* 5 *
――そうして幾許かの時が過ぎ。
私は、激しく戸惑っていた。
『脅威から救って頂きありがとうございます。どうぞ、お元気で』
そう伝えて終わりのはずだった。この収まりきらない感謝の気持ちを、決まった言葉でどんな風に届けよう。そう思っていた、のに。
「長い間待たせてごめんね」
向かい合う相手が憂いを帯びた瞳で見下ろしてくる。
「毎日毎日、今日も君がここで待っているのかと思うと、気が急いて仕方なかった。冬が来れば、外で待つのは冷えるだろうから……」
寒い。確かに寒くはなった。が、その寒さを感じられないくらい熱かった。眼前にあるのは、初めて会った時と変わらないさらさらの黒い髪。そして、同色の瞳だ。
今、私はどういうわけか、『勇者様』から過分な心配りを受けていた。
(な、なんで、こんなことに)
無事な姿に喜ぶ余裕も、安堵する間もない。
――やっと会えた、と。
堪えきれない嬉しさを顔一杯に浮かべた勇者に駆け寄られ、私は伝えるべき言葉を一瞬忘れた。
今も送られる視線と言葉に、冷静さが刈り取られていく。
ちょっと逃げたい。
とにかく、逃げたい。
だが、勇者の苦労をここで台無しにしてなるものか。
「きっ、……脅威から、救って、いただき……」
「うん」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
次は何を言うのだろうと、期待されている気がする。けれど、話せるのはあとひと言。私は勇者の尊顔を見ないように頭を下げて、最後の言葉を言い切った。
「どうぞ、お元気で」
もう、どうか。不必要な事を伝える前に。願いながら地面を見つめ、視界の端の靴が引くのを待つ。
だが、その時間が異様に長く、私はちらりと視線を上げて勇者の様子を窺った。
そこで返されたのは、麗しい笑みだ。
ね、と穏やかな声が落ちてくる。
「約束を覚えている?」
(……やくそく? 約束、って何だろう)
回らない頭で何かしたかと考えていると、勇者がすっと身を屈めた。
「――君の、名前」
(ひぇ……っ)
既の所で息を止め、叫び声を飲み込んだ。
吐息の触れた耳が熱い。瞬く間に心臓が走り出し、体温が上がっていくのがよく分かる。
恥ずかしい。蹲りたい。それでも決められたこと以外は伝えられない。耐える私に、彼は目を細めて口を開いた。
「大丈夫だよ」
彼の腕が持ち上がる。大きな手が宥めるように髪を撫で、私の頬に添えられた。次いで長い指が顎へと滑り、勇者の顔が近くなる。
漆黒の瞳は柔らかく、優しく細められている。けれどその奥に見つけた熱は、真っ直ぐにこちらに注がれていて。
「〜〜っ!!」
咄嗟に顔を逸らし、触れていた手から逃れ出た。騒ぐ胸を押さえて宥め、そうして自分がした事に気がついた。
瞬く勇者の姿を認め、私はさあっと青くなる。
(ど、どうし、よう……っ)
拒絶など許されているはずがない。これは役目、ひいては神への反抗だ。私は罰に備えて手を組んで、ぎゅぅと強く目を閉じた。
世界が終わるか、私が終わるか。どうかせめて後者であれと願いつつ、審判の時を待ち構える。
「……」
けれど。
「……、……?」
何も起こらない。
恐る恐る、目を開く。死んでない。世界も……無事そう。私は微かに震える手をゆっくり広げ、その動きを確かめた。
「ほらね、大丈夫」
嬉しそうに微笑む相手に、私はようやくからからになった喉を動かした。
「どう、して」
「だって世界を貰ってきたから」
「…………は」
「この世界の神が言ったんだ。魔王を倒せば、願いを一つ叶えると。だから世界をもらった。君と自由に話せない世界なら、俺が変えてしまえばいいと思って」
なるほど。確かにそれは間違いない。
納得しかけた私はぶんと頭を振った。
「っ、まって、なんで、ですか!? なんで私、というか元の世界は……!」
「そうだね。望めばまた、あそこで生きることも出来たかな。でも俺は、帰りたいとは思わない」
はっきりと告げられた彼の意思に目を見開く。
どうして。何か、嫌なことがあったのか。辛いことが起きたのか。切り離された世界を知らない私は、不用意な言葉を掛けられずに固まった。
「あぁ、ごめんね。そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。ただ、未練なんて欠片もないって言いたくて」
「そんな、顔」
「うん。俺のことが心配で堪らないって顔」
まるで、この上なく大事なものを慈しむように頬を包み、指で擦る。その仕草に、一旦冷えていた熱が戻ってきた。
「だからこの世界が欲しくなった。勇者が居なくなって、俺の事を考えない日々が君の日常になる。俺は、その方がずっと惜しかった」
(……、な)
何か、すごいことを、言われた気がする。
(き、気の所為……かな)
うんそうだと逃避しかけたけれど、触れたままの手がそれを許しはしなかった。
冗談などではない。
世界より何より、自分を選んだのだと言ってくる。
「〜〜っ、わ、私は、貴方にそんな風に惜しんで貰えるようなことは、なにも」
「そうかな?」
何故、そんなに楽しそうに聞いてくるのか。
「……そうじゃない、ですか?」
「だって、ずっと心配してくれたよね。理不尽な言葉に怒って、泣いて。あぁ、この子は世界を救う神ではなく、自分達とは違う異物でもなく。勇者を一人の人として見てくれてるんだって知って嬉しかったのに」
忘れた? と首を傾げる相手。その言葉を反芻する。そうして。
(ちょ、っと、待って……!?)
