* 2 *
夜の食堂はがやがやと喧しい。
昼間とは違い酒が入るため、気と共に声が大きくなるのだ。
かくいう私も――酒は飲まないが――少しばかり喋ろうと、幼馴染の店に来ていた。
カウンター席に腰を下ろし、その向こうで作業している友人に声を掛ける。すると彼女は弾けるような笑みで私を迎えてくれた。
「あ、やっぱり来た! 一回目のお役目お疲れ様。で、どうだった?」
「素敵が勇者の服着て歩いてた……」
「あはは、何それすごい感想じゃん」
真面目に返した私に、彼女は可笑しそうに笑いつつ、どうぞと水を出してくれた。私はそれに感謝を返し、いつもの定食を注文する。
「で、具体的には? 何処がどう素敵だったわけ?」
顔を寄せて尋ねられ、私はこほん、と咳払い。
「ではまず体から」
「普通そこは顔じゃない?」
「だってしょうがないもん。勇者様って言うくらいだから、がっしりして男らしい感じだろうなって思ってたけど、すらっとしてて」
昼に目にしたばかりの姿を思い浮かべる。長旅をしてきたとは思えない清涼感のある髪に、穏やかな瞳。特筆すべきはその色だ。
美しい、黒だった。
黒色は、この世界の神や多くの人に馴染み深い、金、銀、茶髪、琥珀や碧眼とは一線を画す色彩だ。神殿に描かれている神を太陽に喩えるならば、勇者はまるで静かな夜のような人だった。
「やっぱり神様に選ばれるだけあるんだね。美形で強くて、しかも優しい」
「ほぉ……」
年頃の女子として潤いのある話題に、彼女の目が輝く。
「なら次はその優しいエピソードを追加で一つ」
「え? 私のご飯はまだなのに?」
おっとごめんごめん、そう笑った友人が調理場に足を向けた、その時だ。がちゃんっと大きな音が店に響いた。
私は思わず体を跳ねさせ、音のした方を振り返る。
するとそこには、顔を赤くした男たちが酒精片手に料理を囲んでいた。
「にしても、やっとお出ましだぜ」
「あぁ、勇者のことか?」
「それよ、待ちくたびれたっつうの!」
大きな声で不服を訴える男は、恐らく何か直接勇者に関わる役目を負っているのだろう。
煩さを不快に感じつつ自分の卓に視線を戻すと、友人がごめんねというような顔をしながらカウンターを出た。追加注文を聞いて、一度話の腰を折ろうとしているようだが――。
「ベシの街から七日もあれば着くのに、結界が張られてから倍以上掛かったな」
「道中、なんかあったんっすかね?」
「うちのおふくろなんて死んだんじゃないかって震え上がってたぜ」
男達はそれどころではないようだ。続く話は一見成り行きを心配している様だが、その声音は傍観者のものに他ならない。私の中でもやもやとした不快感が増していき、それを水と共に流し込もうとコップを手に取る。
「けど驚きだよな」
「何がっすか?」
「勇者サマだよ。喚び出された日から魔物を斬れるなんてよ」
普通ヒビらねぇ?と同意を求める声に対し、一人がああ、と声を上げた。
「もしかすると、元の世界で騎士だったんじゃないか?」
「あの優男がかぁ? 文官の方が似合ってそうだったぜ」
「あ、じゃあ身体の作りが違うのかも知れないっすね。細くてもすっごい強い力が出せるとか」
「マジかよ。それじゃ、見た目は俺らそっくりでも中身はバケモンかもしれねぇじゃん」
(っ……!)
