* 3 *
まだそれほど遠くへ行っていないだろう。
お礼を言いたいからと店を抜け出し、姿を探して視線を巡らせる。すると、少し先、広場手前の街灯に手をつき腰を折る人の姿が目に入った。
「あの――」
「くそ、『時間外』でもこれは駄目か。本当、許されてることが分かり難いな」
呻くように小さく呟き、額を拭って、体を起こす。その億劫そうな動作に、立ち止まった程度では癒えない不調が見えた。
「……ぐ、具合が悪い、んですか?」
そんな状態であの立ち回りをしていたのか。恐る恐る声を掛ければ、私のものより広い肩がぴくりと揺れる。
「ああ、君か。こんなところまで、どうしたの?」
「その、助けて貰ったので」
「そっか。なら、格好悪いところを見せたね」
振り返った彼は少し困ったような笑みを作って見せた。壁を作るようなそれに、一瞬引くべきだったかと足を戻す。けど。
(顔色、悪い)
ぼんやりとした明かりの下でも、苦痛の色は見て取れた。
やはり放っておけない。
「少し休んだ方が……、お店は……盛り上がってるから、取り敢えず近くのベンチとか――」
「気にしないで。ちょっと警告っていうか罰? みたいなものだから」
「罰……って、まさかお役目に触れるようなことを?」
「まぁそうかな」
「そうかなって、そんな」
役目に障ることをして、不調が体に出ているということは、かなり不味い状態なのでは。そして彼の世界が終わるとすれば、それは巻き込んだ私のせいであって。
「や、やっぱり来て下さい……!」
死という言葉が襲いかかり、焦った私は彼の手を掴んでベンチへ急いだ。座面を示し、高い位置にある肩を押さえ、座った相手を上から見下ろす。
――いや待てよ。
これだけでは彼が屈んでいた時とそう大して変わらない。気付くと同時に彼の隣に腰を下ろし、不思議な色彩を纏う相手を真っ直ぐ見つめた。そうして自身の膝を指で示す。
「寝て下さい」
「……君、いつもこんな事してるの?」
戸惑ったような、しかしどこか不審物を見るような、そんな視線に何故と思う。そして気づいた。
「ち、ちが……! これは、あなたが死んじゃうと思ってっ」
かぁ、と顔が熱くなり、ぶんと勢いよく手を振った。
混乱していたとはいえ、お互い、初対面で許す距離ではない。恥を隠すように頬を覆う私の向かいで、小さな笑い声が漏らされた。
「やっぱり君、面白いよね。……大丈夫、まだこれくらいじゃ死なないよ。けど、そうだな。折角のお誘いだし? 男としてはこんな機会逃せないっていうか」
「わ、分かったからとにかく寝て下さい……っ」
遮るように願えば、彼は失礼するよと軽く笑い、ゆっくり体を倒していった。
太腿の上に頭を乗せて仰向けになり、片腕で目元を覆う。そうして深く、息をついた。そこにほんの少し前までの笑顔はなくて、本当に苦しかったんだな、と思った。
そして、平気な振りをするのが上手いんだな、とも思った。
彼はたぶん、優しい人だ。
苦しいのに、その苛立ちを他者には向けない。それどころか、相手を思う忠告ができるくらいの人なのだ。
そっと、頭を撫でる。
ぴくりと膝の上の身体が揺れて、つい触れてしまったことに気がついた。だが拒む気配はなく、私は小さく息を吐き、そのまま手を滑らせた。
指の間を通る短い髪は、少し硬さがありつつも、さらさらとしている。宥めるように、それを梳いた。
「……ごめんなさい」
冷静になれば、自分がかけた迷惑を思い知る。
彼が止めてくれなければ、騒ぎももっと大きくなっていただろう。大事な友人の店だったのに。
「私のせいで、こんな」
「大丈夫だよ。俺がしたくてしたことだから」
「でも」
「謝るのはお友達の方だけで。俺は感謝される方が嬉しいかな」
覆っていた腕を避け、深い色の瞳を向けられると何も返せなくなってしまう。
そもそも礼を伝えるために追ってきたのだ。
「……ありがとう」
私の言葉に、彼はうん、と応えて口元を少し緩めた。そしてまた、瞼を下ろす。
秋が訪れたばかりのこの時期は、夜風が気持ちよく過ごしやすい。じっとしていても、労らねばならない相手が冷え過ぎないのはありがたかった。
また一つ、髪を梳く。
「……君はさ」
ぽつりと言葉が零れた。
「なんであんなに怒ったの?」
道に迷った、幼子のような。そんな声音だったから、怒りは湧いてこなかった。ただ、静かに自分の思いを口にする。
「どうしても、怒らずにはいられなくて」
この街はまだ魔物の被害に遭っていないから、だからあれほど無責任でいられるのだ。だが脅威は確実に忍び寄っている。それを守っているのは、誰だと思っている?
