハンナさんの話。


 昔の移住計画。


 そして、ノア君の言葉。


 それを聞き終えると、ガルド様は深く息を吐いた。


「……ああ」


「ご存じでしたか?」


「知ってるさ」


 ガルド様は、苦々しげに言った。


「あのときは、村が本当に消えるかと思った」


「……そうなのですね」


「移住しろと言われても、金がない。残れと言われても、畑が育たねえ」


 彼は、拳を握った。


「それでも、ここで生きるしかなかったんだ」


「…………」


「俺たちには、他に行く場所なんざなかった」


 その言葉が、胸に重く響いた。


 ……他に、行く場所がない。


 私は、婚約破棄された後。


 自分の意思で、この土地を選んだ。


 けれど。


 ここに住む人たちは、選べなかったのだ。


「……ガルド様」


「何だ?」


「皆様を、集めていただけませんか?」


 私は、まっすぐにガルド様を見つめた。


「私の考えを、きちんとお伝えしたいのです」


 ガルド様は、しばらく黙っていた。


 それから。


「……何を言うつもりだ?」


 私は、少しだけ考えた。


 そして。


「……まずは」


 静かに答えた。


「この土地で暮らすことを、誰にも諦めてほしくないとお伝えしたいです」


 ◇ ◇ ◇


 夕方。


 ルクシアの広場には、村人たちが集まっていた。


 井戸の周りに並ぶ、大勢の人々。


 子どもたち。


 お年寄り。


 農具を手にした男性たち。


 小さな赤ちゃんを抱いた女性もいる。


 私は、その光景を見つめながら、少しだけ緊張していた。


 ……思っていたより、たくさんいらっしゃるわ。


 ガルド様によれば、中心集落の住民だけでなく、近くの小さな集落から来た人たちもいるらしい。


 皆、何かを待つように私を見つめている。


 期待。


 不安。


 疑い。


 そのすべてが、入り混じった視線だった。


「……お嬢様」


 隣から、マリアが小さく声をかけた。


「大丈夫ですか?」


「……ええ」


 私は、ゆっくりと頷いた。


「少し緊張しているけれど……」


「当然です」


 マリアは、優しく微笑んだ。


「でも、お嬢様なら、きっと大丈夫ですよ」


 私は、その言葉に少しだけ勇気をもらった。


 すると。


「……エリシア」


 レオン様が、静かに声をかけた。


「……はい?」


「無理に、立派なことを言おうとしなくていい」


「……え?」


「君が思っていることを、そのまま伝えればいい」


 私は、思わず目を瞬かせた。


 ……そのまま。


 自分が、思っていることを。


 王宮では、いつも言葉を選んでいた。


 誰かを不快にさせないように。


 王太子殿下の機嫌を損ねないように。


 自分の意見よりも、相手が望む答えを優先していた。


 けれど。


 ここでは。


 私が、領主なのだ。


「……ありがとうございます」


 私は、静かに微笑んだ。


「行ってまいります」


 ◇ ◇ ◇


「皆様」


 私は、広場の中央に立った。


 ざわめきが、少しずつ静まっていく。


「本日は、お集まりいただきありがとうございます」


 私は、ゆっくりと頭を下げた。


「改めまして、エリシア・フォン・アルベルトと申します」


 村人たちは、黙って私を見つめている。


「このたび、国王陛下よりルクシエル辺境領を拝領(はいりょう)いたしました」


 その言葉に、何人かの村人が顔を強張(こわば)らせた。


 ……やっぱり。


 まだ、怖いのだろう。


 私は、静かに続けた。


「今日は、皆様にお伝えしたいことがございます」


 私は、一度だけ深呼吸した。


 そして。


「私は、この土地に暮らす方々を、追い出すつもりはありません」


 広場が、静まり返った。


 数秒の沈黙。


 やがて。


「……本当か?」


 誰かが、低い声で尋ねた。


「はい」


 私は、はっきりと答えた。


「今、ここで暮らしているという理由だけで、皆様の家や土地を奪うことはいたしません」


「……でも」


 年配の男性が、ゆっくりと手を上げた。


「新しい領主が来たら、土地を売るって話が……」


「そのような計画は、ございません」


 私は、静かに答えた。


「少なくとも、私が領主である間は、皆様の暮らしを一方的に奪うようなことはしません」


 すると。


 広場のあちこちで、小さなざわめきが起きた。


「……本当に?」


「信じていいのか?」


「また、口だけじゃないだろうな……」


 そんな声が聞こえてくる。


 私は、黙って耳を傾けた。


 疑われるのは、当然だ。


 この人たちは、何度も裏切られてきたのだから。


「……もちろん」


 私は、ゆっくりと続けた。


「今すぐ、信じてくださいとは申しません」


 村人たちが、少し驚いたように私を見る。


「皆様が、私を信用できないお気持ちは理解できます」


 私は、微笑んだ。


「ですから、これからの行動で示していきたいと思っております」


 ◇ ◇ ◇


「……では」


 私は、少しだけ声を張った。


