第8章②
あの時と同じように今もこちらをじっと見つめているが、その顔にはにこやかな笑みを浮かべている。
「……佐倉の知り合いか?」
「いや……知り合いってわけじゃないんだけど……」
小声で尋ねてきた笹内にどう説明すればいいのか僕が迷っていると、その女性はゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「はじめまして。あなた達、澄風のお友達なのよね?」
返事をするべきかどうか、僕と笹内は目配せし合う。
僕達の不信感を察したのか、女性は自己紹介を始めた。
「ごめんなさい、突然こんなこと聞かれても困るわよね。私、翠山澄風の母です」
澄風さんのお母さん──と名乗ったその女性は、免許証を僕達に見せて身分を証明した。
前回は澄風さんの顔を知らなかったので気付かなかったが、こうして改めて見ると確かに澄風さんの面影があった。
心なしか声も似ている。
この予想だにしていなかった人物の登場には、僕だけでなく笹内も不意を突かれたようだった。
澄風さんのお母さんは僕達の向かいの席を指さす。
「よかったら、私もここの席に座っていいかしら」
「……どうぞ」
相手が相手だけに断るわけにもいかず、僕は控えめにうなずく。
「ありがとう。あなたとは前にもここで会ったことがあるわよね」
僕達と澄風さんが初めて会った日のことを言っているのはすぐに分かったが、僕が答えるのを待たずに澄風さんのお母さんは本題に入った。
「今日はあなた達にお礼を言いに来たの」
「お礼?」
「ええ。ほら、あの子がこの間ストーカーに襲われた時、あなた達が助けてくれたんでしょう?」
「ああ……でも僕は何もしてないですよ。澄風さんを助けたのは笹内の方です」
僕は隣の笹内を手で示す。
「あら、そうだったの。ありがとう笹内くん」
「……いえ」
笹内は短く答える。先ほどまでの緊張していた様子とは変わって、どことなく警戒するような雰囲気になっていた。
「……でも、また同じようなことが起きる可能性もあるわよね」
澄風さんのお母さんは悩ましげにため息をつく。
「やっぱり、今度からあの子が遊びに行くのは禁止した方がいいかしら」
「……それはさすがに、ちょっとやりすぎじゃないでしょうか」
子供がストーカーに付けられていたと知れば親として心配するのは当然だが、それにしてもやや段階を飛ばし過ぎた提案だと思った。
「……そうね。あなた達みたいな友達もいるんだし、しばらく様子を見ようかしら」
僕の意見を聞いた澄風さんのお母さんは、とりあえず結論を保留したようだった。
「じゃあせっかくの機会だから聞いておきたいんだけど、普段澄風とはどんな場所で遊んでるの?」
「……まあ普通に服を買いに行ったり、映画を観に行ったりですね。澄風さんから聞いてませんか?」
僕が疑問を口にすると、澄風さんのお母さんの表情が曇った。
「……実は最近、あの子とは話せてないの。だから誰とどんなふうに遊んでるのかも知らなくて。ストーカーに襲われたっていう話も、昨日になって夫から聞いたのよ」
「……そうだったんですか」
「ええ、だからあなた達から詳しい話を教えてもらいたくて。どんな服を買ったのかとか、なんていう映画を」
「あの」
澄風さんのお母さんが言い終える前に、それまで黙っていた笹内が口を挟んだ。
「あなたは今日どうしてここに来たんですか?」
「どうしてって……最初に言った通り、あなた達と話すためよ」
「そうじゃなくて、なんで俺達がこの喫茶店にいるって分かったんですか」
この笹内の指摘で、僕も今の状況が奇妙であることに気付く。
「今日俺達がこの喫茶店に来ると知ってるのは、俺達三人だけのはずです。あなたが最近澄風さんと話せていないなら、澄風さんから聞いたわけでもないですよね」
確かに、僕達がこの喫茶店にいる時にたまたま澄風さんのお母さんが同じ場所に現れたというのはあまりに偶然が過ぎる。
そういえば「今日はあなた達にお礼を言いに来たの」という発言も、僕達がここにいることを最初から知っていたような言い方だ。
笹内に自分の行動の不自然な点を指摘された澄風さんのお母さんは貼り付けたような笑顔のまましばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「……こんなこと言うと過保護だと思われるかもしれないけど、実は私、たまに澄風が下校してる時に後ろから離れて見守ってるのよ」
ショッピングモールに行った日に澄風さんが言っていた、学校からの帰り道でたまに感じる視線。
思いがけず、その正体が判明した。
澄風さんの母親は僕の方へ顔を向ける。
「前にあなたと会った日も、澄風の後ろを見つからないように歩いてたの。公園で誰かと待ち合わせしてるみたいだったから相手の姿を確認したくて喫茶店に行ってみたら、澄風と同じ高校の制服を着てる子がいてびっくりしちゃったわ」
話を聞いている僕の顔は強張っていたはずだが、澄風さんの母親は全く気にする様子もなく喋り続ける。
「今日も澄風の後ろを歩いてたら家じゃなくて喫茶店の方へ行くから、おかしいなって思ったのよ。後からあなた達が来て一緒に喫茶店に入るのかと思ったんだけど、そうじゃないみたいだったから。あなた達に最近の澄風の様子を聞かせてもらうちょうどいい機会だと思って」
