第4章④
「もちろん。私の質問にも付き合ってもらったし、私に答えられることなら答えるよ」
「じゃあまず、翠山さんの家は学校の近くなんですよね?」
僕は喫茶店の前での会話を思い返しながら尋ねる。
「近くって言っても、二十分くらい歩くけどね。徒歩で通学できる距離だよ」
「つまりこのお店はネットか何かで調べて、電車で来たってことですか?」
「大体そんな感じかな。この前の春休みの間、この辺の駅をあちこち巡って散歩してたの。時間はたくさんあったし、ずっと部屋にいても身体がなまっちゃうから。このお店もその時に見かけて、いつか来てみたいと思ってたんだ」
「なるほど。ただその……一人で来るにはちょっと高くなかったですか?」
翠山さんはテーブルの隅に置いてあった伝票を確認して、小さく笑う。
「確かに、ちょっと高いね」
「ですよね。僕も今まで何回かお母さんと一緒に来ましたけど、一人で来てる高校生なんていなかったですし」
「うん。でも、今日は特別な日だったから」
「……誕生日とかですか?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。ただ、笹内くんに手紙を書いて友達になってほしいって伝えるのは、私にとってすごく大事なことで勇気を出さなきゃいけなかったから。それを無事にやり遂げて『私今日はよく頑張ったな』って自分を認めてあげたくなったんだ。だから、これは自分へのご褒美みたいなものかな」
翠山さんがありのままの心情を吐露するのを、僕は新鮮な気持ちで聞いていた。
どこかミステリアスで底知れない感じの人に見えていた翠山さんも、僕や笹内と同じように緊張していたのか。
そんな奇妙な親近感が湧いてくる。
「……ふふっ」
「……変かな?」
「いえ、いいと思います。自分へのご褒美って、なんか素敵な考え方ですね」
「実は笹内くんとの話が終わった後にあの喫茶店に行ったのも、同じ理由だったんだ。私、昔からあそこのケーキが好きだったから」
「そっか、あの近くに住んでるならあのお店にも何度か行ってますよね」
「そうだね……小さい頃はお母さんによく連れて行ってもらったよ」
「僕はああいうおしゃれなお店、ほとんど行かないんですよ。ファミレスとかファストフード店の方が友達と長く話すのには向いてるので」
「友達って、笹内くんのこと?」
「いや、そういうのは他の友達とですね。駒寺とか江口って名前なんですけど、知ってますか?」
「駒寺くんって人は知らないけど、江口くんなら知ってるよ。同じクラスだから」
「あ、そういえば翠山さんもA組だって言ってましたもんね」
「あれ? 笹内くんから聞いたの?」
「いや、喫茶店にいる時に電話で聞きました」
「電話で?」
「はい」
「ん?」
「え?」
僕と翠山さんはお互いに疑問符を浮かべて顔を見合わせる。
会話が噛み合っていないのは明らかで、その原因もすぐ察しがついた。
「二人が公園で話してた時、僕と笹内のスマホを通話状態にして繋いであったんですけど……笹内が言ってませんでしたか?」
「……それは言ってなかったな」
「あ、でも最後までは聞いてないです。危ない話じゃないと分かったら、その時点で笹内が電話を切るって事前に決めてあったので」
「……笹内くんが電話を切ったのはどの辺りだった?」
「えーと……確か、翠山さんが前にも笹内と会ったことがあるって言ったところです」
「…………そっか」
翠山さんは再び口元に手を当てて考え込む。
僕は翠山さんが考え終わるのを待とうかとも思ったが、ちょうど気になっていた点が話題に挙がったので尋ねてみることにした。
「そういえばそれも聞きたかったんですけど、翠山さんと笹内が前に会った場所ってどこだったんですか?」
僕の質問に、翠山さんは目を閉じて一層悩ましげな表情になる。
そしてしばらく悩んでから目を空けて、申し訳なさそうにこう告げた。
「秘密……ってことにしておいてもいいかな。今はまだ」
「……分かりました」
「ごめんね。佐倉くんは私の質問にちゃんと全部答えてくれたのに」
「いえ、こっちこそすみません。立ち入ったこと聞いちゃったみたいで。話したくないことだったら、無理して話す必要ないですよ」
僕がそう伝えると、翠山さんははにかみながら俯いた。
「……やっぱり、佐倉くんっていい人だね。笹内くんが友達に選んだのも分かる気がする」
そして改めて顔を上げると、今度は真っ直ぐに僕の目を見て言い切った。
「でも、佐倉くんにはいつか話すよ」
