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第二十一章 審判の間

審判の間は、これまで見たどの場所よりも、静かで、広かった。天井はなく、代わりに、夜空がそのまま見えている。満月が、間の中央を、真上から照らしていた。円形の間の中央に、光の柱に囚われたカイの姿があった。目を閉じ、輪郭は、以前よりもさらに薄くなっている。月光を浴びているはずなのに、彼の影だけが、ひどく頼りなく、床に薄く伸びていた。


ルナは、駆け出したい気持ちを、辛うじて堪えた。急いては、また何かを見落とすかもしれない。ソルの言葉が、頭の奥で静かに響いていた。


円を囲むように、これまで出会った守護者たちが並んでいた。教皇オルバ、皇帝ガイウス、正義のアストレア、そして、円の頂点に、ノクスが立っていた。


「――時間だ、愚者よ」


ノクスの声が、静かに響いた。


「次の満月は、今宵。カイの輪郭は、もう長くは持たない。ここで、答えを聞く」


「答えは、決まっています」


ルナは、まっすぐに前へ進み、光の柱の前に立った。


「――カイを、失いたくない。カイに、わたしを吸収させたくもない。だから、どちらか一方が消える道は、選ばない」


オルバが、静かに、円の中央に一歩進んだ。


「――強硬派の暴走については、わたしの監督不行き届きだった。この場で、詫びる。だが、詫びだけでは、カイの輪郭は戻らない。今は、答えを聞くことに集中してほしい」


アストレアが、静かに口を開いた。


「では、どうする。時間は、もうない」


「二人で、同じ扉をくぐる。それが、可能な道だと、教えてもらった」


ガイウスが、鼻を鳴らした。


「そんな前例はない。秩序の中に、そんな道は記されていない」


「前例がないのと、不可能なのは、違います」


その言葉に、ガイウスは、初めて口をつぐんだ。以前、戦車の道で聞いたのと同じ理屈を、今、自分自身が突き返されたことに気づいたようだった。


満月の光が、柱の中のカイを、静かに照らしていた。その光が、まるで、彼の輪郭を支える最後の糸のように見えた。


ノクスが、光の柱に近づいた。


「――カイ、聞こえているか」


柱の中のカイが、微かに瞼を動かした。だが、返事をする力は、もう残っていないようだった。


会場の隅で、ずっと沈黙を守っていたガイウスが、初めて口を開いた。


「――ノクス。一つ、確認させてくれ。もし、この二人が"二人のまま"世界の座に至った場合、この本にはどう記される」


「記されない。前例のない結末は、記されるまで、誰にも読めない」


「――それは、危険だとは思わないのか。予測できないことは、私の秩序において、最も恐れるべきものだ」


「危険は、常にある。だが、わたしが恐れているのは、"予測できないこと"そのものではない。予測できないことを、恐れるあまり、可能性そのものを潰してしまうことだ」


ガイウスは、それに対して、何も言わなかった。ただ、これまでとは違う目で、円の中央を見つめていた。彼の中で、長年積み上げてきた「秩序」という言葉の意味が、静かに、しかし確実に、揺らぎ始めていた。


「――カイ!」


ルナが叫んでも、反応はない。ノクスが、静かに首を振った。


「意識の大半は、すでに薄れている。選ぶ力そのものが、失われかけている」


「そんな……」


「愚者よ。お前の理屈は美しい。だが、どちらも選ぶには、"どちらも、選べる状態"でなければならない。今のカイには、それがない」


その言葉に、その場の空気が、重く沈んだ。ルナは、光の柱に手を伸ばした。触れられないとわかっていても、それでも、手を伸ばした。


「――カイ。聞いて」


周りの守護者たちは、誰も口を挟まず、ただ、その光景を見守っていた。オルバも、ガイウスも、アストレアも、これまで積み上げてきた秩序や理屈を、この瞬間だけは、静かに脇に置いているようだった。


柱の表面が、微かに波紋を立てた。


「名前を、覚えてる? リオンがわたしに名前をくれたときの話、してあげる。あの夜、湖に月が映ってて、それで、ルナって名付けられたの。あなたに会ったのは、その後」


反応はない。それでも、ルナは続けた。


「恋人の谷で、向かい合う祭壇を選んだよね。あなたが、選ばせた、って言ってたけど、あの時、本当に選んだのは、あなた自身だったと思う。だって、あなたの目は、ずっと向かい合う祭壇を見てたから」


