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第8章①

 ここ最近、僕の周りでこれまでには起こらなかったような出来事が頻発しているのは間違いない。


 具体的に言えばそれは澄風さんが現れて以降のことで、だから僕は澄風さんのことを「非日常の香りがする」と表現した。

 しかしもはや、事態は不思議だとか非日常だとかいう言葉で済ませられる範囲には収まらなくなっていた。


 笹内と澄風さんが初めて会った場所は病院。

 澄風さんから告げられたその事実は、察しの悪い僕でも事態の重大さを理解するのに十分なものだった。

 問題は、事態を理解できたからといってそれを受け止められるわけではないということだ。


 もちろん僕だって風邪を引けば病院に行くし、行ったことをいちいち友達に話したりはしない。

 でもそれは必要がないから話さないだけで、別に意図的に隠しているわけではない。

 それに対して、澄風さんは自分達が病院にいたことを明らかに隠していた。


 何か隠さなければならないほどの深刻な病気で、二人は入院していたのではないか。


 中学生の頃は弁護士を目指していた笹内が今は目標を失っていることや、去年澄風さんと同じクラスだった生徒が誰もいないことも、そう考えれば辻褄が合う。


 この時点で僕の頭と心はもう一杯一杯だったが、だからと言って時計の針は止まってくれない。

 映画から帰ってきた日曜の夜、僕は翌日の予定を二つ知らされた。


 一つ目は、澄風さんからのLINE。


「会うのは週末だけというルールからは外れるけど、明日の放課後、私の家に来てもらえますか? 私のことで二人に知ってほしい大事な話があります」


 澄風さんの家の場所を僕と笹内は知らないので、僕達が初めて会った喫茶店で待ち合わせをすることになった。


 そして二つ目は、お母さんが有給休暇を使って旅行に行くということだった。

 行き先は海沿いの観光地で休日だと混み合うため、溜まっている有休の消化も兼ねて平日に行くことにしたらしい。

 一泊二日の予定で、月曜日のお昼前に出掛けて火曜日の夜に帰って来るという。


 そういうわけで、翌朝僕がリビングに降りていった時も、お母さんはテレビを見ながらのんびりとコーヒーを飲んでいた。


「……おはよう」

「ん、おはよう……どうしたの、元気ないわね」

「うん……少し寝不足で」

「具合が悪いわけじゃないならいいけどね。でも眠いからって授業中に寝ちゃ駄目よ」

「……はい」

「それと、今日は早く寝なさい」


 幾分優しい声でお母さんは最後にそう付け足した。

 僕はそれにうなずき、洗面所で顔を洗い自室で着替えと支度を済ませる。


 お母さんと仏壇のお父さんに挨拶をしてから家を出たが、傘を片手に駅へと歩く僕の足取りは重かった。


 カレンダーは六月の中旬に突入しており、季節はすっかり梅雨だ。

 天気予報では午後から雨が降るとの予想で、空には既にどんよりとした暗雲が垂れ込めている。

 のしかかってくるような灰色の空の下、僕がどうしても考えてしまうのは笹内のことだった。


 状況がさらに悪くなった今だからこそ客観的に振り返ることができる。

 笹内が母親との間に何らかの問題があった可能性が高いという話を聞かされた時、僕は現実から目を背けたのだ。

 僕が笹内の秘密を知っても、それを笹内本人に知られなければ表面上は何も変化が起きていないことにできる。

 そうやって普段と同じ日常を装っていた。


 しかし、もしも笹内が何か重い病気に罹っているのだとしたら、もうそのやり方も通用しない。

 目を背け続けても必ず「その時」は来てしまう。


 だから現実と向き合わなければならないと、僕も心の底では分かっていた。


 でも、その勇気がなかった。






 学校へ着くと、いつも通り笹内は先に来て本を読んでいた。


「……おはよう」

「……ああ」


 先週よりもさらにぎこちなくなった挨拶を交わして、僕は笹内の前の席に座った。

 そのまま放課後まで笹内と話す機会はなかったが、僕はずっと居心地が悪いままだった。


 初めて笹内と話した日のことが頭をよぎる。

 もしもあの時教室を出ていく笹内を追いかけていなければ、やはりその後こうした雰囲気の日々を過ごしていたのかもしれない。

 そうなりたくないと思って回避したはずの未来を、僕は一年遅れで味わっていた。


 放課後までは何事もなく過ぎたが、帰りのホームルームが長引いたために僕と笹内は教室を出るのが遅くなった。

 逆に、今回はA組のホームルームは早めに終わったらしい。

 先生が出て行った途端に江口がうちのクラスに入ってきたのでそれが分かった。


 駒寺や他のバレー部員と軽く談笑した江口は、僕にも話しかけてきた。


「俺達この後遊びに行くけど、佐倉も来るだろ?」

「……いや、ごめん。今日はやめとくよ」

「また何か用事があるのか?」


 江口に代わって駒寺も尋ねてくる。


「うん、まあちょっと」

「今回も何の用事かは秘密か?」

「……うん、ごめん」

「いや、別に謝るようなことじゃないけどな。どこか体調でも悪いのか?」

「ううん。風邪を引いたりしたわけじゃないから、心配しなくていいよ」