「なのに、あんな言い方――」
「でも異世界の人間なんて、得体が知れないと思うのが普通だよ。それにこの世界を守るのは、喚ばれた勇者の役割だ。利用出来るものはすればいい。親だって、子どもを利用する。それに勇者だって目的があって行動している。純粋に救いたいと思う気持ちばかりではないはずだ」
ね、と宥めるように見上げてくる。それが何故か昼間見た、遠い世界の人と重なった。
嫌だ、と思う。
仕方ないと思って欲しくない。諦めてしまって欲しくない。理不尽だと思うこと。それが当たり前になるのは、きっと辛いことだから。
「救いたいなんて思わなくていいんです」
突然連れてこられて、たった一人で荷を負わされて。恨みを持っても、勇者にはこの世界の人間を害することが出来ないそうだ。
「目的があるのも当たり前。だって、この世界なんてあの人にとって何の関係もないんだから。私たちがそうするように、勇者様だってこの世界を利用していい」
そう、確かに他に理由はあるだろう。そうしなければ、帰ることも出来ないとか。でも、そうだとしても。
「どんな思惑があったとしても、私達が救われていることに変わりはないです。傷付くことも、苦しむことも、何度だってあったはず。それでも、今も進み続けてくれている。……それは、あの人を敬ったり、感謝したりする理由には足りないんでしょうか」
問いながら、答えは求めていなかった。そうだと言われても、自分の心は変えられない。寧ろ足りないのはこちらなのだと強く思う。
「本当は……もっとお役に立てる事を伝えたかった。何なら荷物持ちでも何でもしたかった。でもそれは許されていない。だからせめて、嫌な思いはさせたくなかった。この世界の人が、あの人を貶めること、傷つけること、絶対に許せなかったんです」
真っ直ぐに前を向いて告げれば、暫しの後、膝に乗せた相手が笑い出した。
「なんで笑うんですか!?」
「ちょっと、告白を聞いたような気分で」
「こ、っ!? そんなのじゃ……っ」
「違うの? 残念」
「ざ、残念ってどういう――」
「君は、すごいね」
意味、と聞き掛けたが、相手の呟きが重なった。体を起こすと同時に告げられた、過ぎたそれを頭の中で思い返せば、私の眉間に皺が寄る。
「どの辺りが、ですか?」
「うん、そういうところが」
からりと笑うが、何もできない私には嫌味にしか聞こえない。たった二言、意味のないことを伝える私の、一体どこがすごいというのか。険しい表情のままの私に、穏やかな笑みが応える。
「君は、君がしていることを当たり前のことだと思ってる。でも当たり前のものって、実はそうじゃないんだよ。誰ががいなくなれば、消えてしまうものなんだ。だからね」
向き合う相手が手を伸ばし、私の頬を包みこんだ。
「君は、消えたらだめだ」
静かな声が、心に届く。命じるようでいて、願うような、案じるような。そんな響きに、一瞬言葉を見失う。
「……消えない、です」
「でも無茶をした」
「勇者様はきっと、もっと無茶をしてるんです」
「……君は結構、頑固だね」
呆れたように言うのに、浮かぶのは初めとは違う、嬉しそうな笑みだ。
ぎっと音を立て、ベンチから居り立った彼が前に立つ。
「もう、動いても」
「大丈夫だよ。だから、無茶しないで」
そっと、温かい手が頭に触れた。
「君の気持ちは届いてる。だから任せて。無理して『天罰』が下りちゃったら、頑張ろうとしてる勇者様も悲しむよ」
撫でる手も、続く声音もどこまでも優しい。不思議な彼の言葉に滲み出す視界を隠し、私は一つ意見した。
「勇者様は、頑張らなくてもいいんですよ……」
こんな世界のために、と続ければ、相手はくすりと笑う。
「こんな世界だけど、頑張りたくなっちゃう理由が出来たみたいだよ」
「なんで……」
「何でかな。でも君がいるなら、勇者様はきっと無事に帰って来られる。君がいるから、帰ろうと思えるよ」
だから何でそんなことが分かるの。
そう言いたかったけど、言葉にならず――私は泣いた。
そこから、いつ店に戻ったのか覚えていない。
でも手を引かれ、大人しくぽてぽてと歩いたような気がする。
顔を上げてと言われてぼんやりと空を見上げたような気もする。あれは、夢だっただろうか。
星が瞬く空は深く、綺麗な夜で。勇者様みたいと呟いてたら、笑い声がありがとうと囁いた。
誰かが命を懸けて戦っているなんて思わないくらい、穏やかな時だった。
街娘ちゃんは感情が高ぶると泣いちゃうタイプ。




