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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
遠き光
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2・勝者もなく敗者もなく

 第3節10日。軍を解散してから、十日余りが経った。

 シェンゴン、ヴァレリウス、奥瀬(おくせ)影通(かげみち)、それに皇女を送り届けて戻ってきた、タダアキがそれぞれ軍勢を率いている。

 シェンゴンの手元にいる軍勢は今、七千もいない。

 神州(しんしゅう)の南方、炎州(えんしゅう)の山中だった。炎州は山がちで、大軍の展開には向かない。アクセル・イズミやウンベルト皇子がこの地に拠って、寡兵でエルモア軍を振り回したのは、二年と少し前の事だ。


「シェンゴン様、不自由はございませぬか?」

「良くしてもらっている。礼を言おう。(おぼろ)

「御用があれば、何なりと」


 土地の小領主が、シェンゴンとその軍勢を匿ってくれていた。領主ではあるが、裏の顔は忍びであるらしい。

 朧と名乗った青年は領主の一族で、子日(ねのひ)とも何か関わりがある様だが、シェンゴンは聞かなかった。知ったところで、お互いに辛いだけだろう。

 ただ、朧はシェンゴンよりも年下の様だ。つまり、子日よりも年下という事だ。その事と、子日の名前を出したときの態度が、僅かに二人の関係を想像させる。

 軍勢の数は、少しずつ減っている。去る事を許しているし、体力の回復した者から、少しずつ帰すようにしている。だが、帰るときはシェンゴンと共に、という者も少なくない。

 自分がこれほど兵に慕われていたという事が、シェンゴンには驚きだった。兵の一人一人に対しても、言葉を掛ける様にはしてきた。だが、全体から見れば、無いも同然の数でしかない。

