流れ込む映像
桜の舞い散る季節に、水は「では」と別れを告げた。学校の制服ではなく、見慣れない着物を着ている。気付けば、頬は濡れていた。
今の時代とは違う街並み、その中にそびえ立つ大きなお城ーー多分、さっき教科書で見た世界遺産の姫路城ーー。
並んで載っているのは大阪城だ。炎に包まれて真っ赤に染まる場面、これはきっと、かの有名な大坂夏の陣のことーー。
あれ、これ、知っているようなーー。
「水ちゃん、水ちゃん」
「……ふえ?」
水は顔を上げた。机の横には、社会科の先生が立っていた。
「伊咲君、居眠りとは、感心しないね」
「えっ、……あ、あれ?」
周りの生徒たちがクスクスと笑うと、先生は教壇に戻って言った。千代がコソッと耳打ちしてくる。
「片桐先生、内申点に響かせてくるから気を付けたほうがいいよ……?」
「片桐……?」
「そ。あの人、日本史が好きすぎて、あだ名が武将だから」
片桐ーーなんだか聞き覚えがあるような、ないような。
いいや、気のせいだ。
最近、疲れているのだろう。
5時間目の授業が終わり、水はカバンを肩に掛けた。そして、家から持参した竹刀を持つ。引越しの片付けが落ち着いたので、水は今日から剣道部に参加する予定だった。楽しみな気持ちの反面、少し不安もあった。
あの、葉名という2年の先輩。初めて会ったとき、とても懐かしかった。その後、部活見学で会ったときは印象が違いすぎて戸惑った。そして、また階段で助けてくれたときは、初めて会った時と同じ印象だった。部活のときはどうやって接したら良いのだろう。
千代は、今日は茶道部が休みだから、後で剣道部を覗きに来てくれると言っていた。千代は友達を迎えに行くらしいので、水は一人で武道場へ向かった。
「……まずい、迷った」
武道場はどこだ。初日は職員室がどこか分からず、代わりに図書室と武道場を見つけたのに。一人でキョロキョロしていると、竹刀を背負った男子生徒が通りかかった。
男子剣道部員だ。水は思わず駆け寄った。
「あ、あの」
「うん?」
長身で、肩幅のある、いかにも剣道にピッタリの体格の男子生徒。ネクタイを見れば、3年生の色である黄色だ。その人は、水を一眼見ると、目を見開いて固まってしまった。
「す、すみません、突然……武道場へ行きたいんですが、迷ってしまって」
男子生徒は数秒後、やっと動き出した。そして爽やかに笑ってくれる。
「あ、ああ、ごめんね。もしかして、君が女子剣道部に入部する伊咲さんかい?」
「はい」
「鶴牙先生が喜んでたよ。これから一緒に行こうか」
「ありがとうございます」
歩いている間、その人はたくさん話しかけてくれた。
「僕は青木源治だ。次の夏休みの関東杯で引退する予定だけどね。よろしく」
「あ……えっと、伊咲水です。よろしくお願いします」
「スペインから来たんだって?色々大変だと思うけど、分からないことがあったら聞いてくれ。部活以外のことも」
「助かります」
面倒見の良い人のようだ。おかげで水は、緊張がほぐれた状態で、部活初日を迎えることができそうだ。
武道場には部長と数人しか集まっていなかったので、水は指示に従って着替え終えた。
徐々に部員が集まりだし、葉名も入って来た。葉名は武道場に入ると、すぐに水を見つけて視線を送ってきた。水はぺこりとお辞儀をしたが、葉名は「ふん」とそっぽを向いてしまった。
階段で会ったときと、全く振る舞いが違う。まるで、この武道場に入ると人格が変わってしまうようだ。
水は小さくため息をついて、自分の竹刀を握った。
稽古が始まった。黙想から始まり、準備運動、そして素振りを行う。実際にこうして竹刀を振るのは、先日に葉名と手合わせして以来だった。引越しの間は一人で練習する時間もなかったので、なるべく早く自分のペースを取り戻したい。
順調に稽古が進んでいく中、水はたまに葉名を盗み見た。なんだか、葉名が道着を身につけ、竹刀を振っている姿を前にも見ていた気がする。もしかして、日本の剣道道場に通っていた時に会ったことがあるのだろうか。
「葉名ちゃん、水ちゃんとやってあげて」
実践稽古で、部長は葉名と水は組むように指定してきた。やりにくいな、と思った。しかし葉名は表情を変えず、「分かりました」と水の正面にやってくる。
「やるよ。今日は手加減なしだから」
「……よろしくお願いします」
手加減なしって、この前は手加減してたんですか、と問いたい。葉名は水相手に、打ち込んできた。まずは軽く。水は体を慣らしながら、流れるように葉名と竹刀を打ち合った。
葉名は、水を半ば睨むように見てくる。自分は何か、葉名を怒らせることをしただろうか。
水も一歩踏み込んだ。タン!と竹刀が鳴る。葉名は一瞬動きを止めると、また構え直した。
ーー空気が変わった。
「やあ!」
葉名は遠慮なく水に掛かってきた。先ほどと竹刀の重みが違う。先日は手加減していたのは本当らしい。
「やああ!」
葉名の気合いがまた大きくなった。釣られて水も体の温度が上がる。その時、心臓がドクッと高鳴った。
ーー真っ赤に燃え上がる炎、その中で刀を握ってこちらに走ってくる葉名の姿。
ーーあれ、今武道場にいたはずなのに。
水は動きが取れなかった。動け動け、動けーー。
「危ない!」
葉名と良く似た声が響く。水はハッと我に返り、声の出どころを探した。こちらに足を踏み出す葉名の向こう側に、千代がいる。その横に、葉名と同じ顔した生徒がこちらを見て声をあげていた。
「え……?」
トン、と葉名の竹刀の先が、水の手首に当てられた。手加減をして、弾く程度だった。だが、水は体の力が抜けて、竹刀を落としてしまった。
だって、葉名の顔が二つあるーー。
水は思わず腰が抜けてしまって、トサッと床に身を落とした。そんな水の目の前に、葉名が立ちはだかった。
「ちょっと、よそ見したら危ないでしょ。集中して」
「……よ、吉田先輩……、う、後ろ……」
「はあ?後ろぉ?」
水は恐る恐る葉名の背後を指差した。葉名は面倒くさそうに後ろを振り向くと、「ああ」と声を漏らし、こちらに向き直る。竹刀を肩に掛けて、鼻で笑ってきた。
「同じ顔がそんなに気持ち悪い?」
「もしかしてーー」
「そ、双子。あっちは姉。……あんた……知ってるのかと思ってたんだけど」
知ってるわけがないだろうーーそう言いたかったのに、目の前がチカチカした。なんだろう。頭がズキズキする。息も上がる。水は突然の頭痛に、下を向いて額を押さえてしまった。
「……そう、だったんですか……」
知らない。葉名が双子なんて知らない。その言葉を聞くと頭が痛い。
「ちょっと、大丈夫?」
葉名が腰を下ろして、水に腕に手を添えた。
途端、映像が流れ込んできた。
炎に包まれる廊下、走り込んでくる着物姿の葉名、こちらを激しく睨みつけてくる彼女と刀を打ち合うのはーー自分、なのか。
ーーだめだ、この頃おかしい。この学校に来てから、おかしな映像が脳裏に映る。
「水ちゃん、どうした?端っこで休もうか」
部長が駆け寄って来たらしく、水の腕を掴んだ。水はなんとか立ち上がった。




