第二十章 光の下で
太陽の座は、これまでのどこよりも、明るかった。霧を抜けた瞬間、光の量に目が痛むほどで、しばらくは、手をかざしながら歩かねばならなかった。眩しさに目を細めながら丘を登ると、そこに、見覚えのある人影が二つ、待っていた。
丘の上からは、これまで旅してきた領域のすべてが、遠くに見渡せた。始まりの野、湖の塔、女帝の庭、皇帝の砦、恋人の谷、荒野、獅子の岩山、隠者の山、運命の輪、正義の広間、逆さの森、灰色の川、悪魔の黄金の霧、崩れた塔、星の水辺、月の霧の森。どれも、小さく、遠く、それでも、確かに、自分が歩いてきた証として、そこにあった。
「――こんなに、歩いてきたんだね」
「そうだな。数えてみると、自分でも驚く」
リオンが、隣で、同じ景色を見つめながら、静かに言った。
「――カイにも、いつか、ここから見せてやりたい」
「うん。絶対、連れてくる」
その一言に、これまでの旅で積み重ねてきた約束の重さが、静かに重なった。丘の上を吹く風が、二人の間を、静かに通り抜けていった。
「――イリス? フローラ?」
「ちょうどいい時間に来たわね」
イリスは、いつもの静かな声で、それでも、これまでよりわずかに柔らかい表情をしていた。フローラは、いつも通り、大きな籠に食べ物を詰めて、二人を出迎えた。
「まずは食べなさい。空腹のままでは、大事な話も頭に入らないわ」
太陽の光の下、久しぶりの温かい食事をとりながら、ルナは、これまでの旅で起きたことを、順番に話した。カイのこと、悪魔の取引のこと、月の霧で見た幻のこと。話すたびに、出来事の一つ一つが、記憶の中で、少しずつ、形を整えていくような感覚があった。まだ終わっていない旅を、途中で誰かに語ることには、こんな効果があるのだと、初めて知った。
フローラは、話を聞くたびに、目を潤ませたり、笑ったりを繰り返していた。皇帝の砦の話をしたときは、悔しそうに拳を握り、獅子の話をしたときは、安心したように胸に手を当てた。
「――あなた、本当に、たくさんのことを、一人で抱えて歩いてきたのね」
「一人じゃなかったよ。リオンも、カイも、いたから」
「それでも、あなたが最後に決めるのは、いつも、あなた自身だったでしょう」
その言葉に、ルナは、初めて、自分の歩いた道の重さを、少しだけ、誇らしく思えた。丘の上から差し込む光が、その誇らしさを、そっと後押ししているようだった。
イリスが、静かに付け加えた。
「――誇らしく思うことを、恥ずかしがらなくていいのよ。あなたは、恥ずかしがるくせが、少しあるみたいだから」
「――そうかも。誇らしいって思うの、なんだか、図々しい気がして」
「図々しくないわ。あなたは、実際に、それだけのことをしてきた。事実を、事実として受け取ることは、誇張とは違う」
その区別を、ルナは、これまで、はっきりと考えたことがなかった。太陽の光が、二人の間に、静かに降り注いでいた。
聞き終えたイリスは、懐から、あの水晶を取り出した。旅の始めに渡された、断片だけを返す水晶。
「――あなたは、もう十分な重さを積んだようね」
「重さ?」
「経験の重さ。選んだことの重さ。この水晶は、もう、全部を話してくれるはずよ」
ルナが水晶を握ると、これまでとは違う、強い光が灯った。光の中に、静かな声が響く。
「――分かたれた魂が、再び一つの場所に立つとき。片方がもう片方を吸収するのではなく、両方が、自らの意思で、同じ扉をくぐるならば――魂は、一つに戻ることなく、二つのまま、世界の座に認められる」
「――二つのまま?」
「これまで、誰も試さなかった道よ」イリスが補った。「多くの分かたれた魂は、片方が力を失い、もう片方に吸収された。それが"当たり前"だと、誰もが思い込んでいたから」
「でも、可能性としては、あったんですね」
「あったの。ただ、それを成すには、"両方が、自分の意思で選ぶ"ことが必要。片方だけが望んでも、成立しない」
フローラが、優しく続けた。
「カイが、今、どんな状態にあるのかは、わからない。でも、あなたが辿り着いて、彼に選ばせることができれば、道は開ける」
「カイは、どこにいるの?」
「教皇の使いから聞いたわ。世界の座の入口――審判の間に、封じられているそうよ。教皇自身が、強硬派の暴走を抑えるために、そこへ移したの」
「――審判の間」
「そこで、あなたたちの運命が、正式に決まる。ノクスも、皇帝も、正義のアストレアも、すべての座の主が集うわ」
「――怖いです」
「怖くて当然よ。でも、あなたは、これまでも、怖いまま、必要なことをしてきたじゃない」
イリスが、静かに続けた。
「一つだけ、覚えておいて。審判の間では、言葉を飾る必要はない。飾った言葉は、あの場では、すぐに見透かされる。あなたが、これまでの旅で本当に感じたことだけを、そのまま伝えなさい」
「――それだけでいいんですか」
「それだけで、十分よ。あなたは、もう、飾らない言葉を持っている」
イリスは、水晶をルナの手に握らせたまま、そっと目を閉じた。
「――行きなさい。もう、はぐらかす言葉は、残っていないわ」
フローラが、最後に、大きな籠にありったけの食料を詰めて、二人に持たせた。
「――これで足りるかしら。審判の間がどんな場所か知らないけど、お腹を空かせたまま大事な話をするのは、良くないもの」
「ありがとう、フローラ」
「――ねえ、フローラ。もし、うまくいかなかったら」
「うまくいくかどうかを、今から心配するのは、やめておきなさい。うまくいくって決めて、歩いた方が、足取りは軽くなるものよ」
「――簡単に言うね」
「簡単に言えることは、簡単に言った方がいいの。難しく考えるのは、審判の間に着いてからで、十分よ」
その明るさに、ルナは、少しだけ、心が軽くなるのを感じた。
「無事に戻ってきたら、また食べにいらっしゃい。カイも連れて」
その一言に、ルナは、必ず戻ってくるという約束を、また一つ、自分の中に積み重ねた。フローラの籠から漂う、焼きたてのパンの匂いが、その約束を、優しく後押ししていた。
丘を下りる二人の足取りは、これまでのどの瞬間よりも、確かだった。恐れは消えていない。だが、恐れの中に、初めて、はっきりとした道筋が見えていた。
「――やるべきことが、見えた気がする」
リオンが言った。ルナは、太陽の光を浴びながら、大きく頷いた。
「うん。カイに、選ばせに行く。一人じゃなくて、二人で、同じ扉をくぐる道があるって、伝えに行く」
審判の間へ続く道は、これまでのどの道よりも、静かだった。まるで、世界そのものが、次に起こることを、息を潜めて見守っているようだった。
「――怖くない、なんて、言わないよね」
リオンが、隣を歩くルナに、そっと聞いた。
「怖いよ。でも、迷ってはいない。それだけで、前よりずっと、歩きやすい」
「迷いがない、というのは、恐れがない、ということとは違うんだな」
「違うと思う。恐れは、多分、最後までなくならない。でも、迷いは、ちゃんと言葉にすれば、少しずつ、なくなっていく気がする」
リオンは、その言葉を、何度か口の中で繰り返すように、小さく頷いていた。
道の先に、これまで見たどの建物より荘厳な、円形の建造物が見えてきた。夜空が、その建物の天井そのものになっているような、不思議な造りだった。
「――あそこだ」
「うん」
二人は、互いの歩幅を合わせ、その扉の前に立った。




