第4章②
「あんた部活にも委員会にも入ってないんだから、せめて勉強ぐらいは頑張らないとダメよ」
「……はい」
「授業はちゃんと聞いてるんでしょうね」
「……今日の午後の授業は、色々あってあんまり聞いてませんでした」
「それなら今日帰ってからちゃんと復習しておきなさい」
「分かりました」
ちょうどその時店員さんがステーキを運んできてくれたおかげで、僕は耳の痛い話から逃れることができた。
僕がステーキを食べ始めるとお母さんはワイン片手にスマホを見始め、口を開いたのは僕がジュースをおかわりしていいか尋ねた時とトイレに立った時だけだった。
「僕ちょっとトイレ行ってくるね」
「ん、いってらっしゃい」
家から急ぎ足で来て喉が渇いていたせいか、ジュースを三杯もおかわりしてしまった。
トイレへ向かう途中、僕は何気なく他のお客さん達の様子を眺めてみた。
客層は若い世代が目立ち、それも四、五人の友達グループやカップルらしき男女など、同じ年頃同士で来ている人が多かった。
僕のように親と一緒に来る人は珍しいのかもしれない。
一人で来ている人も何人かいるけど──と、その中に見覚えのある人物の姿を見つけて、僕は思わず二度見してしまった。
翠山さんだ。
二人用のテーブル席に一人で座っている。
こちらに背を向けてはいるけど、服装は喫茶店の前で会った時と変わっていない。
トイレの帰りにもう一度見た時も、翠山さんの向かいの席には誰も座っていなかった。
僕がテーブルに戻ると、お母さんはスマホをしまって財布を取り出した。
「私、外でタバコ吸ってくるわ。あんた食べ終わるまでまだ時間かかるでしょ」
「うん」
「それなら食事代渡しておくから、十時にスーパーで待ち合わせにしましょ。お釣りはその時返してもらうから、レシートもちゃんと受け取っておくのよ」
お母さんはそう言って一万円札をテーブルに置くと、お店を出て行った。
こうして一人残された僕はそのまま食事を続けたが、頭の中は再び蘇ってきた悩みでいっぱいだった。
言うまでもなく、翠山さんのことだ。
どうしよう。声をかけて喫茶店での件について謝るべきだろうか。
それとも、気付かなかった振りをして黙ってお店を立ち去るべきだろうか。
初めて笹内と一緒に帰った日に、バスケ部のクラスメイトとすれ違ったことをふと思い出した。
例の、知り合いではあるけれど友達とは呼べない微妙な距離感の相手とばったり出くわすシチュエーション。
そういった時にどう対応すればいいのかという問題は、あれから一年経った今でも答えは出ていなかった。
世間話をするだけならともかく、謝るために話しかけるとなるとなおさら勇気が要る。
それに初対面で嘘をついてきた相手から話しかけられたって、翠山さんもいい気分はしないんじゃないか。
相手が女の子だということも僕を尻込みさせた。
様々な理由が重なり合って、だんだん消極的な気持ちの方が大きくなっていく。
やめておこうかな。翠山さんに謝るのは笹内に任せるって約束したんだし。
気付かなかったことにした方が、お互いに幸せそうな気がする。
うん、やめておこう。
「……あの、すいません」
「あれ? 佐倉くん?」
十分後、食事と会計を済ませた僕は翠山さんに話しかけていた。
なんでさっきの流れからそうなるんだよという声が聞こえてきそうだけど、要するに僕が罪悪感に耐えられなかったというだけの話だ。
笹内に任せたとはいえ、やっぱり自分の口から謝った方がいいのかなという気持ちはずっと心の隅にあった。
そんな折に、こうして偶然翠山さんと出くわしたのだ。
連絡先も知らず学校でも話せない以上、これを逃せばもう直接謝るチャンスはないと思った。
「実は翠山さんに謝りたいことがあって……」
翠山さんは意外そうな顔でこちらを見上げていたが、僕がそう切り出すと
「それじゃあ、座って話そうか」
と向かいの席を手のひらで示して僕に勧めた。
僕は椅子に腰を下ろし、数時間ぶりに翠山さんと正面から向かい合う。
やはりあの時と同じで、翠山さんの瞳からは静かな力強さが感じられた。
「えっと、笹内からのメッセージってもう受け取りましたか?」
緊張しながらも、僕はまずその点を確認した。
それによってどこから説明すればいいのかがだいぶ変わってくる。
「うん、さっき受け取ったよ」
「じゃあその……僕と笹内があの喫茶店で偶然会ったっていうのは嘘で、最初から二人で一緒に来たってことも聞きましたか?」
