第十六話 壊死する街 ― 中半 ―
――夜の街が、沈黙していた。
風が止まり、音が消え、電線の先から赤い火花が散る。
その下を、黒乃零とクロが歩いていた。
街全体が呪術の結界に覆われている。
空気が重く、呼吸するだけで喉が焼けるようだ。
「……あの“偽物”、ただの写しじゃないね。」
クロが低く唸る。
「呪いそのものを、器にしてる。」
零は頷く。
「“鏡式呪造”の派生――《反映儀》だ。他者の存在を写すだけでなく、写された対象が抱える“罪”や“記憶”まで再構成する。」
クロの瞳が震えた。
「じゃあ……あの偽零は、“あんたの罪”でできてるってこと?」
零は何も言わなかった。
沈黙は肯定のように響いた。
廃ビルを出て、二人は繁華街の外れにある高架下へ向かった。
そこには、無数の呪符が貼られている。
電柱、壁、信号機――まるで街そのものが符で覆われていた。
クロが息を詰める。
「全部、“黒乃零”の名が書いてある……。」
零は冷静に観察しながら言った。
「式の連結型だ。街全体を一つの“巨大な呪陣”に変えている。」
「じゃあ、中心は……?」
「恐らく――“俺”の最初の現場。」
十年前。
黒乃零が初めて“呪い”を引き受けた夜。
まだ事務所もなく、ただ一人の術師だった頃。
依頼は、ある少女の復讐だった。
恋人に裏切られ、家族を失い、 最後に呪いの言葉を吐いて死んだ少女――白音。
彼女の魂を鎮める代わりに、零はその“呪い”を代行し、実行した。
そしてその日を境に、彼の名は“呪いを請け負う者”として闇に広がった。
「……あの夜が、“始まり”だったんだね。」
クロの声が静かに響く。
零は短く頷く。
「俺が誰かの恨みを“引き受ける”と決めた夜。その呪いの残滓が、今になって形を持った。」
街の中心――閉鎖された地下鉄の入り口。
そこに、偽零の気配が濃く漂っていた。
零が階段を降りると、湿った空気とともに、低い囁き声が響いた。
『……黒乃……零……』
『……わたしを、呪ったのは……あなた……』
クロが身をすくめた。
「……女の声……?」
「白音だ。」
「……っ!」
暗闇の奥、血のような光の中に、女の姿が立っていた。
かつて零が呪いを代行した依頼人。
その魂が、偽零に取り込まれていた。
『わたしはあなたに願った……あの人を呪ってほしいって……でも、あなたはわたしの呪いまで喰った。』
零が低く答える。
「お前の願いは、誰かを殺すことじゃなかった。“自分を赦すこと”だった。」
『赦してなんかいない!あなたが私を殺したんだ!』
声と共に、周囲の壁が波打った。
黒い液体が床から溢れ、形を成していく。
現れたのは――
再び“もう一人の黒乃零”。
しかし、今度の姿は血に濡れた巫女装束。
白音の姿と零の顔が混ざり合っていた。
『あなたが呪いの形を選んだように、わたしもあなたを選んだの。』
クロが叫ぶ。
「やめて! あんたはもう死んだんだ!」
『死んでなんかいない。黒乃零の中で、生き続けてる!』
影が渦巻き、トンネルが崩れ始めた。
零は一歩踏み出す。
「白音、俺はお前を忘れていない。だが、お前の“憎しみ”は、もうお前のものじゃない。それは、俺が引き受けた呪いだ。」
『だったら――お前ごと、消えて。』
影が襲いかかる。
零は筆を抜き、詠唱する。
「式号――“逆呪・灰返”!」
光が走り、影が弾け飛ぶ。
だがその直後、背後の壁から別の声が響いた。
「やはり、消せないな。“俺”。」
偽零が現れた。
先ほどの写しとは違う。
今度の彼は完全な人間の姿。
その背中に、街全体の呪符が浮かび上がっていた。
「見ろ、これが人間だ。自分の罪を隠し、他人に祈りを押し付け、それでも生きたいと願う。お前が代行してきた“呪い”は、すべてここにある。」
零は静かに答える。
「お前の言うとおりだ。俺は、呪いを繋いできた。」
「なら、認めろ。お前自身が“呪いそのもの”だと。」
零はクロを見た。
クロは首を振る。
「違う。零は……祈ってるだけだよ。」
偽零が嗤う。
「祈り? 人を殺しておいて、祈りだと?」
「違う。祈りとは、“誰かを生かすために願うこと”。俺は呪いを請け負ってきた。だが、それは“誰かが生きるための代償”だった。」
「美化するな!」
影が爆ぜ、炎が走る。
トンネルの壁が裂け、上空の街の光が覗いた。
零は筆を振り下ろす。
「“祈祓式・逆律陣”!」
地面に六芒の陣が浮かび、偽零の足元に光の鎖が絡みつく。
だが、偽零は微笑んだ。
「無駄だ。俺はお前の中にいる。――お前が生きている限り、俺は死なない。」
鎖が軋み、弾けた。
零の胸に痛みが走る。
クロが飛びつき、彼の肩に爪を立てた。
「零、だめ! 力、逆流してる!」
零の唇から血が零れた。
「……構うな。こいつを止めないと、街が……。」
偽零の声が響く。
「見ろよ、この街を。俺の名前を呼ぶだけで、人が死ぬ。だがそれでも、人は“黒乃零”を求める。
救いを、呪いに求める!」
クロが叫ぶ。
「黙れぇっ!」
黒猫の体が光を放ち、姿が揺らぐ。
クロの背に、翼のような黒煙が現れた。
「……零、あたしがやる。あんたを信じてくれた人たちの声、全部、あたしが受け止める!」
零の瞳が見開かれた。
「クロ……!」
クロの声が震えながらも、確かに響いた。
「呪いの声は“記憶”だよ。あたしたちは、全部背負ってきた。だったら――“祈り”に変えよう!」
彼女が鳴いた。
――カァァン……
鈴の音が、トンネルに響く。
その音に呼応するように、街中の呪符が光を放った。
零は筆を握り直し、最後の詠唱を始めた。
「――祈還式・零印起動。呪いを呪いに返さず、祈りに還す。」
光が爆ぜた。
街を覆っていた闇が一瞬で霧散する。
偽零の姿が崩れ落ち、その口元だけがわずかに動いた。
「……無駄だ……零……お前もいずれ、俺になる……」
零の瞳が細められる。
「なら、俺は“祈りの呪い”として生きよう。」
偽零は微笑み、そして消えた。
崩れたトンネルの中で、零はゆっくりと膝をついた。
クロが寄り添い、小さく言った。
「ねぇ……零。あんた、本当に人間なの?」
零は薄く笑った。
「……さあな。だが、“誰かを呪いたい”と願う限り、俺は人であることをやめられない。」
クロはその言葉を聞いて、静かに目を閉じた。
「――あたしは、そんな“人間”が好きだよ。」
街の外から、朝の光が差し込む。
呪いで覆われた夜が、ようやく終わりを迎えようとしていた。




