表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/427

第二十話 廻り灯籠の家 ― 後半 ―

――夜が、ひときわ深く沈んでいた。


更科家の屋敷を包む雨は、音を潜めていた。

外の世界はまるで息をひそめ、屋敷の中だけが時を取り戻そうと、静かに息づいているようだった。


廻り灯籠は、もうほとんど光を失っていた。

回転も止まりかけている。

だが、その静止は“終わり”ではなく――

“祈りの始まり”を告げる静寂だった。


クロが灯籠を見上げて、低くつぶやいた。

「零……もう止まるの?」


零は頷いた。

「――ああ。けれど止まるということは、“形を変える”ということだ。灯籠が祈りを宿す限り、この家の想いは消えない。」


静江は両の手を合わせ、灯籠に向かって祈るように目を閉じた。

「……あの子を、どうか導いてください。」


零は筆を取り、灯籠の前に座る。

墨を溶かしながら、静かに言葉を落とす。


「祈りを封じるのではなく、“還す”儀を行う。澪の魂を灯籠から解き放ち、家の記憶と共に風へ還す。」


クロが小さく鳴いた。

「また、“風”なんだね。」


零は微かに微笑んだ。

「風は、祈りの通り道だからな。」


その時――。


灯籠の内側で、再び光が灯った。

今度は穏やかな白。

それは怒りや嘆きではなく、まるで“誰かの微笑み”が灯ったような優しい色だった。


「……お姉ちゃん。」


声がした。

廊下の奥から、澪の姿が歩いてくる。

白い着物の裾が風に揺れ、足音はほとんど響かない。

けれどその顔には、もう怨の影はなかった。


静江が涙を流しながら立ち上がる。

「澪……!」


少女はゆっくりと微笑んだ。

「お姉ちゃん。わたしね、あの日のこと、まだ覚えてるよ。お姉ちゃんが泣きながら“忘れなさい”って言った声。あの時の雨の音。全部、覚えてる。」


静江は首を振る。

「もういいの……。忘れていたのは、私の方だったわ。あなたが、私を守ってくれたのに……。」


澪はゆっくりと灯籠に手をかざす。

「この灯り、ずっと見てたの。回るたびに、みんなの顔がぼやけていって、私の名前も薄れていった。」


零が前に出る。

「それでも君は、祈り続けた。“誰かに思い出してほしい”という祈りを。」


澪は頷いた。

「うん。でもね、今はもう大丈夫。お姉ちゃんが、わたしを思い出してくれたから。」


風が屋敷の中を通り抜け、提灯の紐を揺らした。


クロがふと呟く。

「……澪ちゃん、これからどこへ行くの?」


少女は空を見上げ、穏やかに笑った。

「風の中。きっと、お母さんもお父さんも待ってる。」


静江の嗚咽が止まらない。

「――行かないで……。もう一度、一緒に……」


澪は首を振る。

「お姉ちゃん、祈りってね、“一緒にいる”ことじゃないんだよ。“想い続けること”なんだ。」


零が筆を掲げた。

「式号――“灯解とうげの陣)”。灯りを解き、祈りを風へ放て。」


筆が宙を走る。

墨の線が光に変わり、床に円を描く。

灯籠の光が再び強まり、屋敷全体を包んだ。


ちりん……。


柔らかな音が響いた。

灯籠の回転が完全に止まり、内側の紙がゆっくりとほどけていく。

光は形を変え、澪の姿を包みこんだ。


少女が微笑む。

「ありがとう。これで、“わたしの祈り”も、回り続けなくていい。」


彼女の身体が淡く透けていく。

光の粒が風に溶け、屋根の隙間から外へと流れていった。


雨は、もう止んでいた。

夜空には雲の切れ間から星が覗き、風が山の上を渡っていく。


静江は膝をつき、その光を見送ったまま、ゆっくりと手を合わせた。

「……ありがとう、澪。あなたの祈りを、今度は私が、受け継ぐわ。」


零は筆を収め、灯籠の残骸に手をかざす。

崩れた木片の中から、小さな木彫りの桜が現れた。

澪が幼い頃に彫ったもの――

中央には、震えるような文字でこう刻まれていた。


『おねえちゃんと わたし』


クロがその桜を見つめ、そっと呟いた。

「……祈りって、こんなにも優しいんだね。」


零は小さく微笑む。

「祈りとは、本来“優しさ”の形だ。誰かのために忘れ、誰かのために思い出す。その繰り返しが――命を繋ぐ。」


翌朝。


霧が晴れ、陽光が山を照らした。

更科家の庭に立つ桜の木が、ひと枝だけ花をつけていた。

季節外れのその花びらが、風に乗ってひらりと舞う。


クロが尻尾で空を指した。

「ねぇ、零。見て。あれ、澪ちゃんの花かな。」


零は頷いた。

「“忘れない祈り”が咲いたんだ。」


静江が縁側に座り、朝の光を浴びながら小さく微笑む。

「零さん……。あなたのおかげで、家の中が明るくなりました。」


「それは、あなたが“思い出した”からです。祈りは、いつも心の中で灯っています。」


老女の頬を涙が伝い、桜の花弁がその手に落ちた。


クロが小さく鳴く。

「ねぇ零、人って、“忘れたい”ことと“忘れたくない”こと、どうやって区別するんだろうね。」


零は空を見上げながら答える。

「きっと、それは“残る方”だ。どんなに忘れようとしても、風が吹けば思い出す。それが、“祈りの残り火”だ。」


クロは静かに頷いた。

「じゃあ、この風も、澪ちゃんの祈りなんだね。」


「そうだ。そして、これからも――誰かがその風を受け継ぐ。」


黒猫呪術代行事務所に戻った夜。


零は机の上に、小さな灯籠の欠片を置いた。

それは静江から預かった、“祈りの証”。

彼はその欠片に小さく筆を走らせ、ひとつの文字を書き記した。


『祈』


クロが机の上で丸まりながら、瞳を細める。

「ねぇ、零。いつか、あたしたちがいなくなっても、誰かがこうして“祈り”を残してくれるのかな。」


零は筆を置き、小さな灯籠をそっと撫でた。

「残るさ。風の音にも、灯の揺らぎにも、名前を呼ぶ声にも。」


「――祈りは、形を変えて続く。それが、呪いを超えた人の想いだ。」


クロが小さく鳴く。

「にゃぁ……」


その声に応えるように、窓の外で風鈴が鳴った。


ちりん……


夜風が通り抜け、灯籠の欠片が一瞬だけ、まるで命を宿したように光を放った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