第4節 歪な双皿
カトニス副隊長の下についてから数日
俺の胸中にあったのは 拍子抜けするような戸惑いだった
上級兵士たちからの執拗な嫌がらせや 意味のない過酷なしごきが 減っていたのだ
いや 正確には 俺たちに嫌がらせをする余地がなくなっていた
「 おい欠陥品 この兵糧庫の整理 今日中に終わらせ…… 」
「 あ それならもう終わってますよ 」
倉庫の入口で 上級兵士が声を荒らげようとすると 横からルキウスが薄い羊皮紙の束を差し出す
「 昨日の搬入分と照合して穀物庫から腐敗した麦樽三つは破棄処分として 落としておきました
副隊長と兵糧調達官の署名も済んでます 」
「 な……っ 」
「 ほら…次は何をすればいいですか?羊皮紙の筆写なら ギルベルトが馬車2台分運んでくれますけど 」
ヘラヘラと力のない笑みを浮かべながら 手際よく羊皮紙を押し付けるルキウス
上級兵士は不満げな鼻鳴らしを漏らし 捨て台詞を残して去っていく
( ……あいつと組むようになってから 軍務がしやすい )
俺は手にした重量のある木箱を抱え直しながら 隣で古い詩集でも眺めているかのように羊皮紙をめくる男の横顔を注視した
最初はいちいち不快だった彼の浮ついた佇まいが 一層 手際の良さを際立たせていた
「 ……そこまでだ 」
訓練場の冷たい石畳の上に 木剣が撃ち合わされる鈍い音が響いていた
カトニス副隊長の指示により 俺とルキウスは1対1の模擬戦を行っていた
俺は木剣を構え直し 息を整える
ルキウスを軽視していたわけではない
だが 身体の出来も 腕の太さも明らかに俺が上だ
正面から打ち合えば 三打と持たずにこいつをへし折ることができる
——— そう思っていた
「 次 行くぞ 」
俺は踏み込み 上段から一直線に木剣を振り下ろした
確実に入る間合い
だが 手応えがない
ルキウスは力で受けることを端から放棄していた
俺の踏み込みの始動と同時に 最小限の歩幅で身体を半身に捻り すれ違いざまに 俺の肘の関節へ木剣の腹を軽く当て 軌道を逸らした
「 ……っ!」
空を切った俺の木剣が石畳を叩く
態勢を立て直して横薙ぎに払うが それすらも彼は円を描くような滑らかな足さばきでかわし すでに俺の間合いの外へ逃げていた
捕まえられない
ルキウスの剣技には力強さも華やかさもない
だが 俺の攻撃が驚くほど当たらない
「 なら……これはどうだっ!」
攻撃速度を上げる
木剣の切っ先がルキウスの肩を掠めた
「 ……今のは危なかった 」
「 避けられなかったな 」
「 そりゃ全部避けられるわけないだろ 」
俺は息を吐きながら ルキウスを睨みつけた
「 ……結構 強いんじゃないか 」
「 は? 何言っちゃってんの 」
ルキウスは木剣を肩に担ぎ 嫌そうに顔をしかめた
「 弱いよ あんたと正面から殴り合ったら 一発で骨が折れる 」
「 ならなぜ 俺の打ち込みをすべて交わせる? 動きに迷いがない 」
「 当たりたくないからに決まってるだろ?」
ルキウスは呆れたように肩をすくめた
「 痛いの嫌だし 怪我して動けなくなったら困る 相手が力任せに振ってくるなら その分軸がぶれるから避けやすいってだけ
……勝つ気なんて更々ないよ
死ななきゃそれでいい」
「 死なないため…… 」
「 そう 前線に出るつもりはない でもさ……
いざという時に 死なない程度の強さは持っておかないと 困るだろ?」
ルキウスの言葉が 胸の奥に重く沈む
俺にとって 戦う力とは " 戦士としての誇り " であり " 妹を守るための鎧 " だった
だが この男にとっての力とは 無駄に死なず ただ " 大切な場所へ帰る " ための最低限の術なのだ
( こいつは……誇りがないから戦わないんじゃない
守るために あえて " 戦わない術 " を磨いているんだ )
「 無駄口はあとにしろ 」
カトニス副隊長の低い声が訓練場に響いた
腕を組み鋭い眼光を 傍らに控える俺の愛馬 ——— グラームへと向けている
「 ギルベルト お前は騎乗戦の経験があると聞く……少し馬で動いてみろ 」
「 はい 」
短く応え グラームの太い首筋に手を添える
掌の皮膚を通して グラームの血流と筋肉の躍動が伝わってくる
そして息を合わせ鞍へ
右手に握りしめたのは戦場で使い慣れたサクスだ
手綱を引き絞る必要すらない
脚で腹を叩くまでもなく 己の意識と呼吸をグラームの四肢にまではり廻らせる
( ——— いくぞ グラーム )
踏み出した一歩目から世界が後ろへと飛び去る
グラームの筋肉と自らの体幹を繋ぎ止める
脚にかかる異常な負荷を分散させながら地を抉るように加速する
風を切り裂きながら鋭角に旋回し 間合いに入った標的へサクスを閃かせる
