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忘れられない人

 日本に帰ってきたのは7年ぶりだ。その間、すいは一度もこの国に足を踏み入れていない。それなのに、どこか懐かしさを感じるし、この国の文化が好きだった。それは多分、10歳まで生まれ育った国だからーー。


伊咲いざき水です。どうぞよろしくーー」


 お願いします、まで言おうとしたが、クラス内で歓声が上がる。


「すっごーい!美形〜!!」

「モデルさんみたい……!格好いい!」

「ハーフ!?」


 先日の引越し後のご近所回り、それから、7年前までの日本での生活を思い出した。スペインにいた頃はあまり言われないのに、日本に来るといろんなことを言われてしまう。


「え〜伊咲さんはスペインから帰国したばかりだ。日本語も問題ないが、何か困ってることがあったら、皆で助けてあげてくれ」


 担任がそう言うと、ほぼ全員が「はーい!」と元気よく返事をする。拒絶されるよりはずっと良いので、水は「お願いします」と軽く頭を下げた。


 担任に指定されたのは、前から5列目の窓側の席だ。席につくと、前に座っている黒髪で前髪がパッツンの小柄な生徒が笑顔で話しかけてくれた。


大崎千代おおさきちよっていうの、よろしくね!」


 物腰柔らかそうな子だったので、水も「よろしく」と答えた。妙にニコニコと話しかけてくれる。それに、なんだかどこかで会ったような気もするーーいいや、違うな。多分気のせいだ。朝からどうかしている。


 ホームルームが終わり、英語の授業が始まる。船乗りの父の影響もあり、映画は嗜むことが多かったので、日本の学校では問題なく対応できそうだ。先生の話をなんとなく聞き流しながら、水は今朝に職員室まで案内をしてくれた生徒のことを思い浮かべた。


 赤色のリボンは、2年生の学年の色だ。濃い黒髪、大きな目、柔らかい表情ーー。なぜか、目が離せなかった。どこかで会ったような気がした。でも、こんなに惹かれるのであれば、忘れてしまうはずないではないか。


「水様、部活とか、決めてるの?」

「……様?」

 

 目の前の席の千代が、突然話しかけてきた。なんだろう、その呼び方。でも、以前もそう言われていたような気がした。


 千代は焦ってアタフタと両手をバタバタさせている。


「ごごごごめん!何言ってるんだろう私!なんだか、水様って感じでぇ」


 周りに寄ってきたクラスメイトが千代を揶揄い、しまいには「水様でいこ〜」「様って感じだしぃ」と言われてしまう。できれば、そのあだ名はやめて欲しい。


 それでも、この千代という子にそう言われるのは、どこかしっくりきた。


「……剣道部に入ろうと思ってるよ」

「剣道?」


 千代は、少し「う〜ん」と考え混んでいる。そしてパッと閃いた表情になると、前のめりになって水と距離を詰めた。


「じゃあさ!今日の放課後、一緒に剣道部行こうよ!隣のクラスのおせんちゃんも誘って!」


 お千ちゃんって、誰、と思いながら、水は頷いた。古風な呼び方をするのだな。



 放課後、水はクラスメイトの群がりをなんとか抜け出し、隣のクラスの千と落ち合った。千は水を見た途端、動きを止めた。そして水をじっくり見てから、嬉しそうに笑った。


「……まあ、水。……ふふ、よろしくね」

「……よろしく」


 千はいわゆる日本美人で、生徒会長と付き合っているらしい。千という名前とは、日本の歴史上の人物と同じで凄いな、と水は思った。同時に、何かが頭に引っかかった。何かは分からないけどーー。


 

 剣道部が活動をする武道場に入れば、女子生徒たちが道着に着替えて活動を開始するところだった。鶴牙つるがという顧問は水を案内してくれたが、千と千代は帰されてしまった。


