最終章⑤
笹内の話が終わるまで、僕と澄風さんは一言も口を挟まなかった。
海から吹いてきた風で、僕はふと自分の身体がすっかり汗ばんでいることに気付く。
強い陽射しのせいだろうか、笹内の話のせいだろうか。
多分両方だ。
「俺はお母さんを死なせて、それをお祖母ちゃんとお祖父ちゃんに隠したまま生きてきたんです…………幸せになる権利なんて、ないんです」
「そんなことない」
笹内の結論を、澄風さんは即座に否定した。
「そんなことないよ。だって、景くんのお母さんを傷つけたのはお父さんの方で、景くんはそれを止めようとしただけでしょ」
「……俺も、悪いのは父だと思ったからあの写真をお母さんに見せました…………でも、お母さんはきっと俺を恨みながら死んでいったんじゃないかと思うんです」
「……どうしてそう思うの?」
「…………事故が起きた時に横断歩道を渡ってた人達は、お母さん以外は全員無事だったんです。飲酒運転をしていた車は遠目から見ても様子がおかしかったから、避けようと思えば避けられるくらいの時間はあったって…………つまりお母さんは避けられなかったんじゃなくて、最初から避けるつもりがなかったんです」
どうして笹内から聞いた話とお祖母さんに聞いた話で笹内のお母さんの死因が違うのか、それが今分かった。
事故と自殺。
どちらの見方が正しいのか、それは今も分からない。
「完全に俺の思い上がりでした。父が浮気をしても、俺がいればお母さんはまた元気になってくれるはずだなんて…………たとえ俺が側にいても、父がいなきゃお母さんにとっては生きる意味は無かったんです…………俺が勝手に、お母さんの気持ちを分かったつもりになってただけなんです」
澄風さんも、思い詰めた顔をして言葉に困っている。
笹内の主張を否定したくても、そのための材料が見つからないようだった。
……僕はどうだ。
このまま黙っていていいのか。
澄風さんでも反論できないような笹内の主張を、僕がどうにかすることなどできるのだろうか。
でも、やるしかない。
ここでどうにかできなければ、きっと笹内は一生罪の意識に縛られたままだ。
決意を固めた僕は、ゆっくりと口を開いた。
「……実は僕、笹内が中学時代にクラスメイトと喧嘩していた件は前から知ってたんだ」
僕のこの唐突な告白には、笹内だけじゃなく澄風さんも驚いていた。
「笹内と中学が同じだった同級生が、女子バレー部にいるんだ。睦っていう名前なんだけど、知ってる?」
「……顔と名前は一応知ってる。中学時代も高校に入ってからも、話したことはないが」
「うん、睦もそう言ってた。それで、その睦とこの前話す機会があってね。その時につい僕が好奇心で笹内の中学時代について質問して、喧嘩の話を聞いちゃったんだ」
「……そうだったのか」
「あと、蓮見は僕に話すよりも前に他の男子にも同じ話をしてたんだって。その男子っていうのがあのストーカーだって、僕は薄々分かってた…………だから、ごめん。僕がちゃんとそのことを笹内に伝えてたら、こんなことにはならなかったと思う」
「……いや、俺がお前に事情を打ち明けていれば、それも問題にはならなかったはずだ。手紙をもらった時も、この間お祖母ちゃんに電話番号を教える話をした時も、チャンスはいくらでもあった」
前から謝りたかったことを謝って僕の気持ちは幾らか晴れたものの、笹内は自分を責める口調のままだった。
僕は諦めずに言葉を続ける。
「それから、蓮見も笹内に謝りたいって言ってた。もともと笹内のことを気にしてたらしいんだけど、笹内に無断でストーカーに喧嘩の話を喋っちゃったことを後悔しててね。今朝も澄風さんとストーカーとの騒ぎを聞いて、すごく責任を感じてた。笹内が休んでるのは自分が余計なことをしたせいなんじゃないかって…………つまりさ、笹内が一度も話したことがない相手でも、そうやって笹内のことを心配したりしてくれてるんだよ。それにさっき笹内は僕がここに来なくても文句は言えないって言ってたけど、実際には僕はこうしてちゃんと来たでしょ?」
「…………」
「きっと笹内は、自分で思ってるよりも周りの人から大切に思われてるんじゃないかな」
今までに色々な人から見聞きしてきたことを、この街に着いてからの短い時間で僕なりにまとめた結論がそれだった。
