第1節 ある民の手記
【 数記暦404年 乾し莽の月 9日 】
先生はいつも仰る。
病の本当の恐ろしさは、発熱や激痛そのものではなく、体の中で音もなく蝕まれていく『 兆候 』に気づけぬことにある、と。
今、この国で始まろうとしていることもまた、私には質の悪い疫病の初期症状のように思えてならない。
今日、先生の施療院でひとりの老人が息を引き取り、ふたりの赤子が産声を上げた。
本来ならば、生と死の厳かな営みとして、私たちの記憶に刻まれるべき1日だ。
しかし夕方、村にやってきた王庁の役人は、死んだ老人の名を帳簿から乱暴に線で消し、赤子たちの親に、あの奇妙な四角い木札を2枚、無造作に突き出した。
王都からの使者が、あの四角い木札を村に持ち込んできたのは、夏の始めのことだった。
その時、役人は言った。
これを受け入れ、原簿に己の家族の数と家畜の数を登録した者は、しばらくの間、課せられる税を優遇する、と。
読み書きのできぬ村人たちは、税を免ぜられるという甘い言葉に踊らされ、まるで天からの恵みでも受け取るかのように歓声を上げ、役人の前に列をなした。先生の施療院にくる貧しい患者たちも、口々に『 これで今年の冬は飢えずに済む 』と笑い合っている。
だが、私は酷くおぞましいものを見る心地で、その光景を眺めていた。
今日、役人が去ったあと、私はふと、彼が残していった村の登録台帳の控えに目を落とした。
——— この村の登録者は、今日で499人になったそうだ。
その数字を目にした瞬間、私は背筋に冷水の走るような錯覚を覚えた。
私の手元にある木札にも、私の名前など一文字も刻まれていない。ただ、歪な細い線で、数えることすら恐ろしい12桁もの無機質な数字の羅列だけが深く刻み込まれている。そして、私の木札の末尾もまた、不吉な『 9 』であった。
先生が薬を調合する時でさえ、使う数字は高々3桁だ。この世界のどこに、12桁もの数字で分類せねばならぬほどの『 物 』が存在するというのか。
——— いや、国は初めから、この大地に生きるすべての人間を、その長すぎる数字の檻の中に閉じ込めるつもりなのだ。
役人は私の顔を見ない。私の木札の数字と、原簿の写しの数字を照合し、ただ機械的に筆を動かすだけだ。
国は、私たちを血の通った人間として識別しようとしてはいない。私たちを、ただの『 12桁の数 』として、檻の中に分類しようとしているのだ。
考えてもみればいい。あの貪欲な国家が、慈悲の残滓だけで民に施しをするはずがないのだ。
薬草の知識を持つ者なら誰でも知っている。あまりに甘い果実の根には、決まって家畜を狂わせる猛毒の寄生虫が潜んでいるということを。
何より奇妙なのは、布告の羊皮紙のどこを読んでも、その『 税の優遇 』がいつまで続くのか、具体的な年限が一切記されていないことだ。
おそらく、この村の登録者が『 500 』というキリの良い数字に達したとき…あるいは国中の人間が数にされ、逃げ場を失ったその瞬間に、あの優しげな『 免税 』の仮面は剥ぎ取られるのだろう。
先生に尋ねても、先生はただ哀しげに首を振るだけだった。
『 お前は聡明すぎる、気付かぬふりをしなさい 』と。
村を包む歓声の裏で、私は夜な夜な、この木札が私の首を絞める真綿の紐に変わる夢を見る。
すべての民がこの『 数理の檻 』に自ら足を踏み入れ、逃げ場を失ったその時、国は一体どんな牙を剥くのだろうか。
私のこの不安が、ただの杞憂であれば良いのだが……。




