第1節 銀の波紋
( 臭うな )
狭い小屋の中を 濁った熱がじわじわと侵食していく
湿った水苔と 体温で煮詰まった生乾きの血が混ざり合い 異臭を撒き散らしている
( この時期に放置すれば 明日の朝には腐敗するな )
土間にある 低い小さな寝台に横たわる身体は まるで魂を抜き取られた肉の塊だ
乾ききった唇から漏れる浅い喘ぎ声は 途切れ途切れで今にも途絶えそうにか細い
感染症の熱だろう 自らの身体の構造すら知らず ただ恐怖から異物を押し込んだ代償
( 無知は罪だな )
憐憫とも軽蔑ともつかない思考が脳裏を掠める
片隅から 幼いふた組の目が 恐る恐るこちらを覗き込んでいるのを尻目に 半乾きの血に染まったギルベルトの麻のズボンを下ろす
脚に異常が無いことを確認し 膝裏と踵にそっと手を添え 膝を曲げさせる
高床式の炉床から 冷えた木灰を手に取り 少量の水で両手をこすり合わせ 灰のザラついた感触とアルカリの匂いを水で洗い流す
天井から吊るした濾過装置で清めたぬるま湯と清潔な布を 手早くギルベルトの傍らに置く
木灰で清めた指先で ギルベルトの穴の中で 固く膨れ上がった異物を取り除いてゆく
「ゔぁっ……ぁ゙あっ」
熱の帯び具合を指先で感じながら どこまで異物が入っているのかを静かに測る
「耐えろ」
ギルベルトにあの時と同じ声をかける
処置が終われば 再び木灰を手になじませ 粘りついた血と生臭い匂いを洗い落とす
汚れた桶と布も 灰汁で手早く洗っておく
( 首と指も確認するか )
「 …終わったのか?」「 お姉ちゃん 死んじゃうの?」
「 まだだ 」
「 手伝う 」「 ……え゙っ?」
「 不要だ 」
「 私だって綺麗なお水 できるよ 」
「 お前たちは 寝台だけで 十分だ 」
「 どいただけで 何もしてない 」「 ……十分じゃん… 」
「 ………… 」
「 お水くらいなら できるよ 」
「 ……手を洗ってこい 水はいい 布と傷薬を頼む 」
「 首とお手手?」
「 あぁ 」
「 布 少し綺麗にする? 」
「 必要な……少しだけだ 」
「 わかった!行こう! 」「 …なんで僕まで 」
濾過装置を見る
……トーン……トーン
下に置かれた素焼きの水甕の底へ 空間を震わせるように低く反響しながら 濁りを失った透明な水滴が規則正しく落ちていく
ひしゃくで新たな湯冷ましを注ぎ足すと 袋は小さく身震いし 水滴の落ちる速度が少し速まる
音の間隔が消失し 一筋の細い透明な糸となって素焼きの底を叩く
「 ……少し急がせるか 」
不自然な静寂の中 手慣れた動作で左の耳元へ手をやる
仕込んだ微細な針が 小指の腹を食い破り 赤が滲んだ ——— 瞬間 その赤など 最初から存在しなかったかのように 再び皮膚の底へ吸い込まれて消えていた
水甕の水滴の音は 水自身が水を迎えるような優しくまろやかな音に変わり 響きを失いながら 耳元で弾けるような 高くて冷たい短い音に変わる
最後に落ちた一滴が 暗い水面に静かな銀の波紋を広げた
「 ……少し やりすぎた 」
満水の水甕を見て小さく呟いた
『 第2章 剥製の片割れ 』よろしくお願いいたします
この章は全9節の予定でございます




