第1章③
「ああ、うん。確かに駒寺達とはよく話したり遊んだりするけど、バレー部には入ってないよ」
「何か入らない理由でもあるのか?」
「まあほら、僕あんまり背が高くないから」
僕の答えに納得したのかどうか、笹内は少し考えるように間を挟んでから質問を続けてきた。
「……他の部活に入るつもりは?」
「うーん……ないかなあ。特にやりたい趣味とかスポーツがあるわけでもないし、それなら友達と放課後に好きなことして遊ぶ方が楽しいかなって」
「……なるほどな」
今度は納得したようにそう呟いて笹内は口を閉じた。
正直駅に着くまで間が持たないんじゃないかと心配していたので、笹内の方から色々と質問してきたのは嬉しい誤算だった。
おかげでこちらも、会話の糸口が掴みやすくなった気がする。
「そういう笹内は部活に入るつもりないの?」
「ない」
即答されたけどもう少し頑張る。
「本が好きなら文芸部とかは?」
「読むだけなら一人でいい。別に他人と感想を話すために読んでるわけじゃない」
「じゃあ読むこと自体は好きなんだ?」
「それなりに。学校だと他にすることもないしな」
「確かに、スマホも禁止されてるもんね」
うちの学校の校則では、スマホの電源は放課後まで切っておくように決められている。
使っているところを先生に見つかればその場で没収され、ニ、三日は返してもらえない。
とはいえ、やっぱりみんな先生に見つからないように上手く使っていた。
つい先週の話だけど、平日の午前中にとあるアイドルが逮捕されるという事件が起きた。
もし生徒全員が校則を忠実に守っているなら放課後まで誰もそのニュースを知らないはずなのだが、実際には昼休みになる頃には学年中がその話題で持ちきりになっていた。
先生達もそれについては薄々察していたようで、特に昼休み明けの古文の先生などは授業前の世間話で「そういえば、アイドルの〇〇が逮捕されたらしいよ……あれ? みんな驚かないんだね?」などと明らかにとぼけた口調でかまをかけてきたから、僕達はリアクションに困って苦笑いをするしかなかった。
そもそも、高校生にスマホを使わずに半日過ごせと言う方が無理なのだ。
まあ笹内みたいなタイプは別だけど。
こいつはその騒動があった日も、我関せずといった様子で一人本を読み続けていた。
「笹内って、学校だけじゃなくて家でも本読んでるの?」
「ああ」
「じゃあ相当たくさん本読んでるんでしょ」
「そんなに多くない。一年で二十冊くらいだ」
「……それは多くない?」
一年に一冊が当たり前の僕にとっては充分すぎる量だ。
「多くはないだろ。読書家なら年に百冊くらい読む人もいる」
「百冊」
文字通り桁が違った。
どれだけ速読なら一年に百冊も読めるんだろう。
「でもそれなら、笹内はどっちかっていうと一冊の本をじっくり読み込むタイプなんだね」
「まあそういう人達と比べればな」
「そういえばさっき教室で読んでた本も、もう何回も読んでるって言ってたもんね」
「……ああ」
「なんていう本なの?」
笹内は僕の問いに答えないまま何歩か歩き続けたが、やがて立ち止まると鞄の中から一冊の本を取り出した。
茶色い革のカバーがかけられたそれは、間違いなくさっき笹内が教室で読んでいたあの本だった。
僕は差し出されたその本を受け取り、そっとカバーをめくった。
随分と古い物らしく、表紙は色あせてところどころ擦り切れている。
英語と日本語の両方で書かれたそのタイトルを、僕は小さく読み上げた。
「『エデンの東』……」
「……知ってるのか?」
「いや、ごめん。知らないや」
僕は本を返しながら答える。
「……そうか」
笹内の声にはわずかに落胆の色が滲んでいた。
さっきはああ言っていたけど、やっぱり同じ本を読んで感想を語り合う相手が欲しかったんだろうか?
