第3章③
「そういえば、ミヤマさんって漢字だとどう書くのかな?」
鞄を背負いながら僕が訊くと、笹内はスマホを操作してこちらに見せた。
メッセージアプリが起動された画面には『翠山澄風』という文字が表示されていた。
「ふーん、ちょっと珍しい字だね」
「そうかもな」
「こんな珍しい字なら、一度見れば覚えてそうなんだけどな」
文化祭や体育祭のパンフレットなど、他のクラスの生徒の名前を見る機会は去年も何度かあったはずだ。
「一学年で三百人も生徒がいるんだ。知らない名前があってもおかしくないだろ」
「まあそれもそうか」
僕はあまり深く考えず納得した。
翠山さんと友達になるのは笹内であって僕ではないのだし、僕が翠山さんについて詳しく知る必要はないだろう。
「あ、っていうか連絡先交換したんだ」
階段を降りる途中、僕は前を歩く笹内の後頭部に話しかける。
「ないと待ち合わせの時に不便だからな」
「じゃあようやく笹内にも僕以外の話し相手ができるわけだね」
「言っておくが学校では話さないぞ。スマホでたまに連絡を取るだけだ」
「えー、せっかく高校生活を楽しくするチャンスなのに」
「今までクラスメイトともロクに話さなかったやつが急に他のクラスの女子と話すようになったら、変に目立つだろ」
「そう思うなら普段からもう少し人と話せばいいんだよ」
笹内の自虐的な正論に僕も正論で言い返す。
お店の外へ出ると、約一時間ぶりの春の陽気が僕の身体を包んだ。
僕と笹内は芝生の上の石畳を歩きながら会話を続ける。
「翠山さんとは中学が同じだったってわけでもないの?」
「違う。中学は家のすぐ近所だったが、高校は通学に一時間以上かかる距離だしな」
「そっか。確かに僕も、中学が同じだった同級生ってほとんどいないや。笹内は?」
「一人いるが話したことは……」
芝生を抜けて道路に出たところで、再び笹内の言葉が突然途切れた。
どうしたのかと笹内の方へ顔を向けると、帰り道とは逆の方向を凝視している。
その視線の行き先を辿って、僕も固まってしまった。
僕達の五メートルほど先、喫茶店のちょうど正面に、一人の女性が立っていた。
とても綺麗な人だった。
知らない人だ、と認識するより先に、そんな感想が出てきてしまうくらいに。
おそらく僕達よりも少し年上だろう。
スラリと高い身長や、どちらかと言えばシャープな顔立ちからは、一目で大人びているという印象を受けた。
その整った顔が、驚いたようにしげしげと僕と笹内を見比べている。
先ほどと同じようなシチュエーションに先ほどよりもドキドキしながら改めて自分の格好を確認するが、やはりどこもおかしな箇所は見当たらない。
仕方なく笹内の方に視線を移すと、こちらも僕と女性の顔を交互に見比べていた。
妙に居心地の悪そうな表情をしている。
どうやら笹内の知り合いらしいけど、ひょっとしてあまり仲のよくない相手なんだろうか。
だとすれば、本人達の前で迂闊に関係を尋ねるわけにもいかない。
結局僕達は三人とも自分からは動かず、相手の出方を伺うことになった。
誰から話し始めればいいのか分からない、という状況はみんな一度くらい経験があるだろうし、あれが好きな人はいないと思う。
この時もやはり、あのなんとも言えない気まずい空気が続いた。
静けさのせいか自分の鼓動と呼吸音がやけに大きく聞こえたのを覚えている。
そして──
「こんにちは」
最初に口を開いてその場の風通しをよくしたのは女性の方だった。
僕達の一メートルほど前までゆっくりと歩み寄り、静かだがよく通る声で挨拶した。
どちらにというわけでもなく、僕と笹内の両方に向けて言ったようだった。
「……こんにちは」
「あっ、こんにちは」
笹内が挨拶を返したので、僕も慌てて同じように挨拶する。
ついつられて「こんにちは」と言ってしまったけど、よく考えれば僕の方は初対面なんだから「初めまして」と言うべきだったな、と気が付いたのは挨拶し終わってからだった。
ともかく、僕は少しホッとしていた。
