第2節 檻の番犬
「 ——— 0501 - 7760 - 1202 ギルベルト隊長 これより汝に特命の任を与える 」
高級羊皮紙が擦れる小さな音すら巨大な聖堂のような空間に反響する
「 0501 - 7760 - 1202……刻印エラー 」
無機質な黒石の階の頂から下ろされる声には 温度というものが一切存在しなかった
「 それから無番どもだ 」
「 ……軍の道の鎖に誓って ギルベルト・レガート・ハスト この命に代えても 」
声は もう揺らがなかった
「 必ずや 」
自らの拳を硬い革の胸当てに強く打ち付ける 鈍い残響は儚かった ———
あの日 俺はまだ 妹の名を呼ぶことができた
原簿編纂官
徴収官
数理検察官…
双子の刻印にまつわる異常が 数理掌庁の中枢に露呈した翌日
俺はただの 筋のいい新人 として 外部軍にいた
その日も 汗と革の匂いが充満する兵舎で 普段通りの軍務をこなしていた俺は 執務室への呼び出しを受けた
通された部屋には 外部軍の頂点に立つ 隻腕の大将軍 ——— ティルグランド・マルク・ハイル と もうひとり 漆黒の軍服を纏った 見慣れぬ人物が立っていた
洗練された立ち振る舞いと 穏やかな微笑みの奥には どこか冷たい目つき
( 内部軍の制服… )
「 ——— 来たか 」
重々しい革椅子に深く腰掛けた ティルグランド大将軍が 酒焼けした太い声で切り出した
「 昨日 面白い話が内部から届いてな お前の刻印について だ 」
俺の体が不意に強張る
だが 大将軍の眉間に刻まれた皺は 怒りや軽蔑は見受けられない
隣に立つ内部軍の者もまた 静かに頷きながら 柔らかな声で言葉を継いだ
「 怯える必要はありませんよ ギルベルト兵士……お初にお目にかかります
私は内部軍より使いで参りました リヴァルドと申します
…あなたも あなたの妹上も 赤子の頃に 刻印を正しく与えられなかった 被害者に過ぎない
国家の不手際によって 不利益を被ったあなた方に 何の罪がありましょうか 」
「 ……あ 」
喉の奥から 小さな漏れ声が出た
昨日 異常者を見る目を向けられた俺にとって 彼の言葉は胸の奥に安らぎをもたらした
( 俺たちを理解してくれている 小ギルベルトを助けられるかもしれない )
「 そこで だ…ギルベルト兵士 」
大将軍が身を乗り出し 大きな左手を机の上に置いた
「 お前には内部軍へ移籍してもらうことにした 」
「 ……内部軍へ ですか?」
驚く俺に 内部軍の使者 ——— リヴァルドは穏やかな微笑みを崩さずに 説明を重ねた
「 はい 今後 このような痛ましい刻印エラーを防ぐためにも 原因解明と対策が不可欠です
そのため あなた方 双子について…調査にご協力いただきたいのです
もちろん 相応の処遇をお約束しましょう 」
「 さよう 」と大将軍が重々しく頷く
「 お前はゲルマニア・ノドゥスの出で腕も立つと聞く
向こうへ行っても その頑丈な体があれば うまくやっていけるはずだ 」
大将軍は椅子から立ち上がると 俺の肩を力強く叩き耳元で低く囁いた
「 それに……だ ここから内部への移籍は初でね 外と内の架け橋になると期待しているよ 」
俺は 自分がどれほど冷酷な 巨大な歯車の中に投げ込まれようとしているのかも知らず
ただ 俺たちを守るための 道が開けた深い安堵とともに 腰のサクスに手を添えて一礼していた
" 外と内の架け橋 " " 双子のエラー解明への協力 " ———
頭の中で繰り返される 誇らしい響きは 兵舎の重い鉄扉を開けた瞬間に 霧散した
刺さるような視線だった
濡れた石畳を踏む俺の足音に 広場に集う上級兵士たちが振り向く
その瞳に浮かんでいたのは期待でも歓迎でもない
見知らぬ雑種を害獣扱いするような 冷徹な蔑みと好奇の眼差しだった