「まず、税についてお話しします」


 その瞬間。


 広場の空気が、変わった。


 村人たちが、互いの顔を見合わせる。


 ガルド様も、腕を組んだまま私を見つめていた。


「……税、か」


 低い声が聞こえる。


 私は、ゆっくりと頷いた。


「はい」


 そして。


「当面の間、生活が特に苦しいご家庭への税の徴収を、減免したいと考えております」


 その言葉に。


 村人たちが、どよめいた。


「……減免?」


「税が、減るのか!?」


「本当なのか!?」


 私は、慌てて両手を上げた。


「……あの、少しだけ聞いてください!」


 広場が、再び静かになる。


「ただし、すべての税を、無条件でなくすわけではありません」


 私は、はっきりと言った。


「領地を維持するには、どうしてもお金が必要です」


 村人たちの表情が、少し曇った。


 けれど。


 私は、続けた。


「壊れた家を直すための材料。水路を整えるための道具。病気になった方を助けるための薬」


 私は、一つずつ指を折った。


「それらは、魔法だけでは生み出せません」


「…………」


「ですから、皆様にご負担をお願いしなければならないことも、今後あると思います」


 私は、深く頭を下げた。


「けれど、生活できなくなるほどの税を、無理に取り立てることはしたくありません」


 静かな沈黙。


 それから。


「……おい」


 ガルド様が、低い声で言った。


「そんなことを言って……領地の金はどうするつもりだ?」


 私は、顔を上げた。


「……ガルド様」


「税を減らせば、当然収入も減る。そうだろ?」


「……はい」


「それで、どうやって村を立て直す?」


 その質問は、もっともだった。


 私は、ゆっくりと頷いた。


「……正直に申し上げます」


 そして。


「今のところ、十分な財源があるとは言えません」


 広場が、再びざわついた。


「……え?」


「金がないのか?」


「じゃあ、復興なんて無理じゃ……」


 私は、慌てて首を振った。


「私個人の資産は、ある程度ございます」


 そして、続けた。


「ただし、そのすべてをすぐに使えるわけではありません」


 王都から持ってきた資金。


 亡き母が残してくれた宝飾品。


 そして、公爵家で積み立ててきた私自身の財産。


 合わせれば、金貨千二百枚ほどの価値がある。


 けれど。


 そのうち、すぐに使える現金は一部だけ。


 残りは、換金に時間がかかるものばかりだ。


「ですから、限られたお金を、できるだけ無駄にしないように使いたいのです」


「……無駄にしない?」


「はい」


 私は、微笑んだ。


「まずは、水と住まい。それから、食料と医療」


 村人たちが、静かに耳を傾ける。


「そのために必要なことから、少しずつ始めたいと思っています」


 私は、広場の井戸を見た。


「昨日、井戸を直すことができました」


 その言葉に、子どもたちが嬉しそうに笑った。


「けれど、井戸一つで、この土地のすべてが変わるわけではありません」


 私は、ゆっくりと続けた。


「これから先、きっと大変なことがたくさんあると思います」


「…………」


「でも」


 私は、顔を上げた。


「皆様と一緒に、一つずつ直していきたいのです」


 ◇ ◇ ◇


「……なあ」


 そのとき。


 村人の一人が、手を上げた。


 痩せた男性だった。


「……一つ、聞いてもいいか?」


「はい。どうぞ」


「本当に、俺たちの話を聞いてくれるのか?」


「……もちろんです」


「だったら……」


 男性は、少しだけ迷ったように口を閉じた。


 それから。


「……うちの屋根が、もう限界なんだ」


「……屋根、ですか?」


「ああ」


 男性は、俯いた。


「去年の冬から雨漏りがひどくてな。妻も、子どもも、夜中に何度も起きるんだ」


 私は、胸が痛くなった。


「……修理をしたくても、木材が足りねえ」


 男性は、苦笑した。


「だから……もし、直せるなら……」


 私は、静かに頷いた。


「……分かりました」


 そして。


「明日、見せていただけませんか?」


 男性が、驚いたように顔を上げた。


「……え?」


「屋根の状態を確認したいのです」


 私は、微笑んだ。


「材料が足りない場合は、すぐに直せないかもしれません。でも、できることを一緒に考えましょう」


 男性は、しばらく何も言わなかった。


 それから。


「……ありがとう」


 小さく、そう呟いた。


 私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 ◇ ◇ ◇


 集会が終わる頃には、空が夕焼けに染まっていた。


 村人たちは、少しずつ広場を離れていく。


 けれど、帰る人たちの表情は、最初よりも柔らかくなっていた。


 私は、ほっと息を吐いた。


「……終わりましたね」


 隣に立っていたマリアが、微笑む。


「お疲れ様でした、お嬢様」


「……ありがとう」


 私は、小さく頷いた。