「うん、聞いたよ」
どうやら事情はもう伝わっているらしい。
となれば、僕が取るべき行動は一つだ。
「すみませんでした」
僕は両手をテーブルについて頭を下げる。
謝罪を聞いた翠山さんは、また少し意外そうな顔になった。
「それを謝るためにわざわざ話しかけてくれたの?」
「……まあ、はい」
「……そっか」
そう呟くと、翠山さんはにやりと口の端を上げた。
思いも寄らない反応に、僕は恐る恐る翠山さんの意図を確認する。
「あの……怒ってないんですか?」
「え?」
「翠山さんは笹内が一人で来るように手紙に書いたのに、僕が付いて行って……しかもそれを隠そうとして、喫茶店の前でも嘘ついちゃいましたし……」
「あー……」
僕は判決を待つ被告人のような心境で翠山さんの答えを待った。
数秒の沈黙の後に判決が言い渡されたが、その内容はまたしても思いも寄らないものだった。
「そうだね、確かに私には怒る権利があるのかもしれないけど……」
翠山さんはそこで言葉を区切って、くすりと笑った。
「でも、別に怒ろうって気持ちにはならないかな。むしろ嬉しいと思ってるから」
「……嬉しい?」
翠山さんの言っている意味が理解できず、僕はそのまま聞き返す。
「うん。さっきメッセージで笹内くんにも話したんだけど、笹内くんに佐倉くんみたいな友達がいるって分かって、私すごく嬉しかったの」
説明を聞いてもまだ分からない。どうして笹内に友達がいると、翠山さんが喜ぶんだろう?
その疑問が顔に出ていたのか、今度は僕が聞き返す前に翠山さんは説明を始めた。
「だって、自分が危険を感じてる状況で誰かに相談するのって、その相手をよほど信頼してないとできないことでしょ?」
「まあ……そうですね」
翠山さんの口振りは少し大げさな気もしたけど、理屈自体は間違っていなかったので僕も同意した。確かに笹内も「他に相談できる相手がいない」って言ってたし。
「私と笹内くんって似てるところがあるから、笹内くんにそれだけ信頼できる友達ができたなら私にもそういう友達が作れるんじゃないか、って楽しみになったんだ」
「……なるほど」
翠山さんが喜んでいる理由は、一応理解できた。
しかしまだ引っかかる点もある。笹内と翠山さんって、そんなに似ているだろうか?
確かに二人とも物静かでミステリアスなところはあるものの、実際に話してみた時の印象は全然違う。
笹内はこんな積極的に人との会話に応じようとはしないし、嬉しいだとか楽しみだとか、そういう前向きな感情を見せたりもしない。
初めて一緒に帰った日にお気に入りの本の感想を話していた時も、どこか暗い声色だった。
ほんのわずかの間にも笹内と翠山さんの性格の違いはいくつも思い付いたが、僕は口には出さなかった。
自分と笹内が似ていると感じていた方が翠山さんにとって幸せなら、わざわざそれを否定するのは野暮というものだろう。
「実は私、笹内くんと佐倉くんがたまに一緒に下校してるのは何度か見かけて知ってたんだ。その佐倉くんがあの時あの喫茶店にいて、しかも私の名前を聞いて驚くってことは、多分笹内くんから手紙のことで相談されて一緒に来たんじゃないかなって」
笹内が言っていた通り、翠山さんは説明されるまでもなく既におおよその事情を察していたようだ。
「佐倉くんが嘘をついたのも、笹内くんを庇うためだったんでしょ? 笹内くんからメッセージで聞いたよ」
「ええ、まあ確かにそうなんですけど……」
「やっぱり。優しいんだね、佐倉くん」
そんなふうに褒められるとなんだか良心に訴えてくるものがあって、僕はもう洗いざらい白状してしまうことにした。
「全然優しくなんてないですよ。実を言うとさっき翠山さんがいることに気が付いた時も、気付かなかった振りしてこっそり帰ろうとしてたんです」
「確かに、まだ仲良くなってない相手に話しかけるのって緊張するもんね。私もさっき佐倉くんに話しかけようか迷って、結局やめちゃったし」
あまりに平然とした口調で翠山さんが言ったものだから、僕はこの発言の真の意味に気付くのが数秒遅れてしまった。
「……えっ、じゃあ僕がこのお店にいることには気付いてたんですか?」
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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