第6章⑥
「警察に行くべきだと思います」
事態を把握した笹内は明瞭な結論を出したが、翠山さんは難しい顔をした。
「もちろんそのつもりなんだけど、一度相手の姿を確認する必要があるんじゃないかな。ストーカーが実在する証拠すらないんじゃ、警察の人も対応できないだろうし」
「いや、そういう相手と直接接触するのは危険ですし、変に刺激しない方がいいと思います」
「でもこっちから接触するつもりがなくても、向こうもそうだとは限らないよ。もしも学校からの帰り道で何か仕掛けてきたら、その時は私一人だし……ここなら人目も多くて危険も比較的少ないから、証拠を掴むなら今がチャンスだと思う」
「だとしても、どうやって相手をこっちの前に引きずり出すんですか? 仮に上手く引きずり出せたとしても、偶然ここに来てただけだって言い逃れるかもしれませんよ」
「ご飯を食べてる間に色々調べて、方法はもう考えてあるんだ。だからできれば、二人にも協力してもらいたいの」
笹内と翠山さんがこの議論を交わしている間、僕は何も発言できなかった。
そもそも、頭の中で自分の意見をまとめることすらできなかった。
ああするべきとかこうするべきとか、二人とも僕と年は変わらないはずなのに、どうしてこんな非常事態の中で冷静に頭を働かせられるのか分からなかった。
「つまり私のために二人を巻き込むことになっちゃうんだけど……いいかな?」
「……まずは、その方法について聞かせてください。危険がなさそうなら手伝いますし、危険だと判断したらやっぱり警察に行きましょう」
「……僕もそうします」
状況に付いて行けず意見も決まらない僕は、とりあえず笹内と同じ返事をした。
「二人ともありがとう。ただ、説明をする前に一つ確認したいことがあって……」
翠山さんはそこで僕の方に顔を向けた。
「佐倉くんって、十階までなら階段を走って行ける?」
十分後、僕達三人はエレベーターに乗っていた。
さっきまでいたショッピングモールではなく、すぐ近くの別の建物だ。
ここは一階から九階までが商業フロアになっていて、僕達が今目指しているのはその上の十階だった。
エレベーターが十階に着くと、僕達は翠山さんの作戦通りそれぞれ違う持ち場に移動した。
そして待つ。
ストーカーが追いかけてくるのを。
一階から十階まで移動する場合、普通ならエレベーターを使う。
しかしストーカーの場合、次のエレベーターを待っていたのでは相手を見失ってしまう。
だからもし本当に誰かが僕達を付けているのだとしたら、その人物は階段を使って走ってくるはず、というのが翠山さんの推理だった。
とはいえあまりに高い階だと、さすがにストーカーも階段を諦めて次のエレベーターを待つだろう。
だから翠山さんは普通の男性が何階までなら階段を使おうと思うのかを確認しておく必要があり、平均的な男子である僕の意見を聞いたのだった。
十階まで階段を走らされる羽目にならずに済んだのはよかったが、当然待っている間の僕の胸中は穏やかではなかった。
二週間前に喫茶店で翠山さんを待っていた時より、はるかに強い緊張感だ。
どうか翠山さんの思い過ごしでありますように。
今回も杞憂で済みますように。
そんな僕の願いも虚しく、やがて階段の下の方から誰かが駆け上がる音が聞こえてきた。
足音が大きくなるのにつれて、僕の鼓動もドクンドクンと大きくなっていく。
そして足音が止むのと同時に、問題の人物が姿を現した。
階段を上ってきた人物は、喫茶店で見た謎の女性でも、いかにもストーカーらしい怪しい風貌の男性でもなかった。
僕達と同じ歳くらいの、ごく普通の男子だった。
今までにどこかで見かけていても記憶には残っていないだろう、というくらい特徴のない顔。
ゼエゼエと息を切らしながら、肩で息をしている。
運動はあまり得意じゃなさそうだ。
その人物は周囲を確認しようとして、まず階段の右側に立っていた僕と目が合った。