こうして挨拶を交わすということは、少なくとも仲の悪い相手ではないらしい。
黙っているのもそろそろ嫌になっていたし、僕は思い切って笹内に尋ねてみた。
「笹内の知り合いの人?」
笹内は何かを伝えるように目配せをしてきたが、残念ながら僕にはその意図を察せるだけの洞察力はなかった。
「……お前は知らないと思うが」
やけに強調するようにそう前置きすると、一呼吸置いて笹内は答えた。
「翠山さんって人だよ」
「……えっ」
思わず首が女性の方を向いた。
その女性──つまり翠山澄風さんは、僕に軽く会釈してから笹内に話しかける。
「こんにちはって言っても、さっき別れたばかりだからなんだか変な感じだね」
「……そうですね」
「驚かせちゃったかな? 私の家、この近くなんだ」
「……そうなんですか」
「うん。でもこの辺りで同じ学校の人と会うのは初めてだから、私もびっくりしちゃった。あ、もちろんさっき公園で笹内くんと会ったのは別だけどね」
笹内と翠山さんが他愛のない会話をしている間も、僕の頭はフル回転していた。
どうして僕は目の前にいる相手がさっき見たばかりの人物だと気付かなかったんだろう?
混乱しつつも改めて翠山さんの姿を見ているうちに、だんだんその理由が分かってきた。
今まで頭の中で想像していたミヤマさんの姿が、今目の前にいる翠山さんの姿とあまりに違っていたからだ。
まず服装が違う。
さっき見た時は、上下とも僕達と同じ濃緑の制服姿だった。
それに対して翠山さんが今着ているのは、白い薄手のカーディガンとピシッとしたスキニージーンズ。
派手さはないがそのまま男性が着ても違和感のなさそうな服装で、スラリとしたスタイルを強調していた。
しかし一番意外だったのは、翠山さん自身の顔立ちや雰囲気だ。
綺麗な人だということは最初に説明したけど、それもどちらかと言えばかわいいというよりかっこいいという言葉が似合う。
内気そうな人だから目つきもおっとりした感じなのかな、という僕の勝手な想像とは反対に、実際には目尻の方が目頭よりもやや高い位置にあるパッチリとした目だった。
髪で目が隠れるようなこともなく、前髪はまぶたの辺りで揃えられている。
喫茶店から後ろ姿を見ていた時とは違い、こうして正面から見ると全体的にすっきりとした風貌だった。
これでは同一人物だと気が付かなくても無理はない。
そう疑問が解けたのと同時に、僕の中の驚きは焦りに変わり始める。
翠山さんは笹内が一人でここへ来たと思っているはずだ。
だとすると、僕が今ここにいるのを翠山さんに見られたのはまずいんじゃないのか?
笹内が気まずそうな表情をしている理由を、僕も遅ればせながら理解した。
僕と笹内が何も言えずにいると、再び翠山さんは自分から会話を始める。
「今までこのお店にいたの?」
「……はい」
短い間を置いて笹内が答える。
「そうなんだ。美味しかったでしょ? ここのケーキ」
「…………はい」
一度目より長い沈黙の後、笹内は食べたことのないケーキの味について同意した。
「それで──」
三つ目の問いと同時に翠山さんの視線が動く。
「──こっちの人は、笹内くんのお友達?」
二つの澄んだ瞳が、真っ直ぐに僕へと向けられた。
僕は喫茶店から公園へ歩いてくる翠山さんを見た時、内気で大人しそうな人だと印象を述べた。
それがいかに見当外れの評価だったのか、今ならよく分かる。
確かに静かで落ち着いた雰囲気ではあるけれど、相手の顔をしっかり正面から見つめるその目には、内気そうなところなんてまるでなかった。
深みがあって底が知れない。そんな感じがする瞳だ。
初作品なので拙い出来ですが、お読みいただき本当にありがとうございます。
物語は既に完結まで書き溜めていますので、このまま最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
1話あたり約3000字前後で、毎日2話ずつ更新していく予定です。
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