最終章②
笹内のお母さんのお墓のある場所は、街の外れの方にある大きな霊園だ。
敷地は海に面していて、近づくに連れて潮風の薫りが濃くなっていった。
山にも近い立地のせいか緑も多く、心が休まる雰囲気になっている。
市街地からは適度に離れているため、賑やかな喧騒は聞こえない。
そうしたコントラストが俗世間と隔絶しているような印象をより強めていた。
門を通って中へ入ると、レンガの敷き詰められた通路が敷かれていた。
笹内がいる場所を目指し、僕と澄風さんはその道を進んでいく。
道の両側にはたくさんの墓石が並んでおり、そのうちのいくつかには僕達が今持っているのと同じような花束が供えられていた。
やがてお祖母さんに教えられた通り、道の突き当たりに階段が見えてくる。
笹内のお母さんのお墓は、あの階段を上ったスペースにあるらしい。
この階段を登った先に笹内がいる。
それを意識した途端、僕の心臓の鼓動は速くなり始めた。
何か見えない力に肩でも引かれているように歩き方も次第に鈍くなり、階段の前まで進んだところで僕の足はついに止まってしまった。
「……勇気くん?」
先に階段を登り始めていた澄風さんがこちらを振り返った。
僕が付いてきていないことに気付き、階段を降りて引き返してくる。
「やっぱり、まだ緊張してるの?」
「……すみません。覚悟は決めてきたつもりだったんですけど……」
今笹内に会って話をしなければ、きっと一生後悔する。
自分がここまで来た理由も目的もちゃんと理解しているのに、いざその時が目前に迫ると僕は怖気づいていた。
「謝らなくていいよ。緊張してるのは私も同じだから」
「……すみません」
僕が再び謝ると、澄風さんは困ったように笑った。そしていつものように手を口元に当てながらしばらく考え込んだ後
「うーん…………じゃあ、こうしようか」
と僕に一つの提案をした。
僕は呼吸を整えながら、その内容をしっかりと頭に入れていく。
「…………つまりね、まずは私が景くんと話すから、勇気くんはただ会話を聞いてるだけでいいの。それで自分も話そうって決心が固まったら、勇気くんも景くんと話してあげて。これならいいかな?」
澄風さんの説明を聞き終えた僕は、ゆっくりとうなずいた。
「こんにちは。景くん」
階段を登り終えた澄風さんは、静かだがよく通る声で挨拶した。
「……っ……澄風さん」
話しかけられた笹内の声は、僕にも分かるほど震えていた。
おそらく声をかけられるまで、澄風さんの存在に全く気が付いていなかったのだろう。
本来なら今頃学校にいるはずの相手が、電車で三時間もかかる場所でこうして目の前に立っているのだ。
驚くのが当然だった。
「どうしてここに……」
「……詳しく理由を話せば長くなるけど、一言で言うなら」
慎重に言葉を選ぶように一度間を置いてから、澄風さんは答えた。
「今会いに行かなきゃもう二度と景くんと話せないような気がしたから、かな」
澄風さんのこのセリフを、僕は決して大げさだとは思わなかった。
笹内がお母さんのお墓参りに行きたくなった気持ちは、僕にもよく分かった。
僕も何度か、お父さんの仏壇の前で過ごしたくなったことがある。
そしてそれはいつも、お父さんのことを思い出して寂しくなった時だった。
だから笹内もお母さんのことを思い出して、というよりは思い出さざるを得ない状況に無理やり追い込まれて、どうしようもなく寂しくなったのだろう。
だけど、その後に笹内がどういった行動に出るのかは見当もつかなかった。
もしかしたら中学の時と同じように突然転校して、僕達の前から姿を消してしまうのではないか。
そんな可能性も頭をよぎらなかったわけではなかった。
「…………」
そして澄風さんの言葉を否定しない笹内の沈黙は、僕の懸念が決して的外れではなかったという証拠に思えた。
澄風さんも同じ意味に受け取ったのか、ここへ来た詳しい経緯について説明し始める。
「今朝私が登校したら、あのストーカーから呼び出されたの。それで…………景くんのお母さんが自殺してる、って話を聞かされたんだ」
「……!」
笹内の息を呑む音が、はっきりと聞き取れた。
「始めはあの人が嘘をついてるだけかもしれない、って思ったんだけど……その後に勇気くんと話したら、勇気くんも昨日景くんが同じことを言ってるのを聞いたって」
自分の名前が会話に出てきても、僕は事前の打ち合わせ通りまだ何も喋らなかった。
澄風さんは言葉を続ける。
「それで私、心配になったの。景くんが今日学校に来てないのは、お母さんのことであのストーカーに傷付けられたせいなんじゃないかって。そう思ったら、居ても立っても居られなくて」
「…………」
「……来ない方がよかったかな?」
少し不安を滲ませた声で澄風さんが尋ねた。
「……いいえ」
「……よかった」
僕の立っている位置からは、澄風さんの顔は見えない。
だけどホッとした声の響きからは、澄風さんの安心した表情が想像できた。
「……この場所は、どうやって分かったんですか?」
「景くんのお祖母さんに教えてもらったの。電話番号は勇気くんが知ってたから」
「お祖母ちゃんと話したんですか?」
「うん。でもお祖母さんに言ったのは映画を観た時に私が景くんと家族についての話をしたっていうことだけで……つまり、自殺って言葉は出してないよ」
「……そうですか」
今度は笹内が安心したように息をつく。
やはり笹内はお母さんの死について、お祖母さんに何か隠していることがあるようだった。
「……だけど、場所が分かってもよくこんな遠くまで来ようと思いましたね。三時間くらいかかったんじゃないですか?」
「これくらいしないと、覚悟が伝わらないと思って」