 どこかよそよそしいやり取りをしているうちに笹内が席を立って廊下に出たので、僕も話を切り上げることにした。


「じゃあ、僕そろそろ行くよ」

「おう、じゃあな」

「また明日な」


 江口と駒寺に別れを告げて、僕は出口へ向かう。


 教室を出る時に振り返ってみると、二人はもう別の友達と楽しげに話し始めていた。


 その光景をいつになく複雑な気持ちで眺めつつ、僕は笹内の後を追って廊下へ出た。


 手紙で呼び出された日と同じ道を辿って喫茶店まで行く間も、僕と笹内は一言も喋らなかった。

 雨が降っていてお互いに傘をさしていたせいもあるけど、晴れていてもあまり変わらなかったと思う。

 無言で並んで歩く時間は、とても気まずかった。


 喫茶店に着くと予測通り澄風さんは既に来ており、店の軒下で僕達を待っていた。

 そのまま澄風さんの家まで一緒に行くのかと思いきや、澄風さんの次の行動は違った。


「ごめん、私の家って普段誰も来ないから結構散らかってて。

 少しだけ片づけたいから、十分か十五分くらいお店で待っててもらってもいいかな?」


 こうして僕と笹内は、喫茶店で澄風さんが戻って来るのを待つことになった。


 カウンターで飲み物を注文してから二階へ上がると他にお客さんの姿はなく、僕達はあの日と同じ窓際の席を選んで座った。


 一方で窓の外の雨脚は次第に強まっており、あの日とは正反対の空模様だ。

 雲で陽射しが遮られているせいか、店内はどこか色褪せて見える。

 前回来た時には安らぎや穏やかさの象徴だった店内の静けさも、今はどこか僕を追い詰める存在のように感じられた。


 重苦しい沈黙に耐えられず、僕は口を開く。


「……澄風さん、なんの話だろうね」


 この質問は我ながら卑怯だと思った。

 昨夜LINEが送られてきたのは、澄風さんと別れてからさほど時間が経っていない頃だ。

 つまり澄風さんが僕と笹内を喫茶店へ呼ぼうと決めたのは、病院の話をしたすぐ後だったということになる。


 だから澄風さんの今日の話も病院に関係しているのだと僕には分かっていた。


「……喫茶店じゃなくわざわざ自宅まで呼ぶってことは、万が一にも人に聞かれたくない話だろうな」


 笹内は当然、昨夜の僕と澄風さんの会話の内容を知らない。

 それでも、今日呼び出されたのがただならぬ理由であることは察しているようだった。

 呼吸に合わせて肩が微かに上下している様子からは、内心の緊張が伝わってくる。


 もっとも、緊張の度合いで言うなら僕の方が酷い。

 もうすぐ重大な話が始まることが確定しているのに、それに対する覚悟を決められずただ時間が経つのを待つことしかできない時の心境は、なんと説明したらよいだろう。

 子供の頃に病院の待合室で注射の順番を待っていた時の感覚、と言えば一割くらいは理解してもらえるかもしれない。


「……前に俺が」

「え?」


 僕がとりとめもない例え話に思考を巡らしていると、笹内がおもむろに呟いた。


「前に俺が、俺達が澄風さんの事情を知るのは澄風さんが自分の口から話そうと思った時でいい、って言ったのを覚えてるか?」

「……うん、覚えてるよ」

「澄風さんがこうして自分の事情をお前に話そうと決めたってことは、澄風さんがお前のことを友達だと認めてくれたってことだと思う」

「……そうなのかな」

「あくまで俺の推測だから、最終的には澄風さん本人に確かめるべきだけどな」

「うん……まあでも、それなら笹内も澄風さんに信頼されてるってことじゃないかな」

「……いや、俺は信頼されてるわけじゃない。俺はただ……」


 笹内がそこまで言いかけた時、一階からお店の扉が開く音がした。


 続いて店員さんと話す女性の声も聞こえてくる。

 まだ十分は経っていないが、どうやら澄風さんが戻ってきたらしい。


「…………」


 笹内は諦めたように目を閉じて、中断された言葉を続けようとはしなかった。


 僕もそれ以上踏み込むことはできず、テーブルに目線を下げて澄風さんが二階へ来るのを待つ。


 これから澄風さんの家へ行けば、病院に関しての澄風さんの過去が明らかになるのだろう。

 そしてそれは、必然的に笹内の過去にも繋がっているはずだ。


 笹内は澄風さんの話が終わった後、自分の事情も話す覚悟を決めているのだろうか。

 いっそそうしてくれた方が僕にとっては気が楽だ。

 このまま何も知らないふりをして日常を装い続けることには、心が耐えられそうもない。


 いよいよ階段を上る足音が聞こえ始める。


 やがてそれが鳴り止んだのと同時に顔を上げた僕は、一瞬今日がいつなのか分からなくなってしまった。

 階段を上がってきたのは澄風さんではなく、前回同じ場所から僕を見つめていた、あの謎の女性だった。




 初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。

 物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

 1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。

 作品を読んだ感想、レビュー、ブクマ、評価などをいただけると大変励みになります。

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