第二十二話 手向け花 ― 前半 ―
夜の街を抜けた先にある、古びた公園。
昼間は子供たちの笑い声で賑わうその場所も、
夜になると人影一つなく、風の音さえ途絶えていた。
月光に照らされたブランコのそば――
古びた鉄柵の前に、一束の花が静かに置かれている。
白い百合と、赤いカーネーション。
どちらも夜露に濡れ、淡く光っていた。
だが、不思議なことに、その花は毎晩必ず新しく置かれている。
――誰かが毎夜、ここに花を供えている。
――けれど、その姿を見た者はいない。
“手向け花”。
そう呼ばれて、街では小さな噂になっていた。
「夜のブランコに花を置く人影を見ると、次の日に身内が死ぬ。」
「供えた花を持ち帰ると、家族の誰かが消える。」
そんな根も葉もない話が、SNSを中心に拡散され、子どもたちは夜に公園へ近づかなくなった。
――けれど、その噂の真相を確かめようとした一人の少女が、黒猫呪術代行事務所を訪れた。
「黒乃先生……助けてください。」
静かな夜更け、依頼室の扉がゆっくりと開く。
入ってきたのは、セーラー服姿の少女――神谷莉音。
黒髪を後ろで結び、白いカーディガンを羽織っている。
その瞳は怯えていたが、奥に必死な光を宿していた。
零は机の上に筆を置き、
「話を聞かせてくれ。」
と静かに言った。
莉音は、震える手でスマートフォンを差し出す。
画面には、公園の夜景が映っていた。
ブランコの前に置かれた花束――
そして、その横を“何か”が横切る。
白い影。
髪が長く、顔は見えない。
だが、画面越しでも伝わるほどの“冷たい気配”があった。
クロが尻尾を膨らませ、低く唸る。
「……嫌な感じ。」
莉音は、震える声で言った。
「母が……毎晩、あの花を置きに行っているんです。三年前に、弟が亡くなってから……。でもここ数日は帰ってこなくて。昨日、私が見に行ったら……花が動いたんです。」
「動いた?」
「はい。風もないのに、花が勝手に……。そして……“お母さん”って、声が聞こえたんです。」
零の表情がわずかに曇る。
「……“手向け花”だな。」
クロが首を傾げる。
「たむけばな?」
「死者を想って捧げた花が、祈りに引かれて魂を呼び戻す――古い呪いのひとつだ。強い想いは形を持つ。けれど、それは“還るべき場所”を失った魂を呼ぶ行為でもある。」
莉音は涙をこぼした。
「お母さんが……そんなことを?」
「母親が子を想うのは自然なことだ。だが、“形”を持たせた祈りは、いつか呪いになる。」
クロが小さく息を吐く。
「つまり……お母さんの祈りが、何かを呼び込んじゃったってこと?」
「そうだ。」
零は立ち上がり、黒い外套を羽織る。
筆を懐に差し込み、
「案内してもらおう。」
と莉音に言った。
夜二時。
月の下、三人は例の公園にたどり着いた。
街灯の光が薄く滲み、地面には花弁が散らばっている。
莉音が口を覆う。
「……あの花……昨日のまま……。」
ブランコの下に置かれた花束。
赤いカーネーションの根元から、黒い水のようなものが滲んでいる。
零がしゃがみこみ、指先で触れた瞬間――
花がかすかに脈打った。
「……あの子に、渡さなきゃ……」
女の声が、地面の下から響いた。
クロが毛を逆立てる。
「零っ!」
零は筆を抜き、地面に式を描く。
「式号――“花守の陣”」
円陣が展開し、風が一瞬で吹き荒れる。
花束が散り、無数の花弁が夜空へ舞い上がった。
その中心で、白い影が立ち上がる。
――女だ。
長い髪。
濡れた瞳。
手には、枯れかけたカーネーション。
「……あの子の誕生日なの。だから……今年も……渡しに来たのに……」
零は、静かに筆を下ろした。
「神谷 綾――莉音の母親か。」
女はゆっくりと頷く。
「あの子……笑ってたの。“ママ、また来年もお花ちょうだいね”って……。でも……来年なんて、もうないのよ……。」
クロの瞳が悲しげに揺れる。
「……お母さん、自分で“祈り”の中に閉じこもってる。」
零は目を細め、
「祈りの形は、時に魂を縛る鎖になる。」
と呟いた。
女は涙を流しながら微笑む。
「それでもいいの。この手が花を持てるうちは……あの子に、渡し続けたいの。」
風が止まる。
空気が、重く沈んだ。
花の香りが濃くなる。
あたり一面の地面が、じわりと赤く染まり――
――花が、咲き始めた。




