第7章④
一時間ほど喫茶店で話した僕達は、その後はどこにも立ち寄らず帰路についた。
いつものように笹内とは駅で別れ、僕は澄風さんと二人で帰りの電車に乗る。
この日僕達が乗った急行電車は澄風さんの最寄り駅には止まっても僕の最寄り駅には止まらないため、僕は一度澄風さんの最寄り駅で降りて各駅停車に乗り換えることにした。
僕の乗る各停が来るまで、澄風さんも一緒に駅のホームで待ってくれた。
「先週は私だけじゃなくて勇気くんにも買い物っていう目的があったけど、今日は完全に私の希望だけで遊ぶ場所を決めちゃったね」
「いえ、僕も普段観ないジャンルの映画が観れて面白かったです」
「本当に? 今日の勇気くん、なんだかいつもより元気なさそうに見えたよ」
毎度のことながら、澄風さんの観察眼の鋭さにはドキリとさせられる。
「別に退屈だったわけじゃないんです。ただ、最近ちょっと頭に引っ掛かってることがあって……」
「そうなの? 私でよければ相談に乗るよ」
「……そんなに大した悩みじゃないので」
もちろん、大した悩みじゃないというのは嘘だった。
でもこれは相談して解決する類の悩みではないし、話せば澄風さんにまで笹内の喧嘩やお母さんの件が知られてしまう。
「だったらいいんだけど、相談がしたくなった時は遠慮しないでね。勇気くんから何か相談してもらえる関係になれたら、私も嬉しいから」
澄風さんは元気づけるために言ってくれたのだろうが、むしろ僕はチクリと胸を刺される思いがした。
先週の帰り道で澄風さんはまだ笹内から何も相談してもらえないことを残念がっていたけど、こうして相談ができない僕もやはり澄風さんにとってはまだ友達ではないということになるのだろうか。
「景くんもまだ相談はしてくれないけど、こうして映画の感想を話し合ってくれたのは、少し心を開いてくれたって受け取ってもいいのかな」
笹内だけでなく澄風さんとの関係までが揺らいでいく僕の隣で、澄風さんは笹内との進展を喜んでいる。
自分だけが二人から置いて行かれていくような感覚を覚えた。
「でも感想を話してる時の景くんは、やっぱりあまり楽しそうじゃなかったよね……私の希望に付き合わせて、無理させちゃったかな」
「……前に本人が言ってた通り、笹内も誰かと一緒に映画を観ることにまだ慣れてないんだと思いますよ。前に文芸部に入らないのかって聞いた時も、誰かと感想を話すために読んでるわけじゃないって言ってましたし」
澄風さんと違い笹内の家庭事情を断片的に知っている僕は映画を観た笹内が暗かった理由も察しがついていたが、空気が重くなるのを避けるためにわざととぼけた答えを返す。
「普段教室で本を読んでる時も周りの物音とか気にしてなさそうですし、読書中は自分の世界に入り込むタイプなんでしょうね」
「うん、病院でもそんな感じだった」
カンカンカン、と通過列車を知らせる警戒音が鳴り、赤いランプが回り始める。
まるで、浅はかな僕の目論見が失敗したことを告げるように。
「…………病院?」
僕はゆっくりと澄風さんの方に顔を向ける。
「うん。前に私と笹内くんが初めて会った場所がどこなのかって聞かれた時、今は話せないけどいつか答えるって言ったでしょ。その答えが病院なんだ」
澄風さんは肩の荷が下りたような表情をしていたが、僕には全く話が飲み込めなかった。
「…………笹内が、病院にいたんですか?」
「? うん…………えっ」
僕が驚いた顔をしていることに気付いた澄風さんが、視線を線路からこちらに移す。
「勇気くん、知らなかったの?」
澄風さんがそう言ったのと通過列車がホームに入ってきたのは、ほぼ同時だった。
けたたましい警笛と、ガタンゴトンという規則的な音だけが空間を支配する。
澄風さんはその間何も言わなかったし、言ったとしても聞こえるはずがない。
それでも、澄風さんが今どういう感情なのかは表情からはっきりと読み取れた。
澄風さんは、信じられないものでも見るような顔で僕を見ていた。
最初に喫茶店の前で鉢合わせた時も、その夜レストランで僕に話しかけられた時も、そしてこの間のストーカーの一件の時ですらも、澄風さんの顔にここまで驚きの色が表れたことはなかった。
つまり今の状況は、これまでに起きたどの出来事よりも澄風さんにとって想定外だということだ。
目を見開きながら電車の明かりで片側だけを照らされている澄風さんの顔は、綺麗を通り越して恐ろしくさえあった。
通過列車が走り去った後も、僕達は見つめ合ったままだった。
こちらの瞳を真っ直ぐに見つめてくる澄風さんの視線に耐え切れず、僕はつい目を伏せてしまう。
それに対し、澄風さんは腰をかがめて僕の顔を下から覗き込んできた。
視線の逃げ場をなくした僕に、澄風さんはもう一度ゆっくりと、しかし強い意志を込めた声で問いかける。
「知らなかったの? 勇気くん」
「…………はい」
そう答えるしかなかった。
「…………私ずっと、勇気くんは景くんから相談されて知ってるんだと思ってた」
今までの常識が根底から覆されたかのような声色で呟くと、澄風さんはそのまま口元に手を当てて黙り込んでしまった。
僕も何も言わなかった。
何を言えばいいのか、そもそも今何かを言う権利が僕にあるのか、分からなかった。
しばらくして各駅電車の到着を告げるアナウンスが流れ始めた頃、澄風さんは再びこちらを向いた。
「……勝手に喋っちゃった私にこんなこと言う権利がないのは分かってるんだけど、さっきの話は聞かなかったことにしてくれるかな。景くんが自分の口から話そうと思うまでは、私達も勝手にこの話はするべきじゃないと思うから」
「……はい」
「ありがとう。ごめんね」
各駅電車がホームに入ってくる。
電車が停止して目の前でドアが開いても、僕はホームから踏み出せなかった。
「……乗らないの?」
不思議そうに尋ねる澄風さんに促されて、僕はようやく電車に乗る。
「じゃあね、勇気くん。また明日」
「……はい」
ドアが閉まり電車が動き出す時も、僕はそれしか言えなかった。
走り始めた電車の中で、僕は「また明日」という部分に違和感を覚える余裕もなく、澄風さんのセリフを反芻していた。
「ありがとう。ごめんね」
ありがとう、の意味については悩まなかった。
本当なら話してはいけないことを澄風さんが話してしまい、僕がそれを黙っていると約束したことに対してだろう。
引っ掛かったのは、ごめんねの方だった。
笹内が僕に黙っていた病院の件について勝手に喋ってしまったことを謝っているのか。
それとも、僕がこれからその件について知らないふりをしなければならなくなったことについて謝っているのか。
どちらかと言えば後者の方が当てはまっている気がした。
本人の許可なく他人の秘密を知ってしまい、それを隠しながら当人と接し続ける居心地の悪さは、この一週間で痛感していた。
だから「笹内が自分の口から話すまで、病院の話については聞かなかったことにしておく」という澄風さんとの約束も、できれば長くは続いてほしくなかった。
僕の願いが通じたのだとは思いたくないが、結論から言えばこの約束はわずか一日で破られることになった。
僕によってではない。
澄風さんによってでもない。
笹内自身によって。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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