 それなのに、兵達は無私の献身を捧げてくれる。それに対してシェンゴンは、どう報いれば良いのか、見当もつかなかった。


「シェンゴン殿、また勅書が届いている」


 エステルが勅書を、ぞんざいに持ってきた。


「またか」


 山中に潜んでいる自分の所にまで勅書が届くあたり、南朝も腐っているとは言え、侮れないものをまだ持っているのだと実感した。

 だがそれ以上に、頻繁に勅使がやって来る事で、エルモア方にこの場所が知られる事の方が心配だった。自分の身だけではなく、匿ってくれた者達にも危険が及ぶ。

 そういう配慮がまるで感じられない辺り、やはり南朝には人間的なものが無かった。

 勅書の内容は、速やかに都に攻め上り、奪い返せというものだった。もはや、勅書とも言えない。

 シェンゴンは勅書を破り捨てた。怒りからでも、絶望からでもない。それはもはや、目にしたくも無いほど醜く、愚かで、哀しい物でしかなかった。


「バウファン卿からの手紙もある。こちらは、朧殿の一族が運んできた物だ」


 父バウファンも、炎州の片隅に居を構えている。もはや隠居したも同然の身だが、情報だけは積極的に集めているという。

 手紙には、情勢の事は何も触れられてはいない。エヴァンジェリン皇女が無事である事を喜ぶ言葉と、シェンゴンの事を誇りに思うという言葉だけがあった。

 会いに行こうと思えば、会える距離である。しかしシェンゴンは、父に会おうとは思わなかった。いまさら、父と会う資格などない。

 道を違えたと言えるが、どこかで父を裏切ったという思いがある。

 朧が急報を運んできたのは、その翌日だった。


「皇女様が、戦場に出ただと」


 二千ほどの軍勢と共に、南朝に味方せよと呼びかけながら、都に向けて進軍したという。

 皇女の意思ではあるまい。南朝が、父である皇帝カルロスがそうさせたのは、明らかだ。

 自分のせいだ、とシェンゴンは思った。十五万のエルモア軍を破った戦で、五千の皇女軍が前に出て、全軍が奮い立つ一幕があった。

 その事を、南朝の誰かが知ったのだろう。もう一度同じ事をすれば、もう一度勝てる。そんな浅はかな考えで、皇女が僅かな兵と共に戦場へ出されたに違いない。

 皇族が出れば勝てるほど、エルモア軍は甘くない。そんな事も分からないほどに、南朝は何も見えていなかった。

 今すぐ皇女の救援に出撃しようにも、シェンゴンの潜む山中からはあまりにも遠かった。どんなに急いでも、間に合うとは思えない。


「皇女殿下に近い所には、奥瀬殿とユウキ殿がおります。お二方に託すしか、ありますまい」


 朧が言った。


「ともかく、情況は逐一報告できるようにいたします」

「頼む」


 翌日、エルモア軍が六万の大軍を発して皇女討伐に動いた、という情報が入った。

 六万もの大軍を動員した事で、皇女に味方しようと考えていた者も、二の足を踏むだろう。

 それにしても、六万は多い。エルモア伯は、皇女が第二のウンベルト皇子になる事を恐れているのかもしれない。あるいは、皇女のそばにシェンゴンがいる可能性を考えての事か。

 どちらにしても、エルモア軍は未だ敗戦から立ち直っていない。今シェンゴンの手元にいる、七千に満たない兵。これが万全の状態で戦に臨めたら、六万のエルモア軍と言えど、恐れるには足りない。

 そう思っても、虚しいばかりだった。

 さらに翌日、戦の結果が伝えられた。

 奥瀬影通が、戦死していた。皇女を逃がすために殿軍として踏み止まり、討ち死にしたという。ユウキ・タダアキも、影通を助け出そうとして重傷を負ったそうだ。

 平通を呼び、影通の戦死を告げた。平通はただ瞑目して叔父の死を受け止めていた。


「飲もうか、平通。長く自分に禁じていたが、影通の弔い酒ならば飲んでも良い」

「お付き合いいたします」


 朧からもらった僅かな酒を、二人きりで飲んだ。


「叔父上は気持ちの底に、激しいものを持っていました。いつかこうなるのではないかと、父上が懸念していた通りになってしまいました」

「影通の戦ぶりは、いつも果敢だった。この情況で影通に一軍を任せた私にも、その死の責任がある」

「シェンゴン様が死なせた訳ではありません。戦のある世の中が死なせたのです。そう思う事に致しました」

「そうか」


 胸が押し潰される様な思いだった。しかしシェンゴンは、それを顔には出さなかった。いまさら悲しみを表に出すなど、許されもしない。


「死んで行った者達にしてやれる事など、何も無いな」

「忘れずにいれば良いのではないでしょうか?」

「それも、自分の為にする事だ。死んだ者の為にできる事は、何もないのだ。それを今、噛みしめている」

「シェンゴン様。変州に帰りませぬか。変州は、シェンゴン様を必要としています」


 平通が強い目を向けてきて言った。

 変州を、この国とは違う新しい国として独立させるという夢。その夢は、輝きを増した。だが、遠くなった。

 自分に従って死んだ者。自分と戦って死んだ者。一体どれだけの死を積み重ねてきただろう。それだけの命を使って、自分は何を果たそうとしたのか。何のために、彼らは死んで行ったのか。

