第9章①
澄風さんの家から自宅までどうやって帰ってきたのかはよく覚えていない。
駅や電車の中では周りに大勢の人がいてそれぞれ会話をしていたはずだけど、それらは全て意味のない音として頭をすり抜けていった。
気が付いた時には僕は自宅の前にいて、家に入るとまずシャワーを浴びた。
帰ってくるまで気が回らなかったが、ズボンの裾と靴が雨で濡れて身体も冷えていた。
シャワーを出て着替えたら、今度はベッドの上にいた。
電気は付けなかったらしい。
その方が今の心情に合っていると身体が無意識に判断したのだろう。
僕はこの日、朝までベッドから動かなかった。
眠っていたわけではない。
横になっていても、目はずっと冴えていた。
今日の、いや昨日の帰り道からの一連の情報を受け入れて整理するのに精一杯で、とても眠るどころではなかった。
いくつもの言葉が、ずっと頭の中をぐるぐると回り続けていた。
やがて長い時間が経つうちに、受け入れられる情報とそうでない情報は自然と区別されていった。
受け入れられる──正確に言えば受け入れざるを得ない情報。
澄風さんの家庭の問題や笹内のお母さんが自殺していることは、もはや僕が悩んでもどうにもならないものとして思考の焦点から外れていった。
最終的に僕の頭を占めたのは、僕と笹内の関係についての澄風さんの言葉だった。
「きっとその人──勇気くんが、景くんにとって家庭や人生についての事情を打ち明けられる相手なんだと思った」
澄風さんにとって、友達とはそういう意味だったのだ。
それならば、澄風さんがこれまで「友達」という言葉にやけに拘っていた理由も頷ける。
僕に病院の件を話したのも、友達なら知っていて当然だと思ったからだ。
心の病気から立ち直った笹内が友達を作ることができたのは自分の事情を打ち明けられる関係が築けたからで、その相手が僕なのだと澄風さんは考えていた。
でも、それは澄風さんの勘違いだ。
僕は笹内の病気のことを何も知らなかった。
笹内のお母さんが自殺しているという話を僕が今日聞いてしまったのも、決して笹内本人の意思によるものではない。
つまり澄風さんの定義では、僕と笹内は友達ではなかったということになる。
…………友達って、なんなんだろう。
僕は漠然と、普段喋ったり遊んだりする相手のことだと思っていた。
しかし澄風さんの過去や笹内のお母さんの死について知った今となっては、その定義は随分と頼りなく、薄っぺらいものに感じられた。
笹内から手紙のことで相談されたり澄風さんからストーカーのことを相談されたりした時、僕は友達としての絆が深まったと喜んでいたが、それすら澄風さんからすれば友達と呼ぶには不十分なのだろう。
考えてみれば、喧嘩やストーカーで困っていることは初対面の警察にだって相談できる。
極端な話、偶然近くにいた通りすがりの人に助けを求めることだってできる。
でも普通、そういう相手を友達とは呼ばない。
澄風さんが言う友達というのはもっとこう、他の誰にも打ち明けられない悩みを相談できる相手のことだ。
「友達とは何か?」という質問に対して澄風さんが明確な答えを持っているのは、それが自分の人生に関わる問題で、ちゃんと現実と向き合ってきたからだ。
僕は違う。
進路の話でも、卒業後の友人関係についての話でも、母親が過保護で遊ぶ相手を選ばせてもらえなかったという澄風さんの話でも、場の空気が暗くなりそうになった時は僕はいつも話を逸らしてきた。
真剣な話をすれば時には暗い空気になるのは当然なのに、それをずっと避けてきた。
ショッピングモールに行った日の夜、お母さんに職業体験施設の話をしなかったのも、そこから進路の話題に繋がるのが恐かったからだ。
お母さんに言えば、自分でも忘れていた当時の思い出をもっと詳しく聞くことができたのかもしれない。
でも僕は、楽しかった子供の頃の夢を進路という憂鬱な現実で塗り替えられるのが嫌だった。
だから笹内とも一年以上の付き合いがあるのに、進路の話をしたことは一度もない。
一方の澄風さんは、笹内と出会ってからまだ一ヶ月も経っていない。
だけどショッピングモールへ行った日に将来の夢について話したり、昨日映画を観た後に喫茶店で感想を語り合ったりと、笹内と真剣な話ができる関係を着実に築いてきた。
うつ病だけでなく、実の母親から殺されそうになり、父親からも冷たい扱いを受けてきたにも関わらず、澄風さんは自分の人生を前に進もうとしている。
笹内から見てどちらの方が信頼できる相手かなんて、分かりきっていた。
笹内が僕に相談しなかったのは当然だ。
いや、笹内だけじゃない。
僕は誰からも、人生に関わるような悩みを相談されたことがない。
もちろん、みんなが笹内や澄風さんのような過去を持っているわけではないだろう。
だけどそれ以外の、例えば進路の話についても、僕は誰とも真剣に話し合ったことがない。
もし駒寺や江口が進路について悩んだとしても、きっと相談する相手は僕じゃない。
二人とも、僕より仲の良い相手が部活の友達にいくらでもいるはずだ。
どうせ相談するなら、一番仲が良くて信頼できる相手を選ぶに決まっている。
そうだ。
一年生の文集でも、二人が書いていたのは部活のことだったじゃないか。
三人で遊びに出かけた日のことを書いていたのは僕だけだった。
僕にとってはあの日の外出が一年の中で最も思い出に残っている出来事だったけど、二人には部活の大会や合宿のような、もっと大切な思い出を共有している友達が他にたくさんいるんだ。
そう再認識した瞬間、僕はこれまでに経験したことがないような孤独感に襲われた。
澄風さんの父親が言う通り部活や委員会で友達を作ることは大人になるために重要な経験で、それをしていない僕だけが周りから置いてかれているんじゃないのか。
もしかしたら卒業後の進路についても、僕に言わないだけでみんなはもう一番仲の良い友達と相談し合ってちゃんと考えているのかもしれない。
僕が誰かにとって一番仲の良い相手になれるとすれば、それは笹内以外にはありえない。
その笹内でさえ事情を打ち明けたり相談したりしてくれないのなら、僕は一体誰の友達になれるんだろう。
…………僕は、誰からも友達だと思われてないんじゃないのか。
その結論にたどり着いた頃、僕はカーテンの向こうがうっすらと明るくなってきていることに気付いた。
カーテンの隙間から窓の外を覗くと、暗闇に慣れきった僕の目をまぶしい朝焼けが容赦なく突き刺した。
学校へ行きたくないと感じるのは、いつぶりだろう。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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