第9章④
「あっ、佐倉!」
先生が来る前に鞄を回収するため教室へ急ぐ途中、僕はひどく慌てた様子の睦から呼び止められた。
「あのね、さっき翠山さん……っていううちのクラスの女子が男子に呼び出されたんだけど、その男子っていうのが、この間あたしが笹内の中学時代の話をしたやつで……」
「うん。僕も聞いたよ」
困惑したようにまくしたてる睦を落ち着かせるため、僕はなるべく冷静に答えた。
「笹内も学校休んでるみたいだし……もしかして、あたしが余計なこと喋ったせいかな?」
「……まあ、それも関係なくはない、かな」
僕の答えを聞いた睦は、一層落ち込んだ顔になる。
「……やっぱりそっか……笹内に謝らなきゃ」
「じゃあ、その時は僕も一緒に行くよ。睦に悪気がなかったことは僕も分かってるし」
「……ありがと。あと、翠山さんも大丈夫かな。なんか、腕を掴まれたりしたらしいけど」
「それはもう大丈夫だよ。澄風さんは強い人だから」
「え? 佐倉って翠山さんとも友達なの?」
「うん。でもそれについてはまた今度話すね。僕、今から早退しないといけないから」
「え? 早退?」と目を丸くしている睦に詳しい事情を説明できないのを申し訳なく思いながら、僕は再び廊下を走り始める。
教室に戻ると、クラス中の視線が僕に集まるのを感じた。
みんな、僕に尋ねたいことがたくさんあるのだろう。
澄風さんとどんな会話をしてきたのかとか、先ほどのストーカーの一件とどう関係しているのかとか、もしかして今日笹内が休んでることとも何か関係があるのかとか。
でも、今はそんな質問に答えている時間はない。
全方位から向けられる視線をあえて無視して、僕は真っ直ぐ自分の席へと向かう。
明らかに僕が浮いている空気の中でも、駒寺と江口は声をかけてきてくれた。
まず駒寺が僕を気遣うように尋ねる。
「佐倉、もう大丈夫なのか? なんだかさっきは具合が悪そうに見えたが」
「うん。もう大丈夫だよ、ありがとう。ただ大事な用ができたから、今から早退しないといけないんだ」
「……それじゃあ、遅刻して早退するのか」
「そういうことになるね」
駒寺に苦笑混じりにツッコまれ、僕も同じように苦笑する。
「なあ佐倉」
「ん?」
続いて江口が、こちらは内緒話でもするようにヒソヒソ声で尋ねてきた。
「……その、結果はどうだったんだよ?」
「結果?」
「……つまりさ、翠山からの返事はどうだった? そのことで呼び出されたんだろ?」
「……あ」
そうだ。
江口と駒寺には、僕が澄風さんに惚れていると説明してあるんだった。
ここしばらく色々なことが立て続けに起きたせいで、すっかり忘れていた。
でも考えようによっては、これでこの嘘にも良い結末ができたのかもしれない。
僕は二人にだけ聞こえる小さな声で答えた。
「……振られちゃったよ」
僕の答えを聞いた二人は、まるで自分のことのように残念そうな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えて明るい声で言った。
「そっか。それじゃ、明日カラオケにでも行ってパーッとやろうぜ」
「そうだな。もし佐倉がカラオケが嫌なら、ボウリングでもいいし」
江口と駒寺が僕を励まそうとしてくれるのを見て、また少し僕の心は前を向く。
「カラオケでいいよ。いや、カラオケがいい」
振られた友達を励ます時は、カラオケに行くものと相場が決まっている。
「じゃあ、僕そろそろ行くよ。二人とも、また明日ね」
「おう、また明日な」
「どんな用事かは知らないけど、頑張れよ」
笑って見送ってくれる二人に手を振って、僕は始業のチャイムと同時に教室を飛び出した。
先生に見つからないよう注意しながら校舎を出た後、僕は人気のない校舎裏へと回り、フェンスを乗り越えて学校の外へ出た。
そのまま校門の方へ移動して待っていると、しばらくして澄風さんが出てきた。
「先生に仮病信じてもらえましたか?」
「うん、上手くいったよ。ただ、一つ大事なことを忘れてて……」
澄風さんは僕の質問にいたずらっぽい笑みで答えてから、少し困った顔になる。
「私、景くんの家の場所知らないや」
こう言われて、僕もようやく初歩的な見落としに気付いた。
確かに僕も澄風さんも、笹内の家がどこにあるのか知らない。
「家族の人に訊こうにも、景くんのスマホ以外は連絡先知らないし。勇気くんは同じクラスだから、家に帰れば連絡網があるのかな?」
「……あっ! それなら僕知ってますよ」
僕はスマホの通話履歴を開いて、一週間前までさかのぼる。
「この間、笹内のお祖母さんと電話で話したんです」
「本当に? よかった」
「じゃあ、今ここで電話しちゃいますね。お見舞いに行くってことも先に伝えておいた方がいいでしょうし」
「うん。ただ、景くんがあのストーカーに何をされたのかはまだお祖母さんに言わない方がいいと思うんだ。景くんが話してない可能性もあるから」
「……そうですね」
そもそも、笹内はお祖母さんとお祖父さんにはストーカーの存在すら伝えていないと言っていた。
「……あと、景くんのお母さんが自殺してるっていう話も念のため伏せておこう」
「えっ……でも、そのことはお祖母さんも知ってるはずじゃないですか?」
「うん、多分そうだとは思うんだけど……私、それで一度失敗しちゃったでしょ?」
「あ……」
一昨日の夜の記憶が僕の脳内によみがえる。
確かに、相手も知っているはずだという思い込みで話すのは危険だ。
澄風さんの懸念を理解したうえで、笹内のお祖母さんに電話をかけた。
「はい、もしもし。佐倉くん?」
お祖母さんはすぐに出てくれた。
僕は澄風さんにも会話が聞こえるようにスピーカーモードにする。
「はい、佐倉です。この間お電話頂いた」
「ええ、もちろん覚えてますよ。今日はどうしたの?」
「えーと、笹内くんが今日学校を休んでるじゃないですか。それで、僕と翠山さんでお見舞いに行こうって話になって。今からそちらに伺っても大丈夫ですか?」
「あら……親切にありがとう。でもごめんなさい。景は今、家にいないんです」
「……病院に行ってるとかですか?」
「ええ、まあ……」
お祖母さんの口調はどこか歯切れが悪かった。
「今留守にしてるなら、笹内くんが帰ってきてからでもいいんですけど」
「……いえ、多分今日は夜まで帰ってこないんじゃないかしら」
意外な返答に、僕と澄風さんは顔を見合わせる。
僕に代わって、澄風さんがお祖母さんと話し始める。
「あの、はじめまして。私、翠山澄風って言います」
「翠山さん?」
「はい。景くんとは、最近何度か一緒に遊ばせてもらってます」
「ええ、名前は景から聞いてます。こちらこそ、景がいつもお世話になってます」
自己紹介が済むと、澄風さんは本題を切り出した。
「……初対面なのに不躾な質問ですみません。もしかして、景くんはお母さんのことを何か言ってませんでしたか?」
「え……」
「一昨日景くんと映画を観た時に、家族についての話題になったんです。その後、景くんがお母さんを亡くしてるって話を聞いて……もしかしたら、私のせいで景くんに辛いことを思い出させちゃったんじゃないかと思って」
「……そう。そんなことがあったの」
事情を聞いたお祖母さんは、納得した様子で呟いた。
「翠山さんが言う通り、多分その話が関係してるんだと思うわ……実は今、景は母親のお墓参りに行ってるの」
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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