第二話 『影桜の御衣と、中宮のお声』
【一】
翌日、御針司から提出された「祝いの御衣」は、奥宮の頂点に君臨する第一の妃——中宮・温子のもとへと届けられた。
満開の桜色の絹地に咲き誇る、金銀の鳳凰。
そして光の加減によって、夜空に佇むような美しい陰影を見せる『影桜』の意匠。
「……まあ。なんという美しさでしょう」
中宮・温子は、息をのんで御衣に見入っていた。
温子は慈愛に満ちた品格ある人物だが、数年前に愛する我が子(幼い皇子)を失って以来、どこか寂しげな陰をまとっている。その優美な瞳が、御衣の奥深い美しさに強く惹きつけられていた。
「これほど見事な技法、御針司にもこれほどの逸材がおりましたか」
感嘆する中宮の傍らで、苦々しい顔をしている女がいた。
権勢を誇る豪族出身の側室・麗妃である。
「……ふん、奇をてらっただけの浅はかな技法に見えますわ。第一、このような暗い影を祝物に落とすなど、不吉ではございませんか?」
麗妃は中宮の寵愛や評価を横横取りさせまいと、すかさず難癖をつけた。
部屋の空気が張り詰める。
「不吉、でございますか? ……では、この衣を仕立てた女中を呼び、真意を確かめましょう」
中宮の静かな一声で、御針司から一人の下級女中が呼び出されることとなった。
【二】
中宮の御座所である『鳳凰宮』の間。
居並ぶ高級女官たちと、優雅に腰かける中宮、そして睨みをつける麗妃。
その中央に、可憐で小柄な少女——劉 凛玲が平伏していた。
「面を上げなさい。あなたが、あの『影桜』を仕立てたという劉女中ですね?」
「はい、中宮様」
凛玲がすっと顔を上げる。
一見すると、華奢で大人しく、今にも震え出しそうな可憐な娘だ。麗妃は鼻で笑い、圧迫するように問い詰めた。
「劉女中と言いましたね。あの影の染め物は、祝いの席に『陰り』をもたらす不吉なもの。どのような意図でそのような不敬を仕かしたのですか? 答えようによってはタダでは済みませんよ」
脅しとも取れる言葉。周囲の女官たちも息をのむ。
だが——凛玲の心に恐怖など微塵もなかった。
(……へえ。中宮様の引き立てを邪魔したくて、そんな言いがかりをつけてくるわけね)
凛玲は伏せかけていた睫毛を上げると、すっと表情を消した。
そして、麗妃に向かって冷ややかで底意地の悪い「ジト目」を向けた。
(……私を舐めるのも大概にしなさいよ、高貴なだけの狐狸め)
その一瞬の「ジト目」の鋭さに、麗妃は思わず「ひっ」と息をのんだ。
だが、凛玲は次の瞬間にはすました顔に戻り、鈴の鳴るような涼やかな声で口を開いた。
【三】
「麗妃様、恐れながら申し上げます。『影』があるからこそ、光はより一層の輝きを放ちます」
凛玲は滞りなく、完璧なロジックを紡ぎ始める。
「太陽が昇れば必ず陰ができるように、この日華国が永遠に栄え続けるためには、光と影の調和が不可欠にございます。あの影桜は、中宮様がもたらす『あたたかな光』が、奥宮の隅々の『影』までをも優しく包み込んでいる様を表現いたしました」
さらに凛玲は、和歌の一説を引用して畳みかける。
「『陰りあるからこそ、花はなお美しく咲く』……。影を恐れるのではなく、影すらも美徳に変える中宮様の深き慈愛。それを形にすることこそ、祝いの御衣に最もふさわしいと考えた次第にございます。これを『不吉』とおっしゃるならば……麗妃様は、中宮様の慈愛の深さを否定なさるおつもりでしょうか?」
「な……っ!? こ、この生意気な口を……!」
麗妃は顔を真っ赤にして絶句した。
「不吉だ」と言いがかりをつけたはずが、凛玲の見事な言い返しによって「中宮の徳を否定した」という逆の立場に追い詰められてしまったのだ。
「……ふふっ」
その時、静寂を破って小さな鈴が転がるような笑い声が響いた。
中宮・温子である。中宮は心底嬉しそうに目を細めていた。
「見事です、劉女中。見た目の可憐さに反して、なんと凛とした芯と、鋭い知略を持った娘でしょう。……気に入りました」
中宮は優しく微笑むと、宣言した。
「劉 凛玲。本日より御針司を離れ、私の身の回りを世話する『鳳凰宮の側仕え』となりなさい。あなたのその目と頭脳を、私の側で発揮してほしいのです」
「……! 謹んで、お受けいたします」
凛玲は深々と頭を下げた。
(やったわ……! これで奥宮の真ん中、中宮様の側近に潜り込めた!)
下げた頭の下で、凛玲の瞳に妖しい光が宿る。
こうして凛玲は、姉の死の真相へ一歩近づくと同時に、奥宮の泥沼の権力闘争へと足を踏み入れるのだった。
(第二話・完)