馬の速度をそのまま刃の重みへと乗せる
己の手足と馬の四肢
二つの生命が噛み合っている感覚だけに意識を研ぎ澄ませていた
息を整え 静かに蹄の音を響かせてふたりの元へ戻ると ルキウスが息を呑んだまま固まっていた
カトニスは顎に手を当て鋭い眼光のままゆっくりと頷く
「 ……なるほど その馬で ゲルマニア・ノドゥスからここまできたのか?」
「 はい 少し急いでおりましたので 2日ほどで 」
隣でルキウスの素っ頓狂な声が跳ね上がった
「 はぁ?! 嘘だろ……!?」
「 ……なるほどな 訓練はもういい 少し休め 」
カトニス副隊長の背を見ながら ルキウスは小難しい顔をしていた
それからも俺たちは 訓練と軍務のほとんどをふたりで組むことになった
数日も経つ頃には 互いの動きにも慣れていた
主計室に積み上げられた膨大な羊皮紙の山を前に 俺は唸り声を上げていた
「 おかしい……昨日搬入された万能槍の数が3本 合わない 」
1つずつ数字を指で追い 計算をやり直す俺の横で ルキウスは提出された木版と本帳簿をみながら 部屋の隅に積まれた木箱を一瞥した
「 ああ それならその3番目の箱 開けてみなよ 」
「 箱? まだ封が解かれていないぞ 」
「 紐の結び目が違う 他の箱は内部軍の二重結びだけど それだけ外部の納入業者の結び方のままだ ……中身 入ってないか数が誤魔化されてる 」
俺が慌てて木箱の蓋を開けると 案の定 底には上げ底が仕込まれ万能槍が3本抜かれていた
「 ……なぜ分かった?」
「 言っただろ?結び目が違ったって 」
「 いや 普通はそこまで見ない 」
俺が呆気にとられていると ルキウスは手元の羊皮紙にすらすらと修正の文字を書き込みながら 気のない声で言った
「 雑穀の袋も 武器の箱も 運んでくる人間の癖が出るんだよ
数字だけ追ってても分からないけど " モノ " と " 人間 " を見てれば どこで誤魔化してるかなんて すぐ分かる 」
「 ……お前 随分と手慣れているな 」
「 まあ ね……昔 こういうのを嫌というほど 見させられてたから 」
「 昔?」
俺が尋ねると ルキウスは一瞬だけ葦ペンを止め すぐにいつもの掴みどころのない笑みに戻った
「 ちょっとこういう仕事をする家だったんだよ……まあ 昔の話だけどね 」
それ以上 語ろうとしなかったが 俺には十分だった
こいつには何か理由があるのだろう
ただの惰性でここにいるわけではない
「 ……なるほどな 」
背後から静かな声が響いた
振り返るとカトニス副隊長が腕を組み 冷ややかな瞳で俺たちを見下ろしていた
「 ……お前たちにやらせたのは正解だったようだな 」
「 副隊長…… 」
「 無駄な摩擦を起こすより 2人で処理した方が早い
このまま滞りなく進めろ 」
そう言い残し カトニスは去っていった
俺とルキウスは顔を見合わせた
「 ……だってさ よかったね ギル?俺がいてくれて 」
「 ……フン 生意気を言うな 」
俺は鼻を鳴らしたが 否定はできなかった
ひとりでは決して処理しきれなかった
その巨大な歯車の中で 俺たちはふたりで並ぶことで 初めてまともに息ができるようになり始めていた
「 ただいまー 姉上 今日の買い出しの荷物 ギルが全部持ってくれたよ 」
「 まあ お帰りなさい ギルベルトさん いつもすみません 」
夕暮れ時
暖炉の火が灯る小さな家に戻ると ルキウスは軍でのあの冷めた観察眼を綺麗に隠し 甲斐甲斐しくルシッラ殿の手伝いを始めていた
野菜を刻み 薪をくべる手つきには何の迷いもない
「 ……ルキウス 」
薪を抱え直しながら 俺はふと彼に問いかけた
「 お前……最初から こういう奴だったのか?」
「 ん?どういう意味?」
ルキウスは鍋のスープをかき混ぜながら 振り返りもせずに言った
「 まあ 両親が死んで 姉上と二人きりになったら 誰だってこうなるんじゃない? 格好つけて死ぬより 泥舐めてでも生きて スープ飲んでる方がいいしさ 」
「 ……そうか 」
明確な答えではなかった
それでも 俺の胸の奥にあった偏見は 完全に消え去っていた
俺は『 お前は戦士としての誇りはないのか 』と この男を蔑んだ
なんと浅はかな問いだったのだろう
目の前でスープの湯気を見つめるこの男は 俺とは全く違う方法で 俺と同じくらい切実に ———
大切な家族を守るために戦っているのだ
( こいつも……俺と同じだ )
俺は木彫りの椅子に腰を下ろし 小さな食卓を見つめた
自分とは違う生き方を選び 自分にない強さを持つルキウス
こいつになら……しばらくは 背中を預けてもいいのかもしれない
——— そう 思った




