第十一章 輪が回る音
虹色の輪は、近づくほどに大きくなり、やがて、見上げるほどの巨大な回転する円環となった。円環の縁には、無数の小さな像が並んでいる。笑う者、泣く者、眠る者、走る者。回転するたびに、それぞれの像が上になり、下になった。回る速度は一定ではなく、時々、急に早まったり、ぴたりと止まったりした。その不規則さが、かえって、これが本物の"運命"らしく感じられた。
「――これに、乗るの?」
「乗るというより、選ぶ、んだと思う」
円環の中心には、目を閉じた小さな像があった。像の表面には、細かい傷が無数についていて、それぞれの傷が、まるで誰かが選んだ結果の跡のように見えた。カイが近づくと、像がゆっくりと目を開けた。
周囲の像たちは、それぞれ異なる表情を浮かべていた。笑う像の口元は、どこか虚しさを孕んでおり、泣く像の目元には、微かな安堵が滲んでいるようにも見えた。幸運と不運は、表面的な表情だけでは、判断できないのだと、その像たちが、静かに物語っていた。
「愚者よ。ここでは、何も教えない。ただ、選んでもらうだけだ」
像の声は、どこか懐かしい響きがあった。魔術師にも、教皇にも似ていない、もっと古い声だった。
「――選ぶって、何を?」
「この輪は、上にあるときは幸運、下にあるときは不運を示す。お前は今、輪のどこに乗るか選べる。上を選べば、次の領域までの道は易しくなる。下を選べば、道は険しくなる」
「じゃあ、上でしょ」
カイが即答したが、像はゆっくりと頭を振った。
「――一つ、言っておく。輪は、常に回っている。上を選んでも、いつか下に来る。下を選んでも、いつか上に来る。お前が選べるのは、"今どこに乗るか"だけだ。"回らないようにする"ことは、誰にもできない」
その言葉に、ルナは、これまでの旅を思い出した。フローラの庭の甘さ、皇帝の砦の冷たさ、獅子の牙、老人の灯り。どれも、ずっと同じ場所に留まっているものではなかった。良いと思えたことも、悪いと思えたことも、時間が経てば、少しずつ、違う形に見えてくる。まるで、この輪と同じように。
「――なら、今は、下でいい」
カイが驚いた顔をした。
「なんでだよ、易しい道があるのに」
「易しい道を選んだら、多分、後でもっと大きな下が来る気がする。だったら、今、自分から選んだ方がいい」
「――理屈になってないぞ、それ」
「うん。でも、そう思った」
像は、その答えを聞いて、初めてわずかに笑ったように見えた。
「――お前は、いくつだ」
「わからない。多分、まだ、そんなに長く生きてない」
「短く生きて、それだけの考えに至るとは、なかなかのものだ。長く生きた者ほど、"運命はやってくるもの"だという思い込みに、縛られやすい。長さは、必ずしも、知恵の深さを保証しない」
「――ちなみに、聞いていいか。もし俺が、上を選んでいたら、どうなってた?」
カイが尋ねると、像は静かに答えた。
「易しい道を、易しいまま歩いていただろう。それが悪いこととは言わない。ただ、易しい道の先にあるものと、険しい道の先にあるものは、たいてい、違う景色をしている」
「面白い選び方だ。運命というものを、"やってくるもの"ではなく、"迎えに行くもの"だと思っているのだな」
「違うの?」
「多くの者は、運命を、天から降ってくるものだと思っている。お前のような考え方をする愚者は――そう多くはない」
その言葉には、以前の愚者への言及が、微かに滲んでいる気がした。ルナは、それを問い詰めなかった。ソルの言葉を思い出したからだ。急ぐ者は、道の途中にあるものを、見過ごす。
輪が、ごとん、と重い音を立てて回った。ルナとカイの足元が、僅かに沈む。険しい道が始まる、その予兆だった。
「――怖くないのか?」
「怖いよ。でも、獅子と話したとき、わかったことがある。怖いままでも、選んで、歩ける」
カイは、それ以上何も言わず、隣に並んだ。険しい道の入口――そこには、天秤を掲げた女の姿が、静かにこちらを見つめていた。
「――あれは?」
「正義の座の主だ。……なんか、様子が変じゃないか」
天秤の女の目は、これまで会ったどの守護者よりも、まっすぐに、そして重く、ルナだけを見つめていた。まるで、ずっと前から、この瞬間を待っていたかのように。