「覚悟?」
「私ね、勇気くんは景くんの事情について教えてもらってるんだとずっと勘違いしてたの。景くんと勇気くんは友達で、私にとって友達っていうのは、自分の事情を打ち明けて相談できる関係のことだったから。二人もそうなんだと思ってた」
「…………」
澄風さんにそのつもりがないのは分かっていても、聞いている側としてはチクリと胸を刺されるような感じがした。
笹内も何も反論せず黙っている。
「実はそのことで、景くんに謝らなきゃいけないことがあって……景くんは昨日公園で、勇気くんに病院の話をしていいって言ってくれたでしょ? でも私、一昨日映画を観た帰り道でもう勇気くんに話しちゃってたの。ごめんなさい」
「……そういうことだったんですね」
「知ってたの?」
笹内の納得したような態度に、澄風さんが意外そうに聞き返した。
「昨日喫茶店で澄風さんを待っている間、佐倉がやけに緊張してる様子だったので。何も事情を知らないはずの佐倉がそんな反応をするのはおかしいと思いました」
「……そっか。私も、勇気くんの反応で自分が勘違いしてたって分かったんだ。病院のことを話した時、勇気くんは驚いた顔をしてたから」
どうやら僕は自覚がないまま、澄風さんと笹内の間で伝書鳩の役目を果たしていたらしい。
「でも、その時に覚悟も決まったんだ」
僕が肩身の狭さを感じていると、澄風さんが話を本筋に戻した。
「景くんは私の手紙で困った時も真っ先に相談するくらい勇気くんのことを信頼してる。でもその勇気くんにさえ、家庭の事情は話せてなかったってことでしょ?」
「……はい」
「うん。だからね、私はそれを上回る覚悟を伝えなきゃいけないと思ったの。景くんが何かに困ってれば私はいつでも助けに行くし、そのためなら学校をサボったり何時間もかかる場所まで行くのも平気だよ、って。きっとそれくらいしないと、人に相談するのが苦手な景くんは心を開いてくれないと思ったから」
澄風さんのセリフは、自分が言われたわけではない僕でも気恥ずかしくなるほど真っ直ぐで、気持ちの良いものだった。
一方で、言われた本人である笹内の反応はまたもや沈黙だった。
でも今度の沈黙は、先ほどとは明らかに違う。
後悔や罪悪感から来るものじゃない。
もっと温かくて、柔らかなものだ。
例えば、自分が大切に思っている相手から好意を伝えられた時のような。
「…………俺が人に相談するのが苦手だっていうのは、当たってると思います。お祖母ちゃんとお祖父ちゃんにも、お母さんの死因が自殺だとは話してませんし……佐倉には、お母さんが死んでいること自体話してませんでした」
澄風さんの言葉に心を解きほぐされたのか、笹内は自発的に言葉を紡ぎ始めた。
「うん。家族の問題を人に知られたくないっていう気持ちは、私も分かるよ」
「……単に知られるのが嫌だっただけじゃなくて、中学生の時にトラブルがあったのが原因なんです。俺が授業中にお母さんのことをうっかり寝言で呟いたら、そのことをクラスメイトにからかわれて……その後、俺がそいつを殴って喧嘩になりました」
笹内の語る中学時代の内容は、前に蓮見から聞いた通りだった。
僕と違い初めて話を聞く澄風さんは、静かに話を聞いている。
「その日は俺と相手の男子が両方とも早退することになって一度問題は収まったんですけど、それからも俺が殴った男子のグループからたまに呼び出しを受けたりしたんです」
「じゃあ、私の手紙を受け取った時に勇気くんに相談したのもそれが原因?」
「……はい」
「……そっか、ごめんなさい。怖い思いさせちゃって」
「……いえ、謝らないといけないのは俺の方なんです。特に、佐倉には」
突然話題の中心が自分に移り、僕は驚いて顔を上げる。
「佐倉くんに謝らないといけないって、どうして?」
「……中学と同じ失敗を繰り返さないように、高校生になってからは絶対に学校では寝ないように気を付けてました。授業中はもちろん、休み時間にも。ただそれでも何かのトラブルに巻き込まれる可能性は否定しきれなかったから、念のためにクラスの中に信頼できる相手を作っておくことにしたんです」
どうして笹内が自分とだけ話をするようになったのか、僕は今まで深く理由を考えたことはなかった。
「なるべくお人好しで、友達もそこそこ多くて、できれば少し暇そうで……そういう条件を考えると、佐倉はちょうど都合の良い相手だったんです。佐倉なら、中学の時みたいにトラブルが起きても俺の味方になってくれるだろうし、急な頼み事をしても断らないだろうから」
花束を握る僕の両手に、ギュッと力が込もる。
初めて一緒に帰ったあの日も僕は軽い世間話のつもりだったけど、笹内はそんなことを考えながら話していたのか。
「……つまり俺と佐倉は友達じゃなくて、俺があいつを利用してきただけなんです」
笹内の声には、強い自己嫌悪が滲んでいた。
一方、僕の方にショックはなかった。笹内は僕のことを友達だと思っていなかった。はっきりとそう告げられたのに「信頼できる」「お人好し」と言われたことに、僕はむしろ嬉しさを感じていた。
しかし、まだそれを笹内に伝えることはできない。
僕の心情など知る由もなく、笹内は僕への懺悔を続ける。
「だから、あいつがここへ来なかったことに俺は文句を言う資格はないんです」
耳につけたイヤホンからそれを聞いた僕は、腰かけていた階段から静かに立ち上がった。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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