「 ──あれが例の『 片割れ 』か 」
「 原簿編纂官 の連中が泡を吹いて騒ぎ立てていたぞ
なんでも ひとつの番号を2人に打ち込んだ 愚行の産物だと 」
「 外部の泥臭いのを寄越してどうするつもりだ
見ろ あの頭…秩序を汚す欠陥品め 」
ひそひそと交わされる低い声は あえて俺に聞こえるように放たれていた
調査への協力という仮面の下を 俺は数日のうちに嫌というほど思い知らされることになった
配属されたのは 内部軍の中でも日陰の雑用を押し付けられる一画
与えられる役目は 過酷なしごきと上級兵士たちの馬の世話や武具の磨き上げだった
その日陰の作業場にはもうひとり 兵士たちの鬱憤晴らしにされていた 俺とそう歳の変わらない男がいた
その男は どこか 緊張感に欠けていた
どれほど過酷なしごきを受けようとも ヘラヘラと力のない笑みを浮かべ まともにやり返そうともしない
戦士としての誇りすら感じられないその佇まいに 俺は胸の奥で 強い苛立ちを覚えていた
この日も男は 上級兵士たちの鬱憤晴らしの標的にされていた
使い古された甲冑の錆を落とすその手は傷だらけで 足元には他の兵士に蹴飛ばされた油壺が転がっていた
「 おい!ぐずぐずするな お前のような鈍くさい奴は 死んだ兵士の装備を洗うくらいしか使い道がないんだよ 」
兵士のひとりに容赦なく蹴りつけられ 痛みに耐えて縮こまる姿を見た瞬間 俺は身体が勝手に動いていた
その上級兵士の足と男の間に滑り込み 背中で衝撃を受け止める
「 なっ!君…… 」
「 ……何の真似だ 欠陥品 」
「 ……そこまでにしてください 作業の手が遅れます 」
俺は上級兵士を強く睨みつけた
だが 当然のことながら 泥を舐めている人間が ふたりになろうと 事態は変わらない
「 ハッ!欠陥品がゴミを庇うか! おもしろい
まとめて叩き直してやる 」
ふたり揃って地面に押しつけられ 容赦のない靴底が背中に落ちてくる
歯を食いしばり 奥歯がギシリと音を立てた
俺が耐えなければならない
ここで折れてしまえば 妹を守るどころか自分すら失う
「 ……おい そこまでにしろ 見苦しい 」
冷ややかな侮蔑の乱打を割り込むように 低く落ち着いた声が響いた
振り返ると 羊皮紙の束を手にしたひとりの軍人が立っていた
他の兵士たちのように 豪奢な装飾品は身につけず 実質的な書記兵のような地味な身なりをしている
「 カトニス副隊長……何故 この雑種どもを庇うのです?」
「 庇ってなどいない 城塞の巡察刻限だ 私怨で雑務を遅らせれば 上がどう判断するか知らんぞ 」
カトニスと呼ばれたその男は 兵士たちの不満げな視線を淡々と受け流すと 泥に塗れた俺たちの前に歩み寄ってきた
彼は俺の首筋の刻印を一瞬だけ見つめたが そこに他の兵士のような狂信的な蔑みや好奇の色はなかった
ただひとりの兵士として 俺たちを見つめていた
「 立て 転がっている暇があるなら羊皮紙の搬入を手伝え 」
「……カトニス副隊長 感謝します……君も ありがとう 」
( こいつ… )
脇で先程まで蹲っていた男が スッと無駄のない動きで立ちあがっていた
「 ……礼はいい 私はただ無駄な摩擦で軍務が滞るのが嫌なだけだ 」
カトニス副隊長はそっけない態度で身を翻した
その背中を見ながら 俺は擦りむけた肘の泥を払った
「 ……おい 」
俺は隣の男に向かって不満を隠さずに吐き捨てた
「 お前 あんな風に踏みつけられて 戦士としての誇りはないのか?」
男は一瞬驚いたように目を見開いたが すぐに掴みどころのない笑みを浮かべ 軽く肩をすくめた
「 誇り? ……まさか 俺 別に戦士じゃないし 」
その言葉に 俺は呆れと苛立ちを深めながら その男とカトニス副隊長の後を追った