 いまさら自分が、夢という輝かしいものを追うために、変州に帰っても良いのか。それが許されるのか。


顕成(シェンチャン)様も、大きくなっておられるでしょう」


 平通があの手この手で、シェンゴンを帰らせようとしているのが分かった。しかし、顕成の事など今まで忘れていたし、思い出しても心を動かされる事は無かった。

 変州での戦いは、自分の血との戦いでもあった。父バウファンの血を受け継ぎながら、自分は自分として立てるのか。

 顕成は、さらに難しい血を受けている。その血の呪縛に抗って、自分の人生を生きる事ができるのか。

 己に勝つ事が出来たのか、それとも負けたのか。シェンゴンには、その答えを出せなかった。


     ◇


 シェンゴンの居所が、エルモア軍に知られたらしい。三万の軍勢が、明らかにシェンゴン討伐を意図して近づいて来ていた。


「世話になったな、朧殿」


 シェンゴンはこの場所を去る事を決意した。


「この山は、その全てが城の様なものです。山に籠って戦えば、十万の軍勢が相手であろうと、戦えます」

「ありがたい申し出だが、私はもうこれ以上、誰も巻き込みたくは無いのだ」


 本当なら、一人で敵に向かいたいくらいだ。だがそれを許さない者達がいる。どこまでも、自分に付いて来るという者達がいる。

 そういう者達の為に、自分は安易に死ぬ事も許されない。そして生きている限り、避けようも無く戦が追い掛けてくるようだ。

 シェンゴンが山を下りると、ヴァレリウスも合流してきた。


「随分久しぶりに会った、という気がするな」

「シェンゴン様が戦に出られるのに、私だけ隠れてなどいられません」


 ヴァレリウスが合流した事で、軍勢は一万三千になった。


「この先に、周囲より一段高くなった台地がございます。そこを抑えるのがよろしいでしょう」


 シェンゴンは肯いた。ヴァレリウスは他にも、付近の地形を詳細に調べていた。

 台地の上に陣取り、敵を待ち受けた。やがて敵軍が現れる。三万の軍勢の指揮は、ニコラス・ヘイグだった。後詰としてさらに一万がいると、斥候は報告してきた。


「エルモア伯も、本気でシェンゴン様を討ち取るつもりの様ですな」

「そうだな」


 つまり、自分が生きている限り戦は続くという事だ。生きている限り兵は死に続け、かと言って安易に死ぬ事もできない。いっそ自分が、もっと弱ければとさえ思った。

 エルモア軍三万が迫ってきた。魚鱗の陣形である。攻めの陣形だが、やはり腰が退けている。初めから突破される事を恐れている。


「ヴァレリウス。正面から逆落としを掛けよ。ユハラ。敵の側面に回り込み、攻撃を掛けよ」


 シェンゴンの麾下は、すでに二千ほどである。平通とユハラに一千ずつを任せ、シェンゴンの直属は、安東(あんどう)軍の二百騎としている。

 ヴァレリウスが敵にぶつかった。逆落としの勢いはあるが、やはり敵が厚い。先頭の鱗一枚を崩したところで勢いが無くなり、膠着した押し合いになった。

 ユハラの一千が側面から攻撃を始めた。攻め立てては退く事を、執拗(しつよう)に繰り返している。

 堪えきれなくなった敵が、ユハラの一千を蹴散らそうと動いた。陣形全体に(ほころ)びができる。

 シェンゴンはすかさず兵を動かして、ユハラの追い散らそうとした敵に突っ込んだ。瞬く間に敵を崩し、その勢いのまま敵陣深く突撃していく。


「狙うは敵将の首だ。者共、続け!」


 シェンゴンの相手をするというだけで、腰が引けていた兵である。こうなると抵抗は強くなかった。今ならば、敵将ヘイグを討てる。

 シェンゴンの突撃に合わせて、ヴァレリウスも攻勢を強めていた。これならば、届く。そう思った。

 不意に、横から強い衝撃を受けた。エルモア軍後詰の一万が、味方まで蹴散らしかねない勢いで突入してきたのだ。


「退け。一度退け!」


 敵が盛り返し始めた。押し切るには兵力も、兵の力も足りなかった。だがまだ、負けと決まった訳ではない。波のように攻撃を繰り返せば、まだ敵を崩せる。


「後詰の将は、ホフマンか」


 攻めに長けた猛将だけあって、見事な思い切りだ。ここで躊躇(ためら)ってくれたら、三万の軍勢は崩せたはずだ。


「シェンゴン様。ユハラ殿がいません!」


 平通が叫んだ。もしやと思い、振り返る。

 敵中に、ユハラ隊一千が踏みとどまって奮戦していた。

 ユハラ隊が敵中に残って暴れれば、確かに敵は立て直す事が困難になる。シェンゴンの次の攻撃で、ヘイグを討てる公算は大きく増す。しかし、ユハラ隊は全滅に近い損害を受けるだろう。

