外伝3 姦姦蛇螺 ― 中半 ―
――風が止まった。
黒い影が森を覆い尽くし、木々が悲鳴のような音を立てながら裂けた。
クロは零の肩の上から飛び降り、地面に着地した。
「零、まずいよ! 封印、全部切れた!」
零は符を地に叩きつけ、短く詠唱した。
「――結界起動、“三環陣”。」
地面に光の輪が三重に走る。
だが、影はそれを押し破るように滲み出した。
『……憎イ……ワレを喰ワセた……人間……』
声は低く、呻くようで、それでいて女の声だった。
クロの耳が伏せられる。
「……あれ、巫女の声?」
零は頷いた。
「巫女の怨念が蛇と混ざり、ひとつになった。“姦姦蛇螺”――女と蛇の複合体。」
「封印されてたのに、なんで今になって?」
「……誰かが、呼んだ。」
「呼んだ……?」
「そうだ。この村の誰かが“願った”んだ。――“また、力を与えてくれ”と。」
森を抜けると、村の端の畑に人だかりができていた。
地面に倒れているのは、昨夜話した女将だった。
右腕が、肩から先ごと無くなっていた。
村人たちは口々に言う。
「蛇音さまの祟りだ……!」
「また封印が破れたんだ!」
クロは目を見開いた。
「昨日までは元気だったのに……!」
零が膝をつき、女将の遺体に指を触れる。
「体温がまだある。殺されたのは一時間以内だ。」
彼は血の跡を辿りながら呟いた。
「……腕を、持っていかれている。」
「巫女が喰われたように……?」
「そうだ。これは、復讐の儀式だ。」
その夜。
クロは眠れなかった。
風の音が耳に残る。
まるで誰かが呼んでいるような、遠い声。
『……わたしを、見つけて……』
「……っ!」
目を開けた瞬間、クロは別の場所に立っていた。
周囲は燃えていた。
夜空が赤く、焦げた木の匂い。
地面に血が滲んでいる。
(……夢、じゃない。記憶だ。)
目の前に、一人の少女が立っていた。
黒髪を後ろで結い、白い装束を纏った巫女。
彼女の足元には、大蛇が横たわっている。
だが、その下半身は――無かった。
『……守らなきゃ。みんなを、守らなきゃ……』
巫女の声は震えていた。
その瞳に映るのは、恐怖ではなく、“祈り”のようなもの。
クロは気づいた。
この巫女が、“姦姦蛇螺”の始まりだった。
場面が変わる。
炎の中で、村人たちが巫女を囲んでいた。
「もう終わりだ! 巫女を差し出せ!」
「蛇を鎮めるためだ!」
巫女は膝をつき、血を流しながら呟いた。
「……どうして。わたしは……あなたたちを守ったのに。」
彼女の後ろにいた家族が、目を逸らしながら言った。
「お前がいなければ……家は絶えない。神の血は、わたしたちのものだ。」
「母さん……あなたまで……」
巫女の声は、痛みと涙で震えていた。
『――その手を、切れ。』
誰かの命令。
村人が刀を抜く。
巫女の両腕が、瞬く間に血を噴き上げた。
『わたしを……殺すの……?』
「許してくれ……巫女さま……」
『――許さない。』
その瞬間、空気が裂けた。
巫女の体が黒く染まり、地面を這っていた大蛇の体と一つに溶けた。
『許さない……許さない……!』
クロの目の前で、“女と蛇”が混ざり合い、“姦姦蛇螺”が生まれた。
クロは悲鳴を上げて目を覚ました。
心臓が早鐘のように鳴っている。
隣で零が静かに灯をともした。
「……見たか。」
クロは震える声で答えた。
「うん……巫女の記憶。あれ、全部……本当にあったこと。」
零は頷く。
「おそらく、巫女の魂が“お前を器に選んだ”。見せることで、己の苦しみを伝えたかった。」
「苦しみ……」
「そうだ。“姦姦蛇螺”は、ただの怨霊じゃない。自分を殺した人々を呪いながらも、“村を守りたかった”想いも残っている。」
クロは静かに目を伏せた。
「……優しい人だったんだね。」
零は小さく頷いた。
「それが一番の悲劇だ。」
翌朝。
村の広場で、再び一人の村人が死んでいた。
今度は左腕が無かった。
村人たちは錯乱し、古老が叫ぶ。
「封印を、もう一度やり直すんだ!」
「封印って……どうやるの?」と若者が問う。
老人は震える手で地面に印を描いた。
「六本の木、六本の縄、中央に箱。壺を四隅に置く。――それで“姦姦蛇螺”さまを鎮めるのだ。」
零はその様子を黙って見ていたが、やがて静かに言った。
「……それは封印ではない。犠牲の再演だ。」
クロが顔を上げる。
「再演?」
「この儀式は、巫女を閉じ込めるために作られた。だが本質は“次の生け贄”を選ぶ式だ。」
老人が声を荒げた。
「なら、どうすればいい! 村が滅ぶ!」
零はゆっくりと立ち上がる。
「巫女は、滅ぼしたくて現れたのではない。“自分を見てほしい”だけだ。」
夜。
再び風が鳴る。
クロは夢の中で、もう一度巫女に会った。
巫女は微笑んでいた。
『……あなた、見てくれたのね。』
「うん。あなたのこと、少しだけ。」
『わたしは、もう憎しみで出来てしまった。けれど、誰かに覚えていてほしかった。祈りの形は、きっと間違っていたけれど……』
クロは静かに首を振る。
「間違ってなんてない。あなたは、守ろうとしたんでしょ。」
『ありがとう。でも、もう時間がない。封印が……完全に壊れる。』
巫女の姿が揺らぎ、黒い蛇の影がその背から生まれた。
クロはその光景を最後に、目を覚ました。
「零っ!」
零がすでに立っていた。
机の上には、儀式の構成図。
「封印の残りが、完全に崩壊する。今夜、“姦姦蛇螺”が本性を現す。」
クロが息をのむ。
「どうするの?」
零は筆を握り、静かに答えた。
「――終わらせる。呪いとしてではなく、“祈り”として。」