もしやあの日か。怒りに任せて喧嘩を売って、助けて貰った相手に宥められて涙を零した。無謀で恥ずかしいことをした夜が、少し前に確かにあった。
ただ――。
(あの時、勇者様は居なかったはずだけど……!)
どういうことだ。どうして知ってる。
驚きに見開く目を見返して、彼は秘密を話すように口元で一本指を立てた。
「そうですね……。神殿の関係者……だからですかね?」
(!!? あああ、あのひと……!?)
まさか喚いたことが全て本人に聞かれていた、とか。
「ううう、うそ、嘘ですよね!?」
「本当だよ。言ったでしょ、君の気持ちは届いてるって」
「い、言ってた、けど……っ」
だって勇者だとは認識出来なかった。本人もそうとは言わなかったし、他人事のように話していたではないか。泣きそうな顔であり得ないと呟く私に、彼は少し申し訳なさそうな顔で笑った。
「ごめんね。実はちょっとした裏技があるんだ」
勇者としての干渉は出来ないけれど、人々の日常を見る事が出来る。彼はそれを、街に着いた日の夜に使ったらしい。
「全ての街を巡ってきて、あちこちでこの世界の人の心を聞いてきた。魔王と戦うのは勇者の役目。だから世界を、自分を救うのは当たり前。役割はただひたすら面倒で、不利益があれば勇者が悪い。そんな考えを持つ人が多かった」
でも君は違う。
目を伏せて、浸るように頬を緩める。私はそんな勇者に待って欲しいと首を振った。
「た、たまたま、悪く言う人の話ばかりを聞いただけです。そんな人ばかりじゃ」
「そうだね。その中で君を見つけた俺は幸運だった」
「なんでそんな変換に……!」
なんだかもう、修整不可能な匂いが漂う。
いや、諦めてはいけない。
「聞いて、下さい……っ」
私は彼に傾けている心を隠し、自分が向けた気遣いや思考は至極普通のものだと主張した。私の友人も勇者の仕組みには疑問を抱いていたし、純粋に身を案じていた人はもっと沢山居ただろう。
「だから、惜しむとか……っ、ほ、欲しがったり、するような価値は」
「うん、分かった」
「へ」
あっさりとした答えに、ぽかんとする。そんな私に、彼は首を傾けふわりと笑んだ。
「なら確かめようか。君が特別じゃないってこと」
「――は」
「俺のこの想いが間違いか。もっと話して判断しよう。君と過ごして、話して、知って、君も俺のことを理解して。そうすれば、惜しむべきものが分かるだろう」
そうしよう、と決めた勇者に二の句が継げない。
次々と贈られる思いに、私の顔は赤くなったり、青くなったりと忙しないことだろう。
逃げ場など、とうの昔に奪われていたのだ、と。ようやく気付いた私に、勇者が顔を寄せる。
「だから、ね。君の名前を教えて?」
お読み頂きありがとうございました(*´˘`*)
山もなければ谷もない。
チートもなければざまぁもない。
でも書くことができて幸せです❀
最後までお付き合い下さった皆さまに、心より感謝を申し上げますっ!




