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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
遠き光
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5・遠き光

 炎州(えんしゅう)西の海沿いで、エルモア軍と対峙した。

 ドライデン将軍率いる十万が、五千のシェンゴン軍と向き合っている。その後方には、サイモン・エルモアの八万が続いている。


「エルモア伯は、よほどシェンゴン様が怖いようですな。たった五千の我らに、何十倍もの軍勢を当てて来るとは。今頃、帝都で震えておりましょう」


 平通(ひらみち)がそう言って笑った。

 ドライデン将軍は、海を背にして守りの陣を敷いていた。十万の軍勢があっても、シェンゴンに打ち破られるかもしれないと思っているのだろう。

 なかなか堅い陣ではあるが、破れるとシェンゴンは思った。ただし、三万の軍勢があればだ。


「しばらくこのまま対峙を続ける。こちらから手を出して、敵を刺激しないように徹底させよ」

「三万の軍勢が集まるまで、敵は待ってくれますかな」


 平通も三万の軍勢があれば勝てると見ている。情勢を考えれば、それだけの兵が集まる事は、不可能ではない。


「そこは、賭けだな。なに、我らはいつも勝ってきた。今回も勝つ。そう思っていれば、腹も座る」


 賭けは、すでに敗れていた。たとえここで何十万のエルモア軍を破ったところで、今までと同じ事を繰り返すだけだ。

 エルモア伯が自ら出陣してくる。それだけが、唯一の細い糸だった。蒼州(そうしゅう)のジギスムント戦や、玄州(げんしゅう)のユアン公爵戦を見れば、ここ一番でエルモア伯自身が出て来る可能性は、充分にあった。

 エルモア伯の首を取る。最後の賭けは、あっけなく破れた。

 夜。シェンゴンは床几に座って、一人考え続けた。

 取り立てて何か、思う事がある訳ではない。様々な事が、浮かんでは消えて行く。

 何の為に生き、何の為に戦ったのか。答えが出ないまま、疑問は流れ去っていく。

 ふと、隣に安東(あんどう)高星(たかあき)がいる様な気がした。


「なあ、安東殿。私が、我らが夢見たものは、結局何であったのだろうな?」


 高星が答えた。しかし、何と言っているのか分からない。

 元より、幻に過ぎないものだ。


     ◇


 エステルは、幕舎の中で座っていた。

 何かする訳でもなく、ただ座っているだけだ。どうにも、眠れない。

 本当は、片時たりとも高星のそばを離れたくは無かった。しかし、シェンゴン殿を生きて連れ帰れというのが、高星の命令だった。

 エステルにとって高星の命令は、ただの命令ではない。自分が自分に下した命令に等しかった。

 自分に命じた事を自分で守れない者は、どこまでも崩れて行く。無残な程に。高星の命令を守る事は、エステルにとって、己の尊厳を保つ事だった。

 安東高星の、秘書で、副官で、護衛の、立派な人物。周囲からは、そう見られていた。エステル自身、そうであろうと努力し続けてきた。そして、高星の夢を共有し、自分の夢とした。

 本当は、高星にすがっていただけだ。高星の隣だけが、唯一の居場所だった。そこに安住して、他の居場所を得ようともしなかった。得ようとして拒絶される事が、怖かった。

 高星の抱いた夢を、自分のものとして共有した事は確かだ。だがそれは、高星が目指す新しい国なら、自分を無条件に受け入れてくれるはずだと思ったからだ。高星の様に、高邁な理想があった訳ではない。ただただ、自分の為だった。

