第二十一話 零の葬列 ― 中半 ―
黒い霧が、街を覆っていた。
視界は数歩先すら見えず、空も地もなくなったような闇。
その闇の中を、葬列の足音だけが鳴り響いていた。
コツ、コツ、コツ――。
無言の列。
黒い喪服の人々が、誰に導かれるでもなく歩いている。
顔は、ない。
仮面のような白い面をつけ、ただ一方向――零の方へと、ゆっくりと進んでくる。
クロがその光景を見て、背を丸めた。
「……これ、全部……死んだ呪術師?」
零は答えなかった。
ただ、葬列の先頭にいる“もう一人の自分”を見据えていた。
影の零――
黒乃零と同じ姿をしていながら、その瞳は墨色ではなく、血のような深紅。
「……よく来たな、黒乃零。」
「綺堂真宵。」
影の男は、ゆっくりと微笑んだ。
「懐かしい名だ。おまえに封じられてから、どれほどの時が経ったか。俺は“名”を半分喰われ、半分は闇の底で腐った。」
「名を喰ったお前に、名を返す資格はない。」
「資格……?おまえが俺を封じた時、俺の“名の半分”は、おまえの中に入った。おまえの“黒”と、俺の“綺”。――二つは、もう分かたれてはいない。」
零の眉がわずかに動いた。
「つまり、こういうことだ。おまえが俺を封じた瞬間から、俺もまた、“おまえの中で生きていた”ということだ。」
クロが唸る。
「そんなの、嘘だ!」
綺堂は嗤う。
「ならば、確かめてみるがいい。」
その言葉と同時に、葬列の列がゆっくりと動き出した。
無数の黒衣の人々が、零の周囲を取り囲むようにして、円を描く。
「おまえの“葬式”を始めよう。」
地面が黒く溶け、その上に墨の海が広がった。
零の足元から靄が立ち昇り、その身体を静かに覆っていく。
クロが跳び上がる。
「零、まずいよ! これ、呑まれる!」
「――分かっている。」
零は筆を抜き、地に一閃。
墨の海が波打ち、白い光が走る。
「式号・“還印”。他者の名、我が名に還す。」
光が葬列の一角を切り裂いた。
だが、切られた影たちは消えず、血の涙を流しながら再び歩き出した。
「無駄だ。こいつらは“おまえを知る者”の亡骸だ。おまえが救い、あるいは殺した者たち。」
クロが息を呑む。
「まさか……あれ、みんな――!」
零の目がわずかに揺れた。
確かに、列の中には見覚えのある顔があった。
呪われた少年を救えず死なせた日。
封印の儀で犠牲になった祈祷師。
呪いに溺れて自ら命を絶った依頼人。
彼らは皆、黒乃零を“恨みながら感謝した”者たち。
祈りと呪いの狭間で、零の名を呼び、死んでいった者たちだった。
「見ろ、これがおまえの“葬列”だ。おまえを覚えている者たちの行進だ。おまえの名が呼ばれる限り、彼らはここに集う。」
「……呼ばれることが、呪いになるというのか。」
「ああ。名を持つ者は、必ず“誰かに呼ばれる”。そして呼ばれるたびに、その声が魂を削る。」
零は目を細めた。
「――お前は、“名を奪う”ことでしか生きられなかった。」
「違う。“奪う”のではない、“還す”のだ。名を呼ばれる痛みから、すべてを解放するために。」
「それを“解放”と呼ぶのなら――俺は、“存在”としてここに立つ。」
綺堂が掌を広げる。
闇の中から、巨大な黒墨の陣が現れた。
無数の文字が逆さまに浮かび、その中央に、零の名が刻まれている。
『黒乃零』
クロが叫ぶ。
「やめろ、それ触ったら――!」
だが零は筆を構えたまま、歩を進めた。
「触れねば、終わらない。」
綺堂の声が響く。
「そうだ、そのまま来い。おまえの名を、俺に喰わせろ。」
零はその中心に立ち、筆を地面へ突き立てた。「――“返名”の陣、起動。」
墨が逆流する。
渦巻く黒の波が、綺堂の方へ向かって跳ねた。
綺堂が笑い、手を掲げる。
「無駄だ! 名はもう分たれぬ!」
「ならば――統合するまでだ。」
光が弾けた。
零と綺堂、二つの影がぶつかり、世界が歪んだ。
クロはその中で、声を振り絞る。
「零っ! 戻ってきて!!」
だが、声は届かない。
世界が一瞬、反転した。
――そこは、葬儀場だった。
白い布。
線香の香り。
人々の泣き声。
壇上に飾られていた遺影には、黒乃零の姿があった。
クロが駆け寄る。
「やだ……零……そんなの……」
しかし、遺影の中の零が――笑った。
「泣くな、クロ。」
クロが目を見開く。
「零……?」
「これは、俺の“死”ではない。――俺が“名を返す”儀式だ。」
影が揺れ、葬儀場が崩れていく。
零の声だけが響く。
「綺堂。お前は“名を奪った”と思っているが、名とは、“呼ぶ者”があってこそ存在する。」
「呼ぶ者……?」
「そうだ。クロが俺を呼ぶ限り、俺は“黒乃零”として在る。」
クロが涙を拭い、叫ぶ。
「――黒乃零!」
その声が響いた瞬間、葬列の影が一斉に崩れた。
黒い喪服の人々が光に変わり、墨の海が晴れていく。
綺堂が呻く。
「……名が、戻っていく……!」
零の姿が現れ、筆を一閃。
「お前の名は――“綺堂真宵”だ。他者の名を喰らっても、お前が呼ばれる名は、もうそのひとつしかない。」
「やめろ……やめろォッ!」
綺堂の身体が崩れ、黒い墨煙となって散っていく。
その声が最後に囁いた。
「……羨ましいな……おまえは、“呼ばれる名”がある。」
静寂。
零は筆を下ろし、空を仰いだ。
「名とは、他者の記憶の中で生きる魂だ。奪えば消える。だが、呼ばれれば――何度でも甦る。」
クロが駆け寄り、零の袖を掴んだ。
「……戻ってきた?」
零は頷く。
「“黒乃零”としてな。」
クロが小さく笑う。
「ふふ、あたし、呼び続けてたよ。何度も何度も。」
零は微笑んだ。
「それが俺の“存在”だ。」
雨上がりの風が吹き抜ける。
遠くで、鐘の音が鳴った。
黒い葬列は、もうどこにもいなかった。