堪らず私は立ち上がった。
勢いよく下がった椅子ががたんと倒れ、客の視線がそこに集まる。けれど私は構いもせずに、男達を睨みつけた。
「何もできないくせに、よくそんな事が言えるよね」
「……あ? 俺等に言ってんのか? 嬢ちゃん」
「そうだよ。勇者様がいなきゃ今頃どうなってるか分からないのに、馬鹿じゃない」
沸々と沸き立つ怒り。その勢いに任せて言葉を紡ぐ。
これは駄目だ。きっと煽る。そう、頭のどこか冷静な部分では分かっている。なのに止まらない。放たれた嘲りが、悔しくて腹立たしくて――。
「助けてくれる人を侮辱するなんて、私には貴方の方がよっぽど醜い生き物に見えるけどね」
「なんだと!?」
一瞬で逆上した相手が掴みかかろうと手を伸ばす。それを目にした私の体が苦痛を予測し強張った。
けれど、こんな男相手に怯えた姿を見せてたまるものか。
そう思って引かずにいると。
「折角の楽しい夜に、争うのはやめましょうよ」
誰かが、男の手を止めた。
横から割入る手を辿り、視線を向ければ一人の青年がこちらを見下ろす。
(……誰?)
同い年か少し上くらいか。すらりとした体躯に整った顔立ち。荒事には慣れていなさそうな彼の、その纏う色を何色と言えばいいのだろう。髪も瞳も深い色だと分かるのに、靄がかかったように色の判断が難しい。
(濃、藍色みたいだけど、違うような……しかも、なんだろう)
どこかで会ったことがある気がする。間違いなく初対面のはずなのに、何故か既視感を覚えてしまう。
「何だてめぇ」
「そうですね……神殿の関係者、ですかね?」
「しっ、神殿……!?」
今まで皮肉を言っていた相手を喚んだ側の者だと知らされて、男たちの間に動揺が走った。力の強い神殿関係者の不興を買うのは、今後を思えば愚策だろう。顔を見合わせる男たちに、大丈夫だと彼が笑う。
「別に、何処かに報告したりしませんよ。皆さん、半ば脅されて与えられた役目ですからね。不満が出るのは当然です。異世界の勇者を不審に思うのも。……ただ」
「い゛っ!」
男の手首が、捻じるような形で下ろされる。
「女の子に手を上げるのはどうかと」
青年が向けた微笑みに、痛みに歪む男の顔が青くなる。
「は……はなせ」
「はい」
ぱっと手を離した青年から、男が一歩後退る。そうして広がった男の視界には、店内の客の刺さるような視線が溢れていた。
「ちょっと、酔いすぎちゃったみたいですね」
「……っ」
言葉を失くす男に助け舟を出したのは、同席していた仲間の一人だ。そうだな、と落ち着いた声と共に席を立つ。
「済まなかった、迷惑をかけたな。――お前も、行くぞ」
「えっ!? は、はいっす!」
代金を置き、騒いだ男の腕を掴んで去る後を、一番若そうな男が転げるようにして追いかける。そうしてぱたんと扉が閉まるとともに、店内の客が大きく息をついた。
「もー! あんたはっ。あんな客に喧嘩売るなんてびっくりしたでしょ!」
どーんと勢いよくぶつかってきたのは友人だ。心配させないで、と怒る彼女を抱き返し、謝りながら背を撫でる。次いで助けてくれた青年はと見てみれば、丁度店の客の方へと振り向いたところだった。
「皆さん、お騒がせしました。折角のお食事の時間が息の詰まるものになってしまいましたね」
「いや、君のせいでは……」
「そうよお兄さん! あ、神官様だったわね」
ごめんなさいねと笑って訂正する夫婦の席の傍から、そうだと同意の声が上がる。
「俺も腹立ってたんだよなぁ、あいつらのあの言いざま!」
「だよな! 姉ちゃんもよく言ったもんだぜ!」
先ほどの男への不満が噴き出して、青年と私を持ち上げる人が増えていく。
「あ、あの私は何も、結局助けてもらって……」
「それでも、言い出すのは勇気がいるのよ?」
「いえ、勇気っていうかただ怒ってただけ……」
「良いじゃねぇか。腹立っても言えねぇ奴も居んだからよ! な、店の姉ちゃんも許してやれよ」
「そうだぞ。よし、飲め! 俺が奢ってやる」
「ええっと、私は飲まな」
わいわいと盛り上がっていく店内。そこで私は思わず助けを求めるように、青年の姿を探した。だが。
(あれ? いない……?)




