1・別れ
目覚めると、幕舎の中だった。
「誰か」
高星が声を発すると、そばにいた誰かが驚いた様に立ち上がり、駆け出していく気配を感じた。高星はもう一度目を閉じた。
何度も名前を呼ばれ、再び目覚めると、エステルの泣きそうな顔がそこにはあった。
「何を泣いている。エステル」
「高星が目を覚ましたからだ」
エステルの他にも、周囲には人が集まっていた。
「今、何日だ?」
「第2節15日だ。高星が倒れてから、二日が経っている」
「そうか」
高星は体を起こそうとした。体が重い。
「高星、無理をしては――」
「うるさい。起きるか伏すか、自分の事は自分で決める」
寝台に腕を突っ張りながら、上体を起こした。それだけでも酷く疲れ、立ち上がる事は止めた。
「安東殿!」
高星が体を起こすと、シェンゴンもやって来た。ずいぶん久しぶりに見る、素顔のシェンゴンだった。
「丁度良い。情況を説明してくれ」
一昨日の決戦の後、大きな情勢の変化は、起きていなかった。
しかし、勝利こそしたものの、変州軍の被害は大きく、また兵も限界だという。これまでも限界を超えたところで戦ってきたが、これ以上はもはや死、というところまで兵は消耗している。これ以上の継戦は、不可能だった。
その一方で、エルモア軍は兵を再集結させ、すでに五万を超えているという。大敗したばかりの兵がまともに戦えるかは疑問だが、こちらの兵はそれ以前の問題だ。
「退くにしても、今の兵の有様では、それすらもままならない。一旦南下し、炎州に潜んで休息を取る。その後の事は、それからにするしかないだろう」
「それしかないだろうな」
「安東殿。ここまで私に付き合ってくれて、感謝する」
「思い上がるな。私には私の戦う理由があった。だから戦ってきたのだ。お前に付き合った訳ではない」
「それでも、礼を言う」
しばらくの間、沈黙が流れた。誰も、次に言うべき事が見つからないでいる。
「まだ、戦いを続けるつもりか。シェンゴン」
「とうの昔に、これ以上の戦は無意味だと思っている。だが、戦の方が私を放してはくれん。エルモア伯も、私が生きている限り、安心できぬであろうしな」
「そうか。口惜しいが、私はこれ以上付き合えそうにない」
「これまででも、充分すぎるほどだ。重傷を負った者達を連れて、変州へ帰ってくれ。安東殿」
何かを諦めた。シェンゴンの言葉の裏に、高星はそれを感じた。
シェンゴンの灰と金の両目が、今は絶望と希望を同時に見ている様に思えた。
「重傷者と言えば、トゥリウス・大崎は生きているか?」
「一時は危なかったが、一命は取り留めた。私は、ほっとしている」
「そうか」
また、長い沈黙が流れた。今度はそれを、シェンゴンが破った。
「少しずつでも、兵は帰そうと思っている。これ以上、私の戦に付きあわせる理由は無い」
「多くの兵が、お前と共に戦い続ける事を選ぶだろうな。みなお前のことを、好きになってしまっている」
「それでも、去りたい者は去らせるつもりだ。それでもまだ残るという者のためにも、私はまだ戦わなければならないのだと思う」
「戦って、その先に何がある」
「分からん。分からんが、ただ引き返すのでは、今日まで共に戦ってくれた者達に、何も報いる事が出来ない」
因果だな、と思った。いっそ一度大敗すれば、引き返す理由もできる。だがシェンゴンは、勝ち続けてしまう。
シェンゴンの勝利に彩られた道の先には、奈落しか待ち受けていない、という気がした。このまま進めば、遠からずそこへ落ちる。いや、すでに落ち始めているのかもしれない。
確かに言える事は、引き返す道など、とうに無いという事だ。
「ハイタカ。年長の者から順に、二百騎を選び出せ。馬も、元気なものを回してやれ」
「はっ」
「エステル。お前は私より先に死なんと誓ったな?」
「ああ」
「お前を、ここに残す二百騎の指揮官に任ずる。私の代わりに、死ぬ気でシェンゴンを守れ。そして、必ず生きて連れ帰れ」
「高星、それは――」
「嫌とは言わせん。命令だ。私が死なん限り、お前も死なん。お前が死なん限り、シェンゴンも死なん。約束しろ」
エステルが拳を強く握りしめた。エステルには、酷な命令である事は百も承知だ。しかし、託せるのはエステルしかいない。
「分かった。約束する。だから高星、私が帰るまで、絶対に生きてくれ」
「案ずるな。死ぬ気などない」
エルモア軍の再編も進んでいる。別れを惜しむ時間は無かった。
激戦を繰り返し、流石に安東軍も二百騎を残すと、三千騎を僅かに超えるまでに減っていた。それが重傷者を護送しながら、進撃して来た道を逆にたどる事になる。
出立は翌日、第3節1日の早朝になった。
高星は、横になる事ができる輿を急造し、それに乗せられた。馬に乗る事も出来ない自分が、忌々しかった。
「進発!」
号令だけは、力強く掛けた。その一言だけでも、息が切れる。
軍勢が進みはじめた。静かに。粛々と。だが力強く進んでいる事に、満足を覚えた。
「棟梁、横になっていてください」
輿のそばを歩くジャンが、心配そうな顔を向けてくる。
「見届けたか?」
「え?」
「不世出の麒麟児の戦。いや、生き様。それに、数多の男達の、命懸けの戦い。ちゃんと見届けたか?」
「この目に、焼き付けました」
「ならば、良い」