 少し疲れた。


 けれど、不思議と気持ちは軽かった。


 そのとき。


「……おい」


 ガルド様が、近づいてきた。


「……ガルド様?」


 私は、顔を上げた。


 彼は、相変わらず険しい表情をしている。


「……一つ、聞いていいか?」


「はい」


「お前、本当に……あの王都から来た貴族なのか?」


「……え?」


 私は、思わず目を瞬かせた。


「……そうですが」


「……変な奴だな」


 ガルド様は、呆れたように言った。


「普通、領主ってのは……もっと偉そうにしてるもんだろ」


「……そうでしょうか?」


「そうだ」


 彼は、腕を組んだ。


「それなのに、お前は頭を下げてばっかりだ」


 私は、少しだけ笑った。


「……必要なときは、きちんと頭を下げるべきだと思いますから」


「…………」


 ガルド様は、しばらく黙っていた。


 それから。


「……ふん」


 小さく鼻を鳴らした。


「まあ、昨日の井戸の件は……助かった」


 私は、思わず目を見開いた。


「……ガルド様?」


「……何だよ」


「今……」


「別に、礼を言ったわけじゃねえ!」


 ガルド様は、慌てて顔を背けた。


 私は、思わず笑ってしまった。


「……ふふっ」


「……笑うな!」


「すみません」


 私は、微笑んだ。


「でも、嬉しかったので」


 ガルド様は、何とも言えない顔をした。


 そして。


「……明日、あの家を見に行くんだろ?」


「……はい」


「だったら、俺も行く」


「……え?」


「屋根の状態を見てやる。あの家は、放っておくと危ねえ」


 私は、胸の奥が温かくなった。


「……ありがとうございます」


「……だから、礼はいいって言ってるだろ!」


 そう言って、ガルド様は歩き去っていった。


 私は、その背中を見送りながら、そっと微笑んだ。


 ……少しだけ。


 本当に、少しだけ。


 この土地の人たちとの距離が、縮まった気がした。


 ◇ ◇ ◇


 その夜。


 私は、小さな屋敷の机に向かっていた。


 目の前には、今日の集会で聞いた話を書き留めた紙。


 屋根の修理。


 食料の不足。


 薬の調達。


 そして、税の減免。


 ……やることが、たくさんあるわ。


 私は、思わず小さく息を吐いた。


 けれど。


 不思議と、嫌な気持ちはしなかった。


 王宮にいた頃は、仕事を終わらせても、次から次へと新しい仕事が増えていった。


 どれだけ頑張っても、終わりが見えなかった。


 けれど、今は。


 目の前にいる人たちのために。


 自分で考えて。


 自分で決めて。


 少しずつ、前へ進んでいる。


 そのことが、嬉しかった。


「……お嬢様」


 扉が、静かに開いた。


 マリアが、温かいお茶を持って入ってくる。


「そろそろ、お休みになりませんか?」


「……もう、そんな時間?」


「はい。今日は、ずいぶん頑張られましたから」


 私は、窓の外を見た。


 空には、星が輝いている。


「……そうね」


 私は、ゆっくりと立ち上がった。


「今日は、ここまでにしましょう」


 すると。


 マリアが、嬉しそうに微笑んだ。


「……お嬢様」


「……なあに?」


「最近、少し変わられましたね」


「……そうかしら?」


「はい」


 マリアは、優しく頷いた。


「前よりも、ご自分を大切になさるようになりました」


 私は、少しだけ考えた。


 ……そうだろうか。


 まだ、仕事をしていないと落ち着かない。


 誰かが困っていると、すぐに助けたくなってしまう。


 でも。


 確かに。


 以前より、少しだけ。


 休むことを、怖いと思わなくなった気がする。


「……そうね」


 私は、小さく微笑んだ。


「少しずつ、変わっていけたらいいわ」


 マリアは、嬉しそうに頷いた。


 ◇ ◇ ◇


 寝台に入る前。


 私は、もう一度だけ窓の外を眺めた。


 遠くに見える、小さな村。


 その中心にある、古い井戸。


 十年ぶりに水が戻った場所。


 そして。


 今日、私に尋ねたハンナさんの言葉。


 ――私たちは、本当に住んでいていいんですか?


 私は、そっと目を閉じた。


 ……もちろんです。


 ここは、皆様の暮らす場所なのだから。


 私は、誰かの居場所を奪うために、この土地へ来たわけではない。


 むしろ。


 誰もが、安心して暮らせる場所にしたい。


 そう思っている。


「……明日も、頑張りましょう」


 私は、小さく呟いた。


 けれど。


 その後、少しだけ考えて。


「……いえ」


 小さく笑った。


「明日も、皆様と一緒に」


 そう言い直した。


 そして、静かに眠りについた。


 ――このときの私は、まだ知らなかった。


 翌日、訪れることになる小さな家で。


 私が、また一つ。


 大切なことを学ぶことになるのだということを。

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