 すぐに反転しようとしたが、ホフマン隊一万が割り込んでくる。本隊が立て直すまで、盾になるつもりだ。


「反転。突撃!」


 今は一刻も早く、ホフマン隊を抜くしかない。


     ◇


 いくら腰が引けている敵兵と言えど、こちらが一千に過ぎないと見ると、(かさ)にかかって攻め寄せてきた。

 部下はみな、ユハラが自らしごき上げた兵達だ。寡兵と言えど、易々と討たれるほど(やわ)ではない。

 ユハラも馬を降り、大太刀を振るって当たる敵を片端から斬り伏せて行った。

 敵将を討てる、千載一遇の機会なのだ。この機を逃してはならない。この機を物にするためには、自分が踏みとどまるのが良いと思った。

 周り中、敵だらけだった。馬上から見ても、敵兵の頭しか見えない。徒歩で戦えば、四方から津波が押し寄せてくるようだった。

 ユハラ隊が手強いと見ると、遠巻きにして矢が射かけられて来た。臆病者どもめと思いながら、降り注ぐ矢を切り落とした。

 しかし、周囲の兵は次々と矢に倒れて行った。矢が止み、再び敵が押し寄せて来たときには、兵は三百ほどまで減っていた。

 だが、そこからだ。こちらの兵が減ったので、もう弓矢は使えない。同士討ちをしないためには、斬り合いをするしかない。

 斬り合いならば、誰にも負けない。向かう敵を、十人ばかり切り伏せた。大太刀がほとんど切れなくなる。刃を叩きつける様にして、敵の首を飛ばした。

 変に力が加わったのだろう。数人叩き切ったところで、大太刀が折れた。死体が握っている剣をもぎ取り、また数人を切り伏せた。

 馬蹄の響き。シェンゴンが来たのかと思った。騎馬隊が敵を断ち割って来る。シェンゴンではなかった。騎馬隊の先頭にいるのは、ヴァレリウスだった。


「ヴァレリウス殿ではないか」

「ユハラ殿。一人で手柄を立てようとは、卑怯であるぞ」

「お主も大概、馬鹿であるようだな」


 どちらからともなく笑った。


「悪いが、ユハラ殿を助けている余裕はない」

「構わん。敵将ニコラス・ヘイグは、あっちだ。必ず首を討てよ」

「おうとも」


 ヴァレリウスが、槍を構えて敵へ向かっていく。

 あれも、男を見せるではないか。ユハラは戦いながら、ヴァレリウスの様子を見続けた。

 ヴァレリウスが、敵を押し込んでいく。行ける。これならば行けると思った。敵将まで、あと僅か。ヴァレリウスは、ヘイグの姿を捉えたはずだ。

 ふと、嫌な予感がよぎった。


「下がれ、ヴァレリウス!」


 叫んだのと、矢が放たれるのが同時だった。四方から矢が飛び交い、ヴァレリウスの体に何本もの矢が突き刺さる。ヴァレリウスが、仰向けに落馬した。

 罠だったのだ。敵将ヘイグは自らを囮にして、罠を張っていた。ヴァレリウスはそこに飛び込んでしまったのだ。

 一歩間違えば、囮になったヘイグが逆に討たれていたはずだ。この土壇場で、敵が一枚上手だったという事か。

 大将を失い、ヴァレリウス隊は急速に崩壊していた。ユハラ隊も、もうほとんど兵は残っていない。ユハラ自身、息が上がり、体が思うように動かない。


「やれやれ、歳は取りたくないものだ」


 敵兵が殺到してきた。剣を振るう。しかし、頭で思う半分の速さでしか、体が動かない。

 体に、熱い物が入って来たと感じた。口から生温かい液体がこぼれる。

 まあ、良くやった方だろう。自分も。ヴァレリウスも。


     ◇


 ホフマン隊を突破したシェンゴンは、間髪を入れずに敵に襲い掛かった。

 それより先に、ヴァレリウス隊が敵に突撃していた。しかし、無謀すぎる突撃だった。敵は崩れかけていたとはいえ、備えの厚い正面から突撃したのだ。

 それでも、敵将まで一息というところまで迫ったらしい。だがそこで、弓兵が待ち構えていた。

 ヴァレリウス・大崎は矢を三本も胸に受けて絶命し、フジテル・ユハラも部下と共に全滅していた。

 シェンゴンの突撃で、敵は完全に崩壊した。しかし、敵将ヘイグを討つ事は出来なかった。シェンゴンの突撃より一息前に、ヘイグは退却を命じていた様だ。その僅かな差で、ヘイグは命を拾ったと言える。

 シェンゴンも、追撃の余裕などは無く、軍を退いた。

 戦の勝敗は、どちらも勝ったとは言えない。だが痛み分けと言うには、失ったものが多すぎた。

 シェンゴンは泣かなかった。涙を流す事に、意味など無い。悲しみにさえ、もう意味は無い。

 胸に吹く風が、ただ虚しかった。

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