 剣道部員の一人に、水は目を止めた。というより、目を逸らせられなかった。


 ーー朝の人だ。


 黒髪で大きな瞳。でも、朝の柔らかい表情はない。同じ顔なのに、雰囲気も、目つきも、佇まいも違う。あの人、絶対に剣道が上手い。


 ジッと見つめているせいか、なんだか目がチカチカしてきた。水は下を向いて目を瞑った。今日はどこか、感覚がおかしいのだろうか。スペインから帰国して間もないに、慣れない学校に来たからかーー。


 不意に、横から鶴牙先生が尋ねてきた。


「伊咲は剣道はしたことあるのか?」


 気を取り直して、水は顔を上げる。


「……はい。10歳まで日本にた時と、スペインでソードスクールに通っている時に」

「ほう、大したものだな。ぜひうちに入ってくれ」


 水は頷いた。そして、またあの人に視線を移す。


 ーー心臓が止まりそうになった。目線がバチっと合った。まるで、火花が起こるような感覚。


 やっぱり、どこかで会ったことがある。どこだろう、どこで会ったんだろう。


 その人は、こちらに近付いてきた。


「吉田。こちらはスペインから転校してきた伊咲水さんだ。剣道部に入部希望だから、良くしてあげるんだよ」


 その人は、水をジッと見てくる。朝の人と同じ顔、それなのに、その視線は全く別。この人はまるで、目線で射抜いてくるようだ。


「……スペイン、から?」

「ああ、そうだ。伊咲、こっちは吉田葉名(はな)。去年の全国大会で優勝してるんだ。剣道部のエースだよ」

「あんた、剣道、してるの?」


 葉名という生徒は、鶴牙先生の語尾に声を重ねて尋ねてきた。どうも、食い付いてくる。それとも、こういう性格なのだろうか。


「あ……はい。10歳まで日本にいたので、その頃と、スペインのソードスクールでもやっていました」

「大会とかは?出てた?実力が知りたい」

「やけに突っかかるなあ。伊咲、どうする?」


 なんだろう、断ってはいけない気がする。水は頷いた。


「はい、ぜひお願いします」



 水は即席で道着を借り、竹刀も貸してもらっていた。部員たちは、たちまち水をうっとりと眺め始める。


「凄い、かっこいい〜」

「ハーフなんでしょ?美人」


 いつの時代も、ハーフというのは皆にチヤホヤされるものなのだな。本人は気にしていないようだが。


 水は、覚えているのだろうかーー。


「……あの、朝は、すみませんでした」


 水が突然葉名に言葉を掛ける。朝とは何の話だろう。


「朝?なんのこと?」


 いつも通り言葉を返す。そう、いつも通り。これが私たちの、距離感だーー。


 それなのに、水は困ってような表情になる。


「……え?」


 もしかして、この女ーー。


「あんた……覚えてないの?」


 鶴牙の掛け声で、葉名は水と向き合った。構え合い、見つめ合う。


 この女、できる。


 「はじめ!」という言葉を合図に、二人は動き出した。竹刀を撃ち合う音と、二人の足捌きの音が武道場に響く。分かりやすく正面を狙えば、水は華麗に身を捌いた。これは以前と同じか。やはり、体の使い方が上手い。

 

 葉名と水の手合わせはしばらく続いた。初めのうちは外野も盛り上がっていたが、勝敗が一向に付かず、場は静まり返っていた。


 それを止めたのは、鶴牙だった。


「辞め!伊咲もまだ入部してないからな。勝敗をつけるのは、今じゃなくてもいいだろう」


 水を見れば、大人しく鶴牙に従うようだった。


「伊咲、入部するだろ?こっちで少しいいか」


 鶴牙は、全体に「自主練でやっといてくれ」と言うと水と武道場の端に誘う。水は先生に付いていかず、なんと葉名のそばにやってきた。


「……ありがとうございました」


 水は控えめに葉名に言うと、背を向けて鶴牙のところへ行ってしまった。


 声を掛けたいが、何と言えば良いのか分からない。だから、葉名は、何も言えなかった。

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