「本当ですか?」
「うん、今決めた」
少し奇妙な決断を告げる翠山さんは、とても晴れやかな顔をしていた。
「今ですか?」
「今です。ふふ」
僕が笑って聞き返すと、翠山さんも笑いながら答えた。
それがなんだか可笑しくて、僕達はそのまましばらく二人で笑ってしまった。
和やかな空気がテーブルを満たしていく。
よかった。
話しかける前に心配していたよりも、ずっとスムーズに打ち解けることができた。
「あっ」
ふと時計を見ると、十時まであと五分ほどになっていた。
ただ謝って終わるつもりが、いつの間にか二十分以上話し込んでいたらしい。
せっかく会話が弾んできたところで残念だけど、仕方がない。
「すみません。僕この後お母さんと待ち合わせしてるので、そろそろ帰りますね」
「そっか。佐倉くんと色々話せてよかったよ。日曜日も一緒に出掛けられたら嬉しいな」
「こちらこそ、ちゃんと自分の口で翠山さんに謝れてよかったです。日曜日の件、笹内もOKしてくれるといいですね」
「うん。またね」
「はい。また」
翠山さんと挨拶して席を立つと、僕は明るい気持ちでお店を出た。
つい一時間前まで、僕が翠山さんと話す機会はもう二度とないと思っていた。
でも今はその相手とこうして「またね」と挨拶している。
僕はそれが無性に嬉しかった。
スーパーに着いたのは十時ちょうどだった。
「こういう時はギリギリね」
家からレストランまで来た時と対比する形でお母さんが僕を皮肉る。
「すみません」
「……あんた、何ニヤニヤしてんの」
「え、してたかな?」
「してるわよ。何か変な物でも食べた?」
「いや、おいしかったよ」
「ま、いいわ。さっさと買い物済ませて帰りましょ。早くお風呂入りたいし」
お母さんにお釣りとレシートを渡してから、僕達はカートにカゴを乗せて店内を回った。
と言っても僕もお母さんも料理はほとんどしないので、用があるのはもっぱら冷凍食品のコーナーだった。
その他に買った物はお米袋と食器用の洗剤、そしてお母さん専用のスイーツ類だけだ。
会計を済ませると僕が商品を駐車場まで運び、いつもと同じように後部座席のドアを開けて荷物と一緒に乗り込む。
運転席のお母さんはそれをバックミラーで確認した。
僕とは似ても似つかない切れ長の瞳と、鏡越しに視線が重なる。
お母さんは一瞬僕に何か言おうとしたように見えたが、結局そのまま無言でエンジンをかけた。
車が家に着くまで、僕は窓の外を眺めながら翠山さんとの会話を振り返っていた。
翠山さんが大人びた不思議な人だという感想は、今も変わっていない。
ただレストランでの会話の前と後で、そのニュアンスには変化が生じていた。
何というか、得体が知れない種類の不思議さから、頼りになる種類の不思議さへと変わった気がする。
もし僕が部活に入っていて信頼できる先輩でもいたら、ちょうどこんな感じなのかもしれない。
なんとなく敬語の方が話しやすいという笹内の言葉も、今の僕には納得できた。
話しかける前は随分悩んだけれど、思い切って一歩踏み出してみてよかった。
考えてみれば、むやみに人を警戒するより相手を信じて行動した方が結果的に上手くいく、というのは放課後の一件で既に学んだことだった。
ひょっとして、世の中の悩みや問題なんて同じようにすれば大体解決するんじゃないだろうか。
お母さんが運転する車の後部座席で、僕はそんな能天気なことを考えていた。
家に着くとお母さんは早速お風呂に入り、僕はその間に買った荷物を車から台所まで運んだ。
三十分ほどしてお母さんがお風呂から上がった後、僕もシャワーを浴びた。
シャワーを出てからスマホを確認すると、翠山さんから『笹内くんも佐倉くんが日曜日一緒に来るのに同意してくれました』というメッセージが届いていた。
僕は『分かりました。日曜日もよろしくお願いします』と返信を打つ。
すぐに『こちらこそよろしく』という翠山さんの再返信が届いた。
やり取りを終えた画面を眺めているうちにやがて眠気が全身に広がってきたので、僕はお母さんにおやすみと言って二階の自分の部屋へ上がった。
喫茶店で見た謎の女性の正体についてはまだ頭の片隅に引っかかっていたものの、この夜の僕はとても安らかな気持ちで眠りにつくことができた。
復習は忘れた。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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