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黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


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幕間 クロの休日

――今日は、依頼がない。


黒乃零が出かけたあと、

私は事務所の窓辺で丸くなっていた。

陽の光がカーペットの上をゆっくり移動していく。

こうして一日が過ぎるのを見ていると、

人の時間って不思議だなと思う。


あたしにとって一日は、祈りの呼吸みたいなもの。

朝、光を吸いこんで。

夜、影を吐き出す。

それだけで、生きてる気がする。


外を歩くと、街は思ったより賑やかだった。

子供の笑い声、カフェの音楽、そして、どこかで泣いている人の声。


泣くって、呪いの一種だと思う。

でも、零は「それも祈りだ」と言ってた。


“人は、涙で呪いを薄めるんだよ”って。

だから、あたしは泣き声を聞くと少し安心する。

ああ、まだこの世界は生きてるんだな、って。


昼すぎ、近くの公園に行った。


ベンチの上で、おばあさんが鳩にパンをあげている。

あたしが近づくと、ふふっと笑ってパンのかけらをくれた。


「お前さん、黒いけど目がきれいだね」

「ありがと。零にもそう言われたいけど、あの人は鈍いから」


そう言ってみたけど、もちろん言葉は届かない。

おばあさんは私を撫でて、

「猫はいいね、呪わないから」と呟いた。


……それは、違うよ。

あたしたちは、祈りのかたまりだから。

誰かを憎むことも、願うことも、人間よりずっと純粋にできるんだ。


夕方、帰り道の橋の上で立ち止まった。


川面が赤く染まって、風が少し冷たくなっていた。

橋の欄干に、小さな女の子が寄りかかっている。

手には、小さな写真。


あたしが近づくと、その子は目をこすって、

「……クロちゃん?」と笑った。


知らない子だった。

でも、どこかで見た気もした。


「ママが言ってたの。黒い猫を見たら、悲しいことが終わるんだって」


あたしは黙って、その子の足もとにすり寄った。

小さな手が、毛をそっと撫でる。


その瞬間――風が止まった。

川面に映る空が、ゆっくりと青へと戻っていく。


子どもは笑って、写真を胸に抱いた。

「ありがとう、クロちゃん」


あたしは鳴いた。

ほんの一声。

でも、それだけで充分だった。


夜。


事務所に戻ると、零がコーヒーを淹れていた。

「帰ったか」

「うん。ちょっと散歩してただけ」

「……誰かを呪ってこなかっただろうな」

「祈ってきたんだよ」


零が少し笑った。

「そうか。それならいい」


テーブルの上には、一輪の花が飾られていた。

綾の母の鏡の前に咲いていた桜。

零が拾ってきたのだろう。


「ねぇ零」

「なんだ」

「あたしたちって、結局なんなんだろうね」

「さあな。呪いを祓ってるのか、祈りを残してるのか……」


零は少し考えてから、湯気の立つカップを見つめた。

「けど、どちらでもいい。“誰かの心が軽くなるなら”、それでいい」


あたしはその言葉を胸の奥で転がした。

“誰かの心が軽くなるなら”。


たぶん、それがこの世界での“正しい呪い方”なんだと思う。


夜風が吹き、窓の鈴が鳴る。


――ちりん。


その音を聞きながら、あたしは目を閉じた。

どこかでまだ、泣いている人がいる。

どこかでまだ、祈っている人がいる。


その全部が、明日また零のもとに届くんだろう。


あたしは小さく呟いた。


「ねぇ、世界。今日くらいは、誰も呪わないで眠れますように」


――そして、

黒猫の小さな祈りを乗せて、夜が静かに更けていった。

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