表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/427

第二十話 廻り灯籠の家 ― 中半 ―

夜の帳が降りるころ、更科家の屋敷には、再び雨が降り始めていた。

外の山から吹き下ろす風は湿り気を含み、木々のざわめきが耳の奥でざらつくように響く。


灯籠はまだ、ゆっくりと回っていた。

だが零の結印の効果で光は落ち着き、先ほどのような呻き声は止んでいる。


それでも、何かが「待っている」気配だけは、確かに残っていた。


クロが畳の上で尻尾を丸め、低く唸った。

「……静かだけど、全然落ち着かないね。まるで“息を潜めてる”感じ。」


零は筆を置き、灯籠の前に座った。

「動きを止めても、呪式そのものは生きている。――この家の“祈り”が、完全には終わっていないからだ。」


「祈りが生きてるって、どういうこと?」


零は灯籠を見上げた。

「この式は、“忘却”と“継承”を同時に行う術だ。亡くなった者を鎮める代わりに、生きる者の記憶を削ぎ落としていく。その循環が“家の命”になっていたんだ。」


クロは耳を伏せた。

「……つまり、祈るたびに“家族のことを忘れていく”ってこと?」


零は静かに頷いた。

「そう。この家の“祈り”は、“忘れること”で成り立っていた。だが、澪だけは――それを拒んだ。」


風が吹き抜け、灯籠の紙が揺れた。

中から一瞬、少女の笑い声のようなものが聞こえた。


「おねえちゃん、わたし、覚えててほしいの。」


零が眉をわずかに動かす。

「……“願い”が残っている。」


クロが息を呑んだ。

「澪ちゃん……まだこの家にいるんだね。」


仏間の奥には、古い木の扉があった。

静江が震える手で扉を開ける。

その先は蔵へと続く細い廊下。

暗闇の奥から、土の匂いと紙の匂いが混じった空気が流れてきた。


「この奥に、“家の記録”があるのです。」

静江の声は小さく震えていた。

「昔から、亡くなった者の記録や戒名を灯籠に移したあと、残りをこの蔵に納めてきました。ですが――最近、いくつかが消えてしまって。」


「消えた?」


「はい。誰かが触ったわけでもないのに、紙が灰のようになって崩れていたんです。」


零は歩を進めた。

蔵の中は冷たく、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。

木棚の上には無数の古い紙束。

墨で書かれた戒名、日付、祈祷の記録。


その中の一角――

ぽっかりと、紙束の消えた空間があった。


クロがひそやかに言う。

「まるで“ここにいた誰か”が消えたみたい……。」


零は指先で棚の縁をなぞる。

「――ここが“記憶の断層”だ。」


「断層?」


「灯籠が回るたびに、ひとつずつ“記録”が消える。そしてこの空間に穴が開く。家の記憶を削り取る代わりに、“祈り”を続ける。それが代々受け継がれてきた“更科の儀”だ。」


クロが低く呟いた。

「……そんなの、呪いじゃん。」


「――だが、始まりは“救い”だった。」


零は墨色の瞳を細める。

「数百年前、この家では大きな災厄があった。疫病、飢饉、戦。その中で、誰もが“忘れたい記憶”を抱えていた。先祖はそれを祈りに変え、灯籠に封じることで、村を守ろうとした。」


「つまり、“祈り=記憶を消す儀式”として始まったんだね。」


「そうだ。だがそれが世代を重ねるうちに、“忘れること”が目的になってしまった。」


クロは目を伏せた。

「……澪ちゃんは、それに逆らったんだ。」


そのとき、蔵の奥から、かすかな音がした。


……かた、かた……。


零が顔を上げる。

棚の隙間から、青い光が漏れていた。

クロが背を丸め、毛を逆立てた。


「零、来る……!」


次の瞬間、

棚の奥から“灯籠の残光”が伸び、蔵全体を照らした。

光の中に、人影が浮かぶ。

それは白い着物を着た少女――澪の姿。


「――お姉ちゃん。」


静江が息を呑み、震える声で名を呼ぶ。

「……澪……!」


少女は静かに首を傾げた。

「どうして、忘れてくれないの?」


零が一歩前に出た。

「君は“灯籠の中”に残った祈りだな。」


澪の瞳が、深い闇のように揺れる。

「わたしは、忘れられない“祈り”そのもの。でも、この家では――“忘れない”ことが罪なの。」


「罪?」


「みんな、忘れることで救われてきたの。苦しいことも、悲しいことも。でも、忘れたくなかった人の想いまで――消えてしまった。」


クロが涙声で呟いた。

「それって、澪ちゃん自身のこと……?」


少女はゆっくりと頷いた。

「お姉ちゃんが、“あの日”のことを忘れた時、わたしは灯籠の中に閉じ込められたの。お姉ちゃんを守りたくて、でも、もう“記憶”に戻れなくなった。」


静江の膝が崩れた。

「……そんな……。私は……自分を守ることしか考えていなかった……。」


澪は悲しげに笑う。

「いいの。お姉ちゃんが生きてくれたなら、それで良かった。でもね――この家の祈りは、もう壊れかけてるの。」


零が筆を構えた。

「君が“守っていた祈り”を解かない限り、この家は、消える。」


澪は零を見つめ、微笑んだ。

「じゃあ、あなたが教えてくれる?“祈り”って、何なの?」


零は短く息を吸った。

「祈りとは――“忘れるための言葉”ではなく、“受け継ぐための想い”だ。」


澪の瞳が揺れる。

「受け継ぐ……?」


「忘れることで守る時代は、もう終わった。今は、覚えていることこそが“祈り”だ。」


その言葉に、澪の光が震えた。

「……お姉ちゃん、わたし、忘れられたままで良かったのかな……。」


静江が立ち上がり、震える手で妹の影に触れようとする。

「――澪。ごめんなさい。私はずっと、あなたのことを……」


その瞬間、灯籠が再び光を放った。

ごぉ……っ。


蔵全体が青白く輝き、紙が舞い上がる。

澪の身体が光に包まれ、零の陣が発動しかけた。


クロが叫ぶ。

「零っ、また灯籠が動き出してる!」


「――まだ“祈り”が決まっていない!」


灯籠の光が天井を照らし、無数の文字が浮かび上がった。

それはこの家に生きた者たちの“名前”だった。

消えかけた名が、一瞬だけ蘇る。


澪がその中に浮かびながら、静かに笑った。

「ねぇ、零さん。祈りが“忘れない”ためのものなら――わたしは、もう少しだけ、ここにいてもいい?」


零は頷いた。

「――君の祈りが“光”になるまで。」


光が静かに弱まる。

灯籠の回転が止まり、静江の頬を一粒の涙が伝った。


「……零さん。私は、もう一度あの子を思い出せました。」


零は筆を収め、静かに言った。

「記憶を取り戻した瞬間、呪いは“祈り”に変わる。それが、この家がずっと求めていた答えだ。」


クロが小さく息を吐いた。

「零……この家、やっと“時間”が動き始めたね。」


「そうだ。次は、“忘れる祈り”を終わらせる番だ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