付け焼き刃もいいところだけど、今の僕にはこれ以上の答えは出せそうにない。
「笹内のお母さんがわざと車を避けなかったっていう話も、決めつける必要はないと思う。落ち込んだり混乱してる時って周りの情報が入ってこなくなるし、車に気が付かないことだってあるよ。ちょうど今朝、僕もそういうことがあったから」
笹内の悲観的な意見に、僕が楽観的な意見を述べる。
いつもと同じ流れだ。
僕の言葉に反論せず黙っている笹内を見て、澄風さんも寄り添うような口調で語りかける。
「……景くんがお父さんの浮気を知った後、それを我慢したまま暮らしていくのは嫌だと思った気持ちは、すごく分かるんだ。私もうつ病の時、やっぱり家族との関係で悩んでたから。私さえ我慢すればお母さんとの問題は丸く収まるし、その方がみんな幸せなんじゃないかって悩んだ時期もあった…………でもそうしたら、これからの人生ずっと自分の幸せを諦めて生きていかなきゃいけなくなるでしょ? それは絶対に嫌だと思ったの」
かつて自分が同じ悩みを抱えていた時に出した答えを、澄風さんは笹内に伝える。
「お母さんのことで後悔するのは止められないかもしれないけど……それでも、景くんの気持ちは間違ってなかったと思うから…………『自分は幸せになっちゃいけない』なんて思わないでね」
僕と澄風さんが思いの丈をぶつけると、笹内は静かに目を閉じて顔を伏せた。
やがてその背中が、小さく震え始める。
笹内は声を上げずに泣いていた。
僕と澄風さんも、もう何も言わなかった。
笹内が我慢してきた感情を流し終わるのを、ただ時間の過ぎるがままに任せた。
海も山も、僕達を穏やかに見守っていた。
誰も、笹内を急かさなかった。
笹内が泣き止み落ち着いてきた頃、澄風さんがおもむろに尋ねた。
「景くん、お祖母さん達の家に引っ越してからこの街に帰ってきたのは何回目?」
「……去年の命日が一回目で、これが二回目です」
笹内は赤く腫らした目の周りを擦りながら答えた。
「じゃあ、あまり帰りたくなかった?」
「……そうですね。父には会いたくなかったですし、この街にはお母さんとの思い出がたくさんあるから」
「……もう思い出したくないの?」
「……思い出すと、辛くなるので」
「……そっか」
澄風さんは口元に手を当ててしばらく悩んだ後、一つの提案をした。
「もし景くんさえよかったら、私達にこの街を案内してくれないかな?」
「え……」
「……お母さんとの思い出を振り返ると辛くなるのは、お母さんから恨まれてたんじゃないかって不安になるからだよね?」
「……そうです」
「うん……でもさっき勇気くんが言ってくれた通り、景くんのお母さんの死因が自殺だって決まったわけじゃないでしょ? 私はもう、お母さんとの思い出を楽しく振り返ったりできないから……できれば、景くんにはそうなってほしくないんだ」
「…………」
「私達がどれくらい力になれるかは分からないけど、お母さんとの思い出がたくさん詰まってるこの街が、また景くんにとって安心できる場所になってほしいな」
澄風さんの願いを聞いた笹内は、長い長い沈黙の後、それを受け入れた。
こうして霊園を後にした僕達は、この街の様々な場所を歩いて回った。
昔通っていた小学校や小さい頃によく遊んだ公園など、笹内はお母さんとの思い出がある場所へと僕達を案内し、その思い出を少しずつ僕達に話してくれるようになった。
あっという間に時間は過ぎていき、空は夕暮れの黄金色に染まり始めた。
おおよその場所を巡り終わった僕達は、帰り道に三時間もかかるということもありそろそろ帰ろうかという話になった。
三人揃って駅の近くまで戻ってきた時、僕のスマホに着信があった。相手はお母さんだった。
「もしもし、お母さん?」
「もしもし、勇気? 特に用はないんだけど、ちょっと心配になってね。大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめん」
「家に着くのは何時くらいになりそう? 今どの辺りにいるの?」
「えーと、今は……」
僕達がいる駅の名前を伝えると、お母さんは耳を疑うような声を上げた。
「え? あんた本当にその駅にいるの?」
「え? うん」
「あ、本当だ」
僕がお母さんの発言に困惑して辺りを見回すと、少し離れた所に見覚えのある車が停まっていた。