高星は目を閉じた。
光が、遠くなっていく様な気がした。
◇
帰りたい者は、軍を離れて帰っても良い。そう言う通達が出された。
今帰らなくても、今後いつでも軍を離れても良い。しばらく行動を共にして体を休め、それから帰っても良い。とも言われた。
「どうするよ、正義」
景虎に言われても、正直な所、正義にはどうして良いか分からなかった。
安東軍をただ憎むのではなく、客観的に見るため。そういう理由をつけて、総督府軍に入った。
大きな戦を生き延び、五十人の部下を持つ隊長にまで昇った。
部下はもう、三十人もいない。
「景虎。お前はどうするつもりだ?」
「行くさ。これ以上ここにいても、苦労するばかりで良い事はねえ。付き合う義理はねえな」
「帰るのか?」
「帰る所なんてねえよ。変州に戻ったところで、何もねえ。戦の世はまだまだ続きそうだし、傭兵稼業でも始めるさ」
「そうか。俺は、少し考えさせてくれ」
安東軍の理想。いや、今はもう、安東軍だけのものではない。変州の理想とも言うべきものが、正義にもなんとなくは分かった。
その理想に賭ける、安東高星の情熱と覚悟も知った。
だがそれでも、正義はそれに賛同する気にはなれなかった。
故郷を、友人を、容赦無く押し潰したのは、その理想なのだ。
理想は理想で、素晴らしいものであると認める。だがその理想が、一人一人の人間を容赦無く押し潰し、殺した。
死んだのが赤の他人であれば、正義も必要な犠牲だと思ったかもしれない。だが犠牲になったのは、自分の故郷であり、友人達なのだ。
理想など、糞喰らえ。そう思う理由は、それだけで充分だった。
今も、その思いに変わりはない。
豆を数粒取り出し、口に放り込んだ。未熟な豆を、あえて炭の様になるまで炒った物だ。苦い上に、微かに酸っぱい。
これを齧るたびに、あの飢饉の冬を思い出す。安東家の手によって、あらゆる食べ物が略奪されたあの冬を。
「景虎。傭兵家業をやるっつっても、その先はどうする。一生傭兵で食っていく気か?」
「さあな。ただ、偉い人間なんてものは、俺達の事を守ってくれやしねえ。それはお前も身にしみているだろう」
「ああ」
「だからまず、自分で力を持つ。力があれば、いろんな事ができる。何度か戦に出て、はっきり分かったぜ。強ければ、何だってできる。弱ければ、どんなに巨大でもやられるだけだ」
景虎は、総督の戦と強さから、そういう教訓を得たのか。ずっと行動を共にしてきたが、景虎がそう思っているというのは、正直意外だった。
正義は総督の強さから、むしろ儚いものを感じた。竹が、その生の最後に花を咲かせる。そんな儚さだ。
「力を得て、それで何をするつもりだ」
気ままに他者から奪い、それで生きて行くつもりだろうか。奪われる側から、奪う側へ。付き合おうという気にはなれないが、止める気も無かった。そうなる事を望んでも、仕方がないと思う。
「とりあえず、貴族だとか。領主だとか。役人だとか。そんな連中を皆殺しにして、この世から消してやる」
「また、極端だな」
「笑いたきゃ笑えよ。みんな同じ、ただの人間じゃねえか。なんで偉い奴の言いなりにならなきゃならねえ。俺は偉い奴をこの世から消して、みんな平等に暮らせるようにしてやる。いつか必ずだ」
「そうか。まあ、頑張れ」
景虎は本気だろうと思った。しかし、それを現実のものにするのは、不可能だろう。
それでも景虎がその道を進み続けるとしたら、それは景虎が皆殺しにしてやるという偉い奴ら。そう、安東高星などと同じだ。初めから、矛盾している。
それでも正義は、それを言葉にはしなかった。気持ちだけは、分からないでもないのだ。夢くらい見させてやるのが、友達というものだろう。
一晩考えて翌朝、正義は結局、景虎や他の者達と一緒に、軍を離れた。
夢や理想などというものは、結局自分には合わなかったのだ。
この先の当てはないが、軍を離れるときに、僅かだが金と食糧をもらっている。しばらく放浪しながら、落ち着き先を探すくらいの余裕はある。
仮にも元兵士なのだから、傭兵と言わずとも、金持ちの用心棒くらいは務まるだろう。
丘を越える途中で振り返り、変州軍の陣を見た。
三万ほどにまで減った軍勢が、移動の用意をしている。
正義には、変州軍の将来が見える様だった。あの総督に付き従う者達のほとんどは、生きて故郷の土を踏む事は無いだろう。総督自身も、どうなるか分からない。
あの総督は、それを分かっているはずだ。
兵の半分を捨て駒として死なせれば、もう半分は生きて帰る事もできるはずだ。しかし、総督がそれを選ぶ事は、決して無い。
その気持ちだけは、分かる様な気がした。最後の最後でほんの少しだけ、自分と同い年のあの総督の事が、好きになった。
戻って、一言助言をしようかという考えがよぎった。総督が急死した事にして、姿を隠す。軍勢は自然解散する形で、それぞれ帰る。それで、ほとんどの者が生きて帰れるはずだ、と。
実行に当たっての、細かい手順まで頭に浮かんできた。
「いや、止めておこう」
言葉を交わした事も無い、一兵卒と総大将だ。突然会って助言したところで、聞き入れられる訳も無い。
別れの言葉をつぶやき、正義は踵を返した。
最後の最後でほんの少しだけ好きになった男に対する義理など、それで充分だった。