 自分一人では、生きていけない。寄生虫の様に、他人に依存しなければ生きていけない。

 誰かに必要だと言ってもらいたい。自分一人では、自分自身を愛せない。

 他人の承認を必要とする、自立できない自分が弱くて、醜くて、憎くて、嫌いだ。

 いまさら一人にはなれない。自己嫌悪が肥大化して、一人になった途端に潰れてしまいそうだった。永遠に高星に依存する以外にない。

 高星だけが、無言のうちにエステルの全てを肯定してくれた。あれほど居心地の良い場所は無い。

 馬蹄の響きが聞こえた。敵襲かと思ったが、騒ぎが起きた様子は無い。それに、妙に安心する響きだった。

 幕舎の外に出た。

 妙に明るい。そして、この場にいないはずの、数千騎の安東家騎馬隊がいた。その先頭に、高星がいる。

 高星、と呼びかけたが、声が出たのかどうか、良く分からない。

 同時に、これは夢だと思った。高星が、安東家騎馬隊が、こんな所にいるはずがない。

 高星が振り返った。

 エステルは息を呑んだ。高星の顔は、光でよく見えない。しかし、それは高星であって、高星ではないものだと、はっきり分かった。

 高星が。いや、高星の姿をした者が、何かを言った。良くは聞き取れない。しかし、何かを謝っている様だった。

 騎馬隊が駆け出した。行く先には、強い光が見える。

 行くな。行かないでくれ。目一杯に叫んだが、声が出ていない。走って後を追ったが、いくら走っても、前に進まない。

 高星が遠ざかって行く。

 その姿が光の向こうに消える直前、高星の声が聞こえた。

 何と言ったかは、やはり分からない。だがその声を聞いた瞬間、エステルは雷に打たれた様な衝撃を受けた。

 目が覚めた。いつの間にか、簡易机に突っ伏して寝ていたようだ。

 エステルは、自分が泣いている事に気付いた。

 そして、高星が死んだのだという事も理解した。何の証拠も無い。しかしエステルには、間違いのない事としか思えなかった。

 世界の全てが崩れ去り、抜け殻だけが残ったとしたら、こんな感じなのだろう。

 幕舎の外に出た。夜明けまで、あと数時間という所か。

 二百人の安東軍を緊急で起こし、一堂に集めた。


「みんな、聞いてくれ。高星が、死んだ。証拠は無い。だが、高星が私の夢枕に立ち、私は高星が死んだのだと確信した」


 兵達は多少ざわめいたが、静かにエステルの話を聞いた。


「現場の安東軍指揮官として、私は命令する。みんな、直ちに帰還して良い。生きて帰って、新しい安東家の為に尽くしてくれ。全責任は、私が取る」

「エステル殿は、どうなされるのですか?」

「私は――」


 コー・シェンゴンを、生きて変州へ連れて帰れ。それが高星の命令であり、約束だった。

 しかしエステルは、高星が死ぬまで護衛として守り、副官として支えると誓った。

 ならば高星が死んだ今、全ての命令と約束は、もう守らなくても良いよな。


「高星に、殉じる」


 そう言ってエステルは、自分の幕舎へ戻った。

 帰る者へ託して安東家へ届ける手紙を書くと、身辺整理は終わりだった。元々、大した物は持ち合わせていない。遺書を書く様な相手もいない。

 親衛隊の、特にジャンや、操や、イスカといった若い者達は、泣いてくれるかもしれない。しかしエステルの方から彼らに遺書を書こうとしても、何の言葉も浮かんでは来なかった。

 最後まで自分は、高星しか見ていない、薄情な女だと思った。

 自分の馬を牽いてくると、安東家の兵が勢ぞろいしていた。二百騎全てがいる様だ。


「お前達、何をしている」

「エステル様だけ、殿に殉じさせはしません。我々もお供いたします」

「馬鹿な。それに何の意味がある。今すぐに帰れ!」

「帰りません。我々全員、誰の強制も受けず、自分の意思で殿に殉じる事を決めました。エステル様はすでに、指揮権を放棄しておられます。我々に命令する権限はございません」