そしてドアが開き降りてきたのは、やはり見覚えのある人物だった。
「……お母さん」
「えっ」
僕の呟きを聞いた笹内と澄風さんは、驚いて僕と同じ方向に顔を向ける。
お母さんは僕達の立っている所へ歩いてくると、まず僕に声をかけた。
「……驚いた。こんなことってあるのね」
「……お母さんの旅行先もここだったの?」
「まあ、本命はもう少しあっちの観光地だったんだけどね。そこを一通り見終わった後、この辺を車で回ってたのよ。それで──」
事情を説明したお母さんは、そこで笹内と澄風さんの方へ目を向ける。
「──こちらはあんたのお友達?」
「……うん。僕の友達だよ」
たったそれだけ答えるのにも、今の僕にはある種の感慨があった。
「はじめまして。佐倉勇気の母です」
お母さんは二人の方に向き直り、僕と話す時より愛想の良い態度で挨拶した。
「こちらこそはじめまして。私、翠山澄風って言います」
「……笹内景です」
二人も自己紹介をして、お母さんに挨拶を返した。
「……ふふ」
「……どうかしましたか?」
くすりと笑うお母さんに、澄風さんが不思議そうに尋ねる。
「いえ、ごめんなさいね。勇気が女の子の友達と一緒に遊んでるのを見るのは初めてだったから。それもこんな素敵な子だなんて、びっくりしちゃって」
「いえ、そんな。勇気くんのお母さんこそ、とっても優しくて素敵な人だと思います」
「あら、ありがとう。でも会ったばかりだし、そこまでは分からないんじゃない?」
「ええ、でも勇気くんが何度かお母さんについて話してくれたので」
「勇気が? どんな話?」
お母さんは横目でチラリと僕の方を見て聞き返した。
「たまに食事に連れて行ってくれるとか、服を買いに行く時は勇気くんの将来を考えてアドバイスをしてくれたって話です」
「あら、じゃあこの間勇気と服を一緒に買いに行ってくれたのも翠山さんなの?」
「はい、勇気くんと景くんと三人で行きました」
「そうだったの。笹内くんの名前は前から聞いてるわ。無口だけど根は優しい友達がいるって勇気が話してたから」
「……そうですか」
笹内は少し照れたように反応に困っていた。
「普段から勇気が色々助けてもらってない? 例えば、宿題を忘れて笹内くんに写させてもらったりとか」
「……はい、たまに」
「やっぱりね」
「……でも」
呆れた視線を僕に向けるお母さんに、笹内が真面目な顔で付け加える。
「俺の方が勇気くんに助けてもらうことも、たくさんあります…………特に、今日は本当に色々助けてもらいました」
笹内の言葉を聞いたお母さんは意外そうに目を見開き、それから口元を緩ませた。
「……友達にそう言ってもらったら、私もなんだか安心したわ。そうよね。子供だって、親の知らないところで成長してるわよね」
お母さんの言葉は僕一人に対してのものだったのだろうけど、笹内と澄風さんの胸にも等しく響いた、と僕は思う。
お母さんは微笑を浮かべたまま二、三歩ほど後ろへ下がった。
そして、並んで立っている僕達三人を改めて見つめ直す。
まるで小学校や中学校の卒業式で、僕と友達の記念写真を撮ってくれた時みたいに。
「……さてと。それじゃ、そろそろ帰りましょうか。私はこのまま車で帰るけど、あなた達はどうする? もしよかったら送っていくけど」
笹内と澄風さんはどちらからともなく顔を合わせる。
「どうしよっか? 景くん」
「……澄風さんがよければ、俺は送ってもらいたいです」
「そう? ……じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ん、了解。そうと決まれば、早いとこ帰った方がいいわね。本当は一緒に食事でもしたいところだけど、あまり遅くなると二人のご家族も心配するでしょうし」
すっきりした顔で車へ足を向けるお母さんに促され、僕達はその後へ付いて行く。
「言っとくけど、あんたは助手席に座るのよ」
笹内と澄風さんは後ろの席に座り、僕はお母さんの指示通り助手席に座った。
でも、言われなくてもそうするつもりだった。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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