どうか、私を思い出して
桜音の家の前まで着くと、タイミングよく桜音の母が出てきた。
「桜音、遅かったわね」
顔を見るだけで母親なのだと分かった。目と鼻だちがよく似ていた。
「うん、途中で……後輩に会って」
‘後輩‘。
それに間違いはない。けれど、こんなにそばにいるのに遠い感じがしてしまう。
どうしてその距離に違和感を覚えてしまうのだろう。桜音が優しいから、もっと仲良くなりたいという憧れからなのだろうか。
「あら、もしかして剣道部の子?」
「あ、はい……でもどうして」
水の顔をよく見たあと、桜音の母は手で頬を覆い、水に話しかけた。
「葉名がねえ、凄く上手な子が入部したって言ってたから、この前の試合、見に行ったのよ。あなたの姿も見かけたわ」
「そうだったんですか」
「ええ。せっかくだし、上がって行ってちょうだい」
水は、先に桜音の反応を見た。もし、桜音が微妙な感じなら、今日はやめておこうーー。葉名は多分、水のことはどうでも良いだろうし。
桜音をチラリと見てみると、下唇を噛んでいた。目線も下を向いてしまっている。やっぱり、やめておいた方が良いかな。
「お母さんもそう言ってるし、良かったら上がって行って」
桜音は水にそう言う。少しだけ、瞳が揺れている気がする。
「じゃあ……お邪魔します」
それでも、もう少しだけで良いから、桜音と一緒にいたい。
リビングに通されて、水はソファに腰掛けた。桜音と母は台所でお茶の用意をしてくれている。「お構いなく」と伝えてはみたが、「桜音がお茶を入れるから」と母が告げた。
テレビの横には、吉田家の家族写真が並べられていた。水は思わず、その写真に歩み寄った。
桜音と葉名が今よりも少しだけ幼いから、中学生くらいだろうか。大阪城を背景に、葉名だけとんでもない仏頂面を浮かべている。体調でも悪かったのだろうか。その反対に、桜音は満面の笑みだ。双子といえど、本当に性格は異なっているんだなと水は思った。
「ああ、それね。3年前に皆で大阪に行ったのよ。大阪城を回っていたら、突然葉名ったら、機嫌を悪くしちゃってね」
それで、こんな顔をしているのか。
なんだか、大阪城に行ったことがないはずなのに、どこか名残惜しく感じた。
「凄く綺麗で派手名お城だけど、復元されているから、昔はもっと凄かったんでしょうねえ」
私は、ここに行ったことがある気がする。自分も、幼少期に家族で旅行に来たことがあるのだろうか。
「水ちゃんは、大阪に行ったことはあるの?」
「いえーー」
「はい、どうぞ」
答える途端に、桜音がお茶を入れてくれていた。冷たい麦茶に、氷が三つ入っている。水は「ありがとうございます」ともう一度ソファに腰掛けた。
「アイス、食べる?」
「……いえ、お茶出してもらっているのにお菓子までは」
「またまたぁ、遠慮しないで」
桜音はクスッと笑ってもう一度台所に引っ込んだ。
‘また’?
いいや、言葉のあやだ。桜音は愛想でそう言っただけだ。
ーー『茶菓子などいただける身分ではありません』
これは、誰の声だ。
ーー『……では、一つだけ』
これは、自分の声、なのかーー?
「バニラとチョコ、どっちがいい?」
桜音の声掛けで、水は我に返った。これまで何度、桜音に気を付かせてもらったのだろう。この人といると、何か分からない映像や声が頭に流れ込み、その度に現実に引き戻してもらっている。
「……じゃあ、バニラで」
桜音は頷くと、スプーンとカップアイスを持ってきてくれた。桜音はチョコ味を食べるようだ。母は、「ごゆっくり」と言うと、買い物に出掛けてしまった。しばし沈黙が続いた。休み中に桜音に会えないのが寂しいと思いながら、いざこうして会うと、何を話して良いのか分からない。しかも、二人きりだし。
「……今日、お出かけしてたの?」
「はい。図書館に行こうとしたんですけど、道に迷ってしまって」
「えっ……ごめんね、家に連れて来ちゃって」
素直に言えば、桜音は困った顔で謝ってくれた。
「今日はもう閉まっちゃうかな……」
「良いですよ、また日を改めますから」
言いながら、アイスクリームをつつく。すると、トタトタと2階から誰かが降りてきた。
「あれ?なんであんたがいんの?」
「葉名先輩、お邪魔してます」
「あー、あんたに先輩って言われるの、ほんと違和感しかなんだけど」
葉名は降りてくるなり、こんな失礼なことして言ってくれない。まあ、こんなに砕けて接してくれる人が少ないぶん、多少は嬉しかったりもするのだが。
「前から思っていましたけど、葉名先輩って私に容赦なくないですか?私なんかしました?」
「私と桜音のこと、最初完全に間違ってたでしょ。この罪は重いからね」
そう良いながら、葉名は冷蔵庫の中を探っている。もしかして、アイスを食べたいのだろうか。
普段、部活で時間を共にしているからか、水がずいぶん葉名に対して砕けているように思った。葉名の実力についていけているのは水だと聞くし、こんな感じではあるが、相性は悪くないのだろう。
ーーそれが、とても羨ましい。
葉名に双子勘違い事件の件を突っ込まれ、水は「うっ」と呻いた。葉名はアイスクリームを一つ持つと、部屋に戻っていく。
「まあゆっくりしてってよ〜」
愛想があるのかないのか分からないような言い方で去っていた。葉名の中では、十分に愛想がある振る舞いなのだと思う。
葉名がいなくなった後、水に視線を移せば、水はこちらを見ていた。バチっと目が合い、桜音は思わず肩を上げてしまった。
「ど、どうしたの?」
「いえ。こんなに違うのに、どうして私、お二人を同一人物なんて思ったのかなって」
「この罪は重い」と言った葉名の言葉を気にしているのだろう。真面目な水がおかしくて、桜音は少しだけ笑いを堪えた。
ーー多分、葉名が言う「罪」というのは、もっと別の意味だと思うーー。
「すみません、お茶とアイスまでいただいて。ありがとうございました」
「ううん、こっちこそ、引き留めちゃってごめんね」
あのあと、少しだけお互いの部活のことを話した。茶道部はお盆明けにお茶会があるといえば、水は剣道部の練習の後に顔を出したいと言ってくれた。桜音が「お団子用意しておこうか?」と聞けば、水は目を輝かせて「お願いします」と言った。
「帰り道、分かる?途中まで一緒に行こうか?」
「ナビ使うので、大丈夫だと思います。それに、さっきのナンパの後だし、桜音さんも、いやでしょ?」
ナビはさっきは使わなかったのかと聞きたい。
ーー水が帰ってしまう。もう少し、いてくれても良いのに。
ーー違う、ずっと、そばにいてくれて良いのに。
「……あの」
「はい、なんですか」
家の玄関からでた水を思わず呼び止めてしまった。水は瞬時にこちらを振り返って、ニコッと笑ってくれる。
「あ……今日は、本当にありがとうね」
「……どういたしまして」
「あの、あのね……」
ーー私たち、やっぱり、どこかで会ってるの、覚えてない?
そんなこと、聞けないーー。
「ごめん、やっぱりなんでもないや」
笑って誤魔化してみた。でも、水は笑わなかった。水は体ごと、こちらに向き直った。
「桜音さん、やっぱり、途中まで、道案内お願いして良いですか?」
真剣な面持ちで言われる。その茶色の瞳は揺れていた。
「うん、いいよ」
どうか、私を思い出してーー。