 エステルは戸惑ったが、高星はこれを見越していたのかもしれないと思った。わざわざ年長の順に二百騎を選び出して残していったのは、このときの為ではなかったか。


「私には、他人の意思をどうこう言う資格などない。本当に自らの意思で残るのであれば、それで良いだろう」


 兵達が、一斉に敬礼をした。

 最後の最後まで自分は、卑怯者だ。他人の運命など背負えない。背負う事から逃げている。それを責めないでくれ。私は、自分すら背負いきれないのだ。

 馬蹄の響きが聞こえた。今度は夢でも、幻聴でもない。

 一騎が、慌てた様子で駆け寄ってくる。奥瀬(おくせ)平通だった。


「エステル殿。シェンゴン様が、麾下のみを率いて出陣なされてしまった」

「どういう事だ?」

「死ぬおつもりだ。我らを巻き込まぬ様にして」

「そうか」


 止める理由も、もはやない。


「すぐに全軍で、シェンゴン様を追う。私の一存ではあるが、安東軍は好きにしてくれ。無理に付き合う必要はない」

「平通殿。お心遣い感謝するが、我らもすでに、覚悟を決めたのだ」

「そうか。そうであるか。では、何も言うまい。御免」


 平通が馬を駆けて行った。


「では、我らも行こうか」


 エステルを先頭に、二百騎は粛々と進んだ。この時間に出たのであれば、戦は日の出と共に始める気だろう。急ぐ必要はない。

 平通率いる四千と途中で合流して、夜明け前にシェンゴンに追いついた。エステルと平通は、シェンゴンの行く手を塞ぐように前に出た。


「何のつもりだ、平通?」

「私の言う事です、シェンゴン様」

「敵に攻撃の気配があったので、出鼻を挫いてやろうと――」

「シェンゴン様が死に場所を求めている事に、気付かぬ私とお思いですか」

「しかし」

「御一緒いたします」

永通(ながみち)に宛てた書状がある。お前はそれを、変州に届けてくれ」

「無駄でございますよ、シェンゴン殿」


 エステルが言った。


「私も安東家に宛てる書状を書きましたが、誰も届けてくれません。みんな、最後まで共に戦うと言っております」

「エステル殿。しかしそれでは、私は安東殿に何と詫びれば良い」

「詫びる必要など有りません。高星は、生きた人間の言葉が届かない場所へ行ってしまいました」

「本当か?」

「事実です。少なくとも、私と、ここにいる二百騎にとっては」


 長い道のりだった。ここに来るまでに、考える時間は充分すぎるほどあった。誰もが考え抜いた末に、自分の道を選んだのだ。それを止める事は、誰にも出来ない。


「遠いな」


 シェンゴンが言った。


「何がでございますか?」


 平通が尋ねる。


「我らの抱いた夢が。永通には、済まぬ事をした」

「遠いからこそ夢。高星ならば、そう言うでしょう」


 エステルが言った。

 辺りが明るくなってきた。夜明け。朝日が海を照らし、照り返しで海が輝いていた。


「敵陣の向こうに、我らの夢がある。そう思って駆けよう。いついかなるときでも、夢に向かって駆けたい」

「良いですな」

「それでこそ、シェンゴン様です」

「陣形は要らぬ。それぞれ、思うままに駆けよ」


 シェンゴンが鉄仮面を着けようとして、手を止め、仮面を放り捨てた。

 シェンゴンが駆け始める。平通が隣に付いた。エステルは安東軍と共に、少し離れて駆け始めた。

 旗を掲げた。星を追う鷲。安東家の旗。この旗の下に生きた時間の、何と幸福であった事か。

 誰かがエステルを追い抜いた。高星が振り向き、エステルに笑顔を向けた。再び前を向いた高星が、剣を抜き放った。


「全軍、棟梁安東高星に続け!」


 高星だけではない。ヴァレリウス・大崎が、フジテル・ユハラが、奥瀬影通(かげみち)がいる。

 中小国(なかおくに)隊長がいる。名も知らぬ兵達がいる。セイアヌスもいた。道半ばで倒れた者達が、みんないる。

 エステルはもう、一人ではなかった。

次回、最終回。

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