「そういうことは本人に聞くべきだと思いますが」
「……さっきも言ったでしょう? 澄風とは最近あまり話せてないって」
答えるのを拒否する笹内に、澄風さんの母親の口調に若干イラついたような響きが混じる。
「失礼ですけど、それは澄風さんから距離を置かれてるってことじゃないですか?」
「だとしても、親は子供のことを全部知っておくべきだから」
この発言で、僕もようやく警戒感が確信に変わった。
なんというか、ひどく独善的な臭いがする。
澄風さんへの心配というより、自分の手元に置いておきたいという意思を強く感じた。
「ストーカーの件についてお父さんには話したのにあなたには話さないってことは、それが澄風さんの意思なんじゃないんでしょうか」
笹内の指摘に澄風さんの母親は眉をひそめたが、すぐに澄ました顔で言い返した。
「いいえ、澄風も本当は私に話したがってるわよ。親子だからそれくらい分かるもの」
「本当にそう思うなら、堂々と澄風さん本人に聞けばいいじゃないですか」
断定的に言い切る澄風さんの母親に、笹内もやや感情的になって反論する。
澄風さんの母親は露骨に不機嫌な表情になり、今度は何も言い返さなかった。
代わりに、僕達への興味を失くしたように冷たい声で呟く。
「そうね、あの子に直接聞けばいいんだわ。今は家にいるのかしら」
「……! 待ってください!」
相手の言動の矛盾を突いた一言が逆に相手を勢いづかせる結果になってしまい、笹内はハッとした表情になって澄風さんの母親を呼び止める。
「どうして? 直接本人に聞けばいい、って言ったのはあなたじゃない」
しかし澄風さんの母親は笹内を相手にせず、そのままトレーも下げずに階段を降りていってしまった。
僕は動揺しながら笹内の方を見る。
「……どうしよう」
「……お前はここにいろ。それから澄風さんに電話で事情を説明して、しばらくこっちには来ないように伝えてくれ」
「……分かった。笹内は?」
「……俺はあの人を追いかけて、思いとどまるよう説得してみる。上手く行くかは分からないが、たとえ失敗しても時間稼ぎにはなるはずだ」
笹内は鞄も持たずに、澄風さんの母親の後を追って走っていった。
店内は嵐でも過ぎ去ったように静かになる。
急転直下の事態に僕はまだ動揺していたものの、まずは言われたことをやろうとスマホを取り出す。
電話をかけると、澄風さんはすぐに出てくれた。
「もしもし? 勇気くん?」
「澄風さん、今どこにいますか?」
「もうすぐ着くよ。ごめんね、思ったより掃除に時間が掛かって。待たせちゃったよね」
「いや、そうじゃなくて……実はさっき、澄風さんの母親がここに来たんです」
「……お母さんが?」
母親という言葉を聞いた途端、澄風さんの声色が変わる。
「はい、それでちょっと話をしたんですけど………色々あって澄風さんに会いに行くって喫茶店を出ていっちゃって、それを止めるために笹内が今追いかけてます」
「…………景くんが……そっか……」
澄風さんは困惑と納得が入り混じったような声で呟いた後、すぐに気持ちを切り替えたように会話を再開する。
「分かった。じゃあ勇気くんは今、お店に一人でいるんだね?」
「はい。それと笹内からの伝言で、澄風さんはしばらくこっちに来ないようにって」
「ううん、景くんが私のために頑張ってくれてるなら、私だけ何もしないわけにはいかないよ。それに、私もお母さんとはちゃんとケリをつけなきゃいけないと思ってたから」
「えっ、でも」
「二人が今どこにいるのか分かる?」
「どこって言われても……あっ」
駄目元くらいの気持ちで後ろの窓から外を見た僕は、思わず声を上げてしまった。
同じお店の同じ席なのだから、僕の目に入った景色も当然あの日と同じだ。
ただ一つ、公園の入口で笹内と話しているのが澄風さんではなく、その母親だという点を除いては。
「……そこから見える場所に二人がいるの?」
「えっ……と……」
「勇気くんが今いるのは喫茶店で、窓があるのは一方向だけだから……」
僕が二人の居場所を伝えていいのか迷っているうちに、澄風さんは自力で推理を始める。
「公園にいるんだね」
まるで僕と視覚を共有しているかのように、澄風さんはピタリと言い当てた。
「私もそっちに行くよ」
「まっ」ブツッ
待ってと止める間もなく、澄風さんは電話を切ってしまった。
「……どうしよう」
先ほどと同じセリフが口から漏れたが、それに答えてくれる相手はもう隣にいない。
それを自覚して、僕はなんとか頭を働かせる。
とにかく、このままここにいるのはよくない。
澄風さんを母親に会わせないという笹内の意見に従うにしても、母親に会うという澄風さんの意見に従うにしても、ここでただ成り行きを傍観しているわけにはいかない。
自分と笹内の鞄を持ってトレーを一階の返却口に戻し、僕は慌ただしく店を出た。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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