そう思った僕は、再び並んで歩き始めると本の内容について踏み込んでみた。
「その本って小説なんだよね? どんな話なの?」
「…………家族関係がテーマの話だ」
何度も読んでいるお気に入りの本のはずなのに、笹内の口調は何故か暗かった。
「ふーん。なんか難しそうだけど、何度も読み返すってことはすごく面白い本なんだ?」
「……俺にとっては興味深いよ。他のやつが読んでどう思うかは知らないが」
どうして笹内がそんな慎重に、他人との間に予防線を張るような言い方をするのかは分からない。
でもそれがなんだか逆におかしくて、僕はつい笑ってしまった。
「……ふふっ」
「……なんだ?」
さっき廊下で呼び止めた時と台詞は同じだったけど、声の調子は違っていた。
感情を表に出さない笹内にしては分かりやすい、ムッとした声だ。
僕は笑いながら弁解する。
「いや、ごめんごめん。ただ笹内も、案外周りのこと気にしてるんだなって」
「……どんなところがだ?」
「んー……例えば、教室でもいつも本ばっかり読んでるのに結構クラスメイトの名前覚えてるところとか」
「クラスメイトと話さないくせに名前だけ覚えてるなんておかしいか?」
笹内はなおも不機嫌そうに、ちょっとめんどくさい尋ね方をしてくる。
「そんな意味じゃなくてさ。なんていうか、笹内ってあんまり他人に興味があるタイプだと思ってなかったから」
「……別に、興味ってほどのことじゃないだろ。名前くらい」
「でも本当に興味がないんだったら、他の人があの本を読んでどう思うかなんて気にしないんじゃない?」
「気にはしてない。ただ軽々しく他人に勧めて、後から面白くなかったとか言われても困るだろ」
「それこそ気にしすぎだと思うけど……それにさっき僕に訊いた『部活に入るつもりはないのか』って質問も、他人に全く興味がなかったら出てこないだろうし」
「…………」
黙って僕の言葉を聞く笹内の態度は、もうほとんどいつも通りに戻っていた。
「いつも通り」というのはつまり無愛想で無表情ということなのだけど、少なくとも不機嫌そうな様子はなくなっていた。
「正直言うとさ、最初は僕の名前も覚えてないんじゃないかって心配してたから、ちゃんと覚えててくれて嬉しかったよ」
「……そうか」
「うん」
僕が素直に本心を述べると、笹内もそれ以上反論してこなかった。
うちの学校から駅まではそう遠くない。
徒歩で十分かからないくらいだ。
話をしているうちに、僕達は駅に着いていた。
「そういえば笹内って家はどっち方面? 下り?」
「いや、上りだ」
「そっか、じゃあ逆方向か」
少し残念だ。
自然とそう思えるくらいに、この十分間で僕の笹内に対する印象は変わっていた。
学校の最寄り駅というだけあって、この駅は利用者も多くそれなりに大きい。
上り方面と下り方面でホームが違うから、笹内とはここで別れることになる。
僕は笹内の方に身体を向け、他の友達と帰る時と同じように挨拶した。
「じゃあね、また明日」
「……ああ」
笹内は短く返事をしただけだったが、僕がエスカレーターの方へ歩きながら手を振ると小さく手を挙げ返した。
エスカレーターで下りのホームに着くと、ちょうど上りのホームに電車が入ってくるところだった。
笹内もそれに乗ったらしく、電車が去った後にはもうあいつの姿はなかった。
僕と笹内の交流初日は、こうしてつつがなく終了した。
次の日から、僕が登校して挨拶すると笹内は返事をしてくれるようになった。
それを見た周りのみんなは意外そうな顔をしていて、僕は内心ちょっとだけ得意気だった。
登校時だけでなく下校時にも変化はあった。僕と笹内は週に一度、他に帰る友達のいない火曜日には駅まで一緒に帰るのが習慣になった。
そして二年生になってもその関係は変わらなかった。
僕と笹内が友達になった──と僕が思っていたのは、おおむねこんな経緯からだ。
つまり大した理由があったわけじゃなく、きっかけは単なる偶然と気まぐれ。
僕が一人で帰る日に、たまたま笹内も一人で教室に残って本を読んでいた。
僕はその本がなんとなく気になり、笹内もそれを迷惑だとは思ってなさそうだったからなし崩し的に一緒に帰ることになったというだけ。
今にして思えば、もし何かが少しでも違っていたら僕は笹内と一度も言葉を交わさないまま高校を卒業していたのかもしれない。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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