第3節 燈火の家
内部軍の兵舎に漂う空気は 息を吸い込むことすら躊躇われるほど冷たい
俺に与えられた " 配属 " とは名ばかりで 実質的には上級兵士たちの鬱憤をぶつけるための標的に過ぎなかった
食堂に入れば席を蹴飛ばされ まともな温かい食事すら皿に残されない
配給の硬いパンを兵舎の裏手で噛み締めながら 俺は膝の上の拳を握りしめていた
( 俺は何のためにここへ来たんだ…… )
小・ギルベルトを守るため
外と内の “ 架け橋 “ になるため
そう自分に言い聞かせても 理不尽な差別の渦の中では その誇りすら削られていくようだった
「 ……相変わらず 物好きなことしてるね 」
ぬかるみを踏む軽い足音が聞こえ 声が降ってきた
振り返ると あの時の男 ——— ルキウスが 両手をポケットに突っこんだまま立っていた
16歳だというその顔立ちには 同年代とは思えぬ 妙に冷めた落ち着きがある
「 あんたさ 食堂の飯 またまともに食えなかったろ 」
「 ……余計なお世話だ 腹くらい減っていても 死にはしない 」
俺が背を向けようとすると ルキウスは呆れたように息を吐き 自分の首の後ろをかいた
「 別に慰めに来たわけじゃないよ……昨日の礼
あんた 俺の代わりに蹴られてくれたろ 借りっぱなしは嫌いなんだ 」
彼はひらひらと手を振ると 兵舎の裏門を指さした
「 うち 来なよ……たいした物は出せないけど あんな泥水みたいなスープよりはマシな飯が食える 」
軍の重々しい鉄門を抜け 石造りの冷たい町並みを少し外れた路地の奥
ルキウスに案内されたのは 身を寄せ合うように建つ小さな一軒の家だった
軍の宿舎や食堂を使わず わざわざここから通っているのだという
木製の小さな扉を開けると ほのかな香辛料の香りと 暖炉の優しい温もりが肌を撫でた
「 ただいま 姉上……連れてきたよ 」
「 おかえりなさい ルキウス……まあ あなたが噂の 」
奥から現れたのは ルキウスよりひとつ年上の姉 ——— ルシッラだった
17歳の彼女は 薄古びているが丁寧に仕立てられた服を纏い 儚げでありながらどこか芯のある穏やかな瞳で俺を迎えた
「 初めまして ギルベルトさん 弟がいつもお世話になっているみたいで……
さあ どうぞ入ってください 外は冷えたでしょう 」
差し出された木彫りの鉢には 湯気を立てる温かな野菜のスープが注がれていた
兵舎の冷ややかな蔑視と暴力に晒され続けていた俺にとって その一杯のスープの温もりと 二人から向けられる眼差しは 胸の奥が痛くなるほどだった
軍ではやる気のない下っ端を演じ どんな侮辱にもヘラヘラと首をすくめていたルキウスが 家の中では驚くほど手際よく姉を支え 家庭菜園の管理や雑用を甲斐甲斐しくこなしていた
「 この子はね 昔からそうなの 」
ルシッラはスープを配りながら 愛おしそうに弟を見つめて微笑んだ
「 外では不器用だけれど 本当はとても優しくて……自分のことより 家族のことを一番に考えてくれる子なのよ 」
「 姉上……余計なこと言わなくていいから 」
ルキウスは不機嫌そうにスープを口に運んだが その耳は少し赤くなっていた
ただ この小さな家とこの姉の笑顔を守ることが ルキウスにとって何より大切なのだろうと思った
食後 俺が兵舎へ戻ろうと立ち上がった時 ルシッラが引き留めるように声をかけた
「 ギルベルトさん……もしよろしければ ここに…うちにきませんか?」
「 え……?」
「 話は ルキウスから聞いています…軍の宿舎では まともに休むこともできないのでしょう?
うちは 小さな部屋しかありませんけれど 暖炉もありますし……温かいご飯も作れます 」
「 しかし 見ず知らずの俺がそんな…… 」
俺が躊躇していると ルキウスがそっぽを向きながら口を挟んだ
「 いいんじゃない?兵舎の奴らにボコボコにされて怪我ばかり増やされたらこっちも後味が悪いし
……それに 薪割りくらい手伝ってくれるなら 俺も助かる 」
「 ルキウス…… 」
俺の内部軍での生活に この小さな家が加わった
朝はルキウスと共に起き ルシッラの手料理を食べて軍へ向かう
夜は暖炉の火を囲み 取り留めのない会話を交わす
薪を割る俺の背中に ルシッラが優しく布巾を差し出してくれる時 ふと視線が重なる
言葉には決して出さない
けれども 俺と彼女の間には 静かで温かな感情が芽生え始めていた
だが ———
「 ギルベルト それからルキウス 」
兵舎の片隅で雑務をこなしていた俺たちに 冷ややかな声がかけられた
羊皮紙の束を抱えたカトニス副隊長だった
「 今日からお前たち二人は 私の直属として使役する
まずは主計室の整理と 兵站の照合作業だ 」
真っ当な部隊への配属すら拒まれていた俺たちに カトニス副隊長から直々の命が下った
——— 12桁の数字で人間を支配する檻の深淵が 目の前で静かに口を開けていた
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