ひょっとしたらストーカーとかは全然関係なくて、たまたまエレベーターを使わずに走ってきた人だったりはしないだろうか。
例えば、運動のためとか。
そんな一縷の望みも、その人物が僕の顔を見て驚いたことで完全に潰えた。
相手の顔を見て驚くということは、その顔を事前に知っていたということだから。
慌てて僕から目を逸らして階段の左側を向いたストーカーは、そこで再び固まった。
左側に立っていたのは翠山さんだった。
「……君か」
ストーカーと目が合うと、翠山さんは真顔のまま小さくため息をついた。
反応からして、一応知り合いではあるらしい。
「……誰なんですか?」
「この前私に告白してきた人なの。同じ二年生で、名前は…………名前はなんだっけ?」
「…………」
ストーカーは無言だった。
必死に言い訳を考えていて喋る余裕がなかったのか、それとも告白した相手に名前すら覚えられていなかったことがショックだったのか。
「まあ名前は別にいいか。それよりも、いくつか聞きたいことがあるんだけど」
そんなストーカーの心境を知ってか知らずか、翠山さんはさっさと本題へと移る。
「まず最初に、どうして階段を走ってきたの?」
「……いや……その……ちょっと運動のために」
ストーカーはしどろもどろになりながら答える。
僕と同じ言い訳しか思い付かないあたり、頭の回転もあまり早くないらしい。
「私達と会ったのは偶然ってこと?」
「ああ、うん、偶然なんだよ」
「じゃあここには何しに来たの?」
「えっと、何か買い物でもしようかと……」
翠山さんは無言で視線をフロアの奥へ移す。
その視線を追って、ストーカーの顔が強ばった。
「ここ、ホテルのフロントだよ」
そう。
このビルは一階から九階までが商業フロアで、十階から上はホテルになっている。
翠山さんがこの建物を選んだのはそれが理由だった。
ストーカーの格好を観察して、翠山さんは言葉を続ける。
「仮に君が『ここに泊まりに来た』って答えていても、信じるつもりはなかったんだ。だって、これからホテルに泊まる人が何も荷物を持ってないのはおかしいから」
「……でも、何も持ってないのはそっちも同じ」
「私がここに来たのは泊まるためじゃなくて、誰かに付けられてないか調べるため」
ストーカーの苦し紛れな反論を、翠山さんはバッサリと切り捨てる。
「私達のすぐ後に、何も荷物を持っていない人が、わざわざエレベーターじゃなくて階段を走ってホテルに来たなら、それは私達を付けてきたと考えるのが自然だよね」
翠山さんは根拠を一つずつ指で数えながら、自分の推理を相手に突きつけた。
「……そもそも、こんな夜に男二人とホテルに来てる翠山の方がおかしいだろ」
ストーカーは逆ギレ気味に論点をずらしたが、翠山さんは冷静に訊き返す。
「男二人って、誰と誰?」
「決まってるだろ。こいつと……」
ストーカーは苛立たしげに僕の顔を指さしてから急に黙り込み、その指を次にどこへ動かせばいいのか戸惑うように周囲を見回した。
ここにいない「もう一人」を探しているのは明らかだった。
「笹内くん、もう出てきていいよ」
翠山さんが階段の方へ呼びかけると下の階から足音がして、九階で待機していた笹内が十階へ続く階段に姿を現した。
退路を断たれたストーカーに、翠山さんは最後のダメ押しをする。
「ここには佐倉くんしかいなかったのに『男二人』って断言できたのは、ずっと私達の後を付けてたからでしょ?」
「…………」
無言の数秒が続いた後、急激に事態は動いた。
もはや言い逃れは不可能だと悟ったのか、ストーカーが突然こちらに背中を向けて逃げ出したのだ。
※第6章は8話編成となっております
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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