微かに、柱の光が揺れた。


「戦車の中で、笑ったこと、覚えてる? わたしが笑ったとき、あなたの耳が赤くなったの、見えてたよ。獅子と話したとき、力の証は、抱えたまま歩く力だって言ったのも、あなただった」


柱の中で、カイの瞼が、僅かに動いた。


「泉のほとりで、二色の水を見たね。青と金、混ざっても、消えずに残ってた。あなたとわたしも、そうなれるかもしれないって、一緒に見た」


「――……ルナ……」


かすれた声が、柱の中から漏れた。その場にいた全員が、息を呑んだ。


「聞こえてる。カイ、聞いて。今、あなたに、選んでほしい。わたしに吸収されることも、消えることも選ばなくていい。ただ、わたしと一緒に、同じ扉をくぐる未来を、選んでほしい」


「――俺が、選んでいいのか」


「うん。あなたが、選ぶんだよ」


柱の中の光が、小さく揺れた。だが、それだけだった。ルナは、諦めず、もう一度、声を張った。


「――カイ。恋人の谷で、二本の川が合わさって、また分かれていったの、覚えてる? わたしたち、あの川と同じかもしれない。一度、深く重なっても、また別々の形で流れ続けられるかもしれない」


「――力の証は、抱えたまま歩く力だって、教えてくれたのは、あなただよ。今、その力を、貸してほしい。わたしのために、じゃなくて、あなた自身のために」


リオンも、静かに一歩前へ出た。


「――カイ。わたしからも、一つ、伝えておきたい。お前がいたから、ルナは、一人で崖を渡らずに済んだ。お前の存在は、確かに、この旅の中に、刻まれている」


長い沈黙のあと、柱の中で、カイの目が、ゆっくりと開いた。薄れかけていた輪郭が、僅かに、確かな線を取り戻していく。


「――選ぶ。お前と、一緒に。同じ扉を」


その言葉が発せられた瞬間、光の柱が、静かに崩れ、カイの身体が、ゆっくりとその場に降り立った。ルナは、駆け寄って、彼を抱きしめた。輪郭は、まだ薄いが、確かに、そこにあった。彼の胸から、微かな鼓動が伝わってくる。その一つ一つのリズムが、ルナにとって、これまで聞いたどの音よりも、尊いものに感じられた。


「――遅くなって、ごめん」


「いい。ちゃんと、拾いに来てくれた」


カイの声は、まだ、少しかすれていたが、確かに、彼自身の声だった。


ノクスが、その光景を、長い間、無言で見つめていた。やがて、静かに口を開いた。


「――愚者よ。お前は、答えを一つも間違えなかった。だが、まだ、証明が終わっていない」


「証明?」


「二人が同じ扉をくぐって、本当に、世界の座に矛盾なく認められるか。それは、実際に扉をくぐるまで、誰にもわからない。わたしも含めて」


オルバが、静かに頷いた。


オルバは、そこで一度、目を閉じた。長い沈黙のあと、再び目を開いたとき、その表情には、これまで見せたことのない、はっきりとした決意があった。


「――正直に言えば、わたしは、まだこの結末が正しいかどうか、確信を持てていない。だが、確信が持てないことを理由に、可能性を閉ざすのは、教皇としてよりも、一人の見届け人として、あまりに怠惰だと思う」


「――許す。世界の座への道を、開く。ただし、これが失敗であれば、二人とも、同時に消える可能性がある。それでも、行くか」


ルナは、カイの手を握った。カイも、しっかりと握り返した。


「行きます。二人で」


「わたしも、一緒に」


オルバも、静かに頷いた。


「――教皇として、この選択を承認する。そして、一人の見届け人として、この結末が、良いものであることを、心から願う」


ガイウスも、腕を組んだまま、それでも、これまでとは違う、静かな表情で、二人を見つめていた。


アストレアが、天秤を静かに掲げ直した。


「――わたしも、証人として、この結末を見届ける。愚者たちよ。これが、これまで誰も歩まなかった道になる」


イリスとフローラの姿は見えなかったが、間の外で、二人が見守っていることを、ルナは、なぜか確かに感じ取っていた。


リオンが、静かに、二人の後ろに立った。


「お前たちだけを、行かせはしない」


審判の間の奥、これまで固く閉ざされていた扉が、静かに、光を放って開いていった。


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