最終章④
……父との関係は、元々あまり良くありませんでした。
普段から不機嫌そうな人で、家にいる時もあまり笑わない人で俺やお母さんとの会話は少なかったから、俺は自然とお母さんの方に懐いて育ったんです。
休日に家族で出かけることもほとんどありませんでした。
変化が起きたのは、俺が中学三年生になった頃です。
きっかけは大したことじゃなくて、学校の成績が下がったことに怒った父が俺の部屋の物を捨てたことでした。
それに対して俺も、俺も勝手に父の部屋に入って何か捨ててやろうと思ったんです。
そうしたら引き出しの奥からSDカードを見つけました。
中のデータを見てみたら、入っていたのは父が知らない女性とベッドで寝てる写真だったんです。
他にも、その女性とどこかの旅行先で一緒に笑ってる写真がたくさんありました。
ショックじゃなかったと言えば嘘になります。いくら仲が悪くても、親には違いないので。
それから何日か落ち込んで、家の中でも父親と顔を合わせるのを避けてました。
でもしばらく経つうちに、ショックが怒りに変わってきたんです。
なんであの人は俺とお母さんをないがしろにして、他の女とあんなふうに笑っているんだろうって。
反対にお母さんは、優しいけど自己主張が苦手な人でした。
俺が小さい頃はよく笑ってくれてたんですが、俺が中学生になった頃くらいからだんだんと憂鬱そうな顔をしていることが多くなったんです。
きっと、俺の気付かないところで苦労してたんだと思います。
父が家庭をないがしろにすれば、その分のしわ寄せはお母さんに行っていたはずなので。
だから、俺がどうにかしなきゃいけないと思いました。
浮気をするような夫とは別れて、俺と一緒にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に引っ越した方が幸せになれるって…………単純ですけど、当時は本気でそう信じてたんです。
まず、父の浮気をお母さんに知らせなきゃいけないと思いました。
でも、直接伝える勇気はなかったんです。父と仲の悪かった俺ですらショックを受けたんだから、お母さんが父の浮気を知ればとても悲しむのは想像がつきました。
だから、あのSDカードをお母さん自身に見つけさせることにしたんです。
父が会社へ行って俺が学校に行っている間なら、お母さんが写真を見ても一人で頭を整理する時間ができると思って。
そうしてお母さんが事実を受け入れられた後、学校から帰ってきた俺が経緯を説明して離婚を勧めるつもりでした。
その日の朝、父が出かけたのを確認してから俺はお母さんの部屋に入って、ベッドにSDカードを置いてから家を出ました。
季節はちょうど今と同じ梅雨で、一日中雨が降っていたのを覚えてます。
学校に着いてからもずっと落ち着かなくて、もう引き返せないんだと自分に言い聞かせてなんとか平静を装ってました。
自分で作り出した状況に、自分が追い込まれてる状態だったんです。
家に帰る途中も、結果を確かめるのが怖くて何度も足が止まりました。
もしかしたら、お母さんは写真を見て泣いてるんじゃないかって。
それでも『俺の気持ちを伝えればお母さんも最後は納得してくれる』『父と離れて暮らせばきっとまた笑うようになってくれる』って考えて、なんとか覚悟を決めました。
でも、家に帰ってもお母さんはいませんでした。いつもなら玄関まで迎えに来て「おかえり」って言ってくれるんです。
それからお母さんの靴がないことに気付いて、出かけてるんだと分かりました。
正直、ホッとしました。
話をするのが少し先延ばしになったので。
お母さんの部屋を確認してみたら、SDカードはベッドの上からなくなってました。
だから、お母さんが写真を見て父の浮気を知ったのは間違いありません。
だけどそれなら、その後どこへ行ったのかが不思議でした。
しばらく待ってもお母さんは帰ってこなくて、だんだん不安になりました。
そのうちじっとしていられなくなって、お母さんに電話をかけてみたんです。
電話はすぐに繋がりました。
でも出たのは警察で、お母さんが事故に遭ったって言われたんです。
急いで警察へ行って、そこで改めて説明されました…………お母さんが、車に跳ねられて死んだって。
警察に父の連絡先を教えてから、霊安室に案内されました。
台の上に寝かされているお母さんの顔はいつもと変わらなくて。
ただ、色だけが真っ白でした。
その後父が到着するまでの間に、詳しい事情を教えてもらったんです。
家から駅へ向かう途中の横断歩道を渡ってるところに、信号無視の車が突っ込んできたって。
お母さんはスマホと財布以外、何も荷物を持ってなかったそうです。
でも、お母さんには散歩をする習慣なんてありませんでした。
つまりあの日お母さんが何も持たずに街を歩いていたのは、あの写真を見たせいなんです。
俺が余計なことをしなければ、お母さんは死んでなかったんです。
取り返しのつかないことをしてしまったと理解しました。
俺は学校を休むようになって、そのまま夏休みに入った後も、ずっと自室のベッドで過ごす生活を続けてました。
でも父はお母さんが死んだ後もそんなに気にする様子もなく、それまで通りの生活を続けてたんです。
お母さんの葬式の時も、あの人は涙一つ流さずに弔辞を読んでました。
俺にも責任があるとはいえ、元凶である父が何の罰も受けずに平然と生きているのかと思うと、どうしても納得できませんでした。
だから学校を休んでいる間、浮気の問題について弁護士のサイトで調べてみたんです。
それがきっかけで、中学生の頃は弁護士を目指してました。
法律を勉強すれば、いつか父に浮気の償いをさせることができると思って。
だけど目標を決めた後も、あまり勉強には集中できなかったんです。
あの家には……この街には、お母さんとの思い出が多すぎて。
俺がお祖母ちゃんとお祖父ちゃんの家に引っ越してきたのは、それが理由です。
引っ越した後、以前から俺の体調を心配していたお祖母ちゃんが、少し離れた場所にある有名な病院を探してくれたんです。
そこの精神科でうつ病だと診断されて、通院して治療することになりました。
最初のうちはお祖母ちゃんと一緒に、回復してきてからは一人で通うようになりました。
澄風さんが俺を見たのはその時だと思います。
『エデンの東』を読み始めたのも、ちょうど同じ頃でした。
お祖父ちゃんが読書家で、色々と本を貸してくれたんです。
少しでも気分転換になればって。
初めて読んだ時から主人公と自分が重なって、何度も読み返すようになりました。
そうやってお祖母ちゃんとお祖父ちゃんが助けてくれたおかげもあって、夏休みが終わる頃までに体調はかなり回復できました。
それで二学期からは新しい中学に通うことになったんです。
卒業するまでの半年間は、さっき言ったトラブル以外は概ね平穏でした。
俺も改めて弁護士に目指し始めたんです。
そのためにまずはなるべく偏差値の高い高校に入ろうと勉強して、今の高校に合格できました。
だけど、高校に入る前の春休みに父親が死んだんです。
皮肉にも、死因は自分の飲酒運転でした。
幸いと言うべきか、本人以外には犠牲者や怪我人は出なかったそうです。
父が死んだと聞かされても、俺は全然悲しくなりませんでした。
ただ、すっきりしたのかと言えばそういうわけでもなかったんです。
復讐しようとしてた相手が突然いなくなって、弁護士を目指す理由もなくなってしまったので。
目標を叶えるために進学校に入ったのに、入学する前に目標がなくなったんです。
…………そうして、俺は高